黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 5

Interview

ドラクエ堀井雄二氏(上)知られざる幼少期、マンガの神々

ドラクエ堀井雄二氏(上)知られざる幼少期、マンガの神々

ユルい?学生生活の始まり

当時は社会的に言えば学生運動が激しかった時期ですよね。

堀井 ありましたね。ちょうど1年生のときに革マル派の川口君事件というのがあったんですよ。それで、学校が1年間ロックアウト(大学を閉鎖すること)されちゃって、入学してすぐに学校に行かなくてもよくなっちゃったんですよね。でも、漫研の部室だけは行くんですよ。部室に集まってみんなで麻雀やろうよって。で、麻雀やって帰ってくるという、すごくユルい学生生活が始まったんですよね。

でも、その頃の漫研のお付き合いがあったから、その後の活動に繋がっていったんですよね。早稲田の漫研にはどういった方がおられたんですか?

堀井 先輩だと『アサッテ君』の東海林さだおさんとか『ギャートルズ』の園山俊二さんとか、あとは『島耕作』シリーズの弘兼憲史さんとか。僕と近い世代では『ジャンク・ボーイ』の国友やすゆきさんとか。

さくまあきらさん(注3)は同級生ですか?

堀井 そうですね。3年生くらいのときに各大学の漫画研究会の連合ができたんですよ。そこで、いろんな人と知り合ったんです。

注3)『桃太郎伝説』、『桃太郎電鉄』シリーズなどを手がけたゲームクリエイター。当時は立教大学の漫研に所属していた。

では、その頃に知り合った仲間たちとお互いに影響を与え合ったという感じですか。

堀井 卒業後は、仕事を紹介してもらったりとかね。1コ下に柳沢健二という人がいたんですよ。ヤナケンって呼んでいたんですけど、その彼がみのり書房に入ったんです。その関係で「月刊OUT」(注4)で連載を始めたんです。それから、山本一平という人が集英社の「セブンティーン」などでイラストを描いていて、その紹介で「セブンティーン」のライターを始めて。週刊少年ジャンプで仕事をするようになったのも、さくま君の紹介でしたね。

注4)1977~1995年にみのり書房より発行されていたアニメ雑誌。サブカル色が強く、読者投稿によるアニパロが人気を呼んだ。

いい繋がりですね。在学中もお仕事をされていたと聞いていますが。

堀井 在学中は先輩がやっていたサンケイスポーツの仕事を手伝ったりしていましたね。確か「キャンパスライフ」とかいうページがあったんですよ。大学生のアルバイトとか学食なんかについて取材して、文章を書いてイラストを付けてっていう。例えば、北海道の牧場のバイトがどれだけキツいかとか。

いわゆる体験取材ですか?

堀井 さすがに北海道までは行けないので、体験者の取材をして記事にしました。他には「東大の地下の学食はすごい要塞だ!」みたいな。それは実際に食べに行って記事を書きましたね。それで、ライターの仕事がけっこうぼちぼち舞い込むようになって、これはライターで食っていけるなと。

その頃はもう大学にはあまり行かなかったんでしょうか。

堀井 そうですね。大学は行っても授業はそんなに出ていなかったですね。だから、単位がなかなか取れなくて卒業するのに6年かかりました。

でも、充実した6年でしたね。

堀井 どうなんですかね。なんか、麻雀ばっかりしていたような気がするんだけどね(笑)。

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