
永井豪先生の仕事場を直接訪問
中学時代は漫画研究会に所属されていたんですか?
堀井 中学には漫研はなかったですが、高校生のときにマンガ同好会で部長をやっていました。
高校生のときに永井豪先生のところに原稿を持っていかれたという話を聞いたんですけど、おひとりで東京に行かれたんですか?
堀井 そうです。『バイオレンスジャック』とか『あばしり一家』とか好きだったんですよ。当時は、雑誌にマンガ家さんの住所が書いてあったんですよね。マンガ家の先生にファンレターを出そうって。個人情報保護法なんてないですもんね。電話番号まで書いてありましたよ。

今では考えられないですよね。直接、電車に乗って行かれたんですか。
堀井 電車に乗って永井先生の仕事場のある駅まで行って。駅前から電話して「アシスタントにして下さい、作品持って来ました!」って。そうしたら会ってくれたんですよ、永井先生が直接。
すごいですね。今では絶対会えないですよ。
堀井 会えないですよねえ。そんな、突然電話してきてねえ。
それで、その作品を見て永井先生はなんとおっしゃいましたか?

堀井 「う~ん」って(笑)。僕は見た瞬間に「いいねえ、来年からアシスタントに来てくれよ!」って言われるくらいのつもりだったんですよ。それがどうも、なんかもうひとつだなあっていう反応で。やんわり断られたみたいな感じでした。それでヘコんじゃって、最初は他のマンガ家先生のところもいろいろ回るつもりだったんですけど「もうヤメた」と。
それで止めちゃったんですか? 何か残念ですね。
堀井 軟弱なんで(笑)。
とりあえず大学に行こう!と受験勉強
他も回ったら、もしかしたら違う道が開けたかもしれないですね。そこで気持ちがちょっと萎えたというか、また違う道を考えようと思われたんですか?
堀井 いや、じゃあ、とりあえず大学に行くかと思ったんです。
とりあえずで早稲田に受かる人も珍しいと思いますが、やはりかなり受験勉強されたんですか?
堀井 ええとね、僕は、数学はできたんです。
え??早稲田大学の一文(第一文学部)ですよね?
堀井 ええ。マンガ家志望だから文学部だろうと。それで、早稲田の文学部は珍しく、社会の代わりに数学を受験科目に選ぶことができたんですよ。それで早稲田を受けたんです。

そうだったんですね。どのような受験勉強をされたんでしょうか。
堀井 数学はできるから勉強しなくていいやと。国語もまあ日本語だから勉強しなくても大丈夫だろうと。だから、あとは英語だけ。英語は単語さえ覚えて、文法が分かっていればなんとかなるだろうと思って。それで英語の勉強だけしていたんです。そうしたら明治大学や法政大学も受けたんですけど、それも全部受かっちゃいまして。
ホントですか、それ!? しかも浪人せずストレートですよね?
堀井 たまたま運が良かったんです。
優秀ですね。大学の漫研では、のちのちいろいろ繋がりのあるお友達がたくさんできたようですが、その頃はどのような活動をされていたんですか?
堀井 当時の漫研っていうのは「ガロ」(注2)一色です。つげ義春さんとか林静一さんとか。僕もモロに影響を受けて、ちょっと不条理的なガロ系のマンガを描いたりしていました。
注2)青林堂が発行していたマンガ雑誌。1960年代に独自の作風を持つ個性的なマンガ家たちが活躍し、話題を呼んだ。