
音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。
今回のゲストは、『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親であり、2017年7月29日にPlayStation 4・ニンテンドー3DSにて発売予定の『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』を手掛けるゲームデザイナー堀井雄二氏です。
※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの第1回です。
インタビュー取材・文 / 黒川文雄
少年時代は毎日が冒険のようだった
お久しぶりです。今日はお会いできることを楽しみにしていました。まず、幼少期のお話からお聞かせ下さい。淡路島(兵庫県洲本市)のご出身で、ご実家はガラス店を営まれていたということですが、当時の環境はいかがでしたか?

堀井 当時は商店街のガラス店で、そこに住んでいました。アーケードのある大きな商店街で、お向かいにはお菓子屋やおもちゃ屋があって、裏が貸本屋で…。淡路島の田舎で育ったっていう風に言われるんですけれども、僕的には都会で育った気がしていたんですよね。むしろ東京に来たときに住んでいたのが住宅街だったので、なんか何にもない所だなあと思ったりしました(笑)。
けっこう賑わっている街だったのですね。
堀井 イメージ的には吉祥寺くらいです。……いや、吉祥寺は言いすぎかな(笑)武蔵小山に似てたかな? 商店街は本当に人通りが多くて、家の前のおもちゃ屋さんに行こうとして自転車に轢かれたこともありました(笑)。今はもう、さびれちゃって、半分くらいがシャッターを下ろした状態になっちゃいましたけど。
刺激があって、すごくいい環境だったわけですね。
堀井 アーケードがあるのがうれしくてね。雨の日でも濡れないから、そこでローラースケートをして遊んでいました。しかも、アーケードって屋根の上の部分が歩けるようになっているので自分の家の屋根から飛び移って、アーケードを伝って近所の友達のウチに遊びに行ったりして。
貸本が育んだマンガ家志望
今だったら通報されますね(笑)。その頃の体験で堀井さんがのちに編集や執筆、創作を行っていく上で影響を受けた部分はありますか。
堀井 家の裏が貸本屋さんだったんですよ。当時はまだマンガを借りて読むっていう文化がけっこうあって、『ぼくら』、『冒険王』、『少年ブック』、『少年画報』(注1)……出ているマンガは全部借りて読んでいましたね。

注1)当時発行されていた月刊少年マンガ誌。『ぼくら』は講談社、『冒険王』は秋田書店、『少年ブック』は集英社、『少年画報』は少年画報社より発行。
全部、貸本屋さんから借りていたんですね。
堀井 そうですね。そのうちに週刊誌時代になって、そのときには『少年サンデー』とか『少年マガジン』とか買うようになっていましたけど、月刊誌は借りていましたね。当時の月刊誌には付録がついていたんですけど、その貸本屋では付録も30円くらいで売っていて、発売後に早く行くと買えるんです。当時の付録はいろんなものが作れたんですよ。一番感動したのは忍者屋敷の付録。立体の屋敷で壁の隠し扉が動いたりとか、いろいろ仕掛けがあるんですけど、そういうのを紙で工作的に作れたんですよね。
貸本で出ているものを片っ端から読んだり、付録を買って作ったりしてイメージや想像力がかきたてられていった感じですか。

堀井 そうですね。そういったものが、いろいろ積み重なったみたいな。あとはホントに島なので商店街と言いつつ海まで歩いて10分だし、川や山も歩いて10分くらいっていう。
さまざまな冒険ができた…いい環境だったんですね。中でもマンガの存在は大きかったわけですが、特に影響を受けた作家はいらっしゃいますか?
堀井 やっぱり、手塚治虫さんですかね。手塚さんの『ふしぎな少年』っていうのを読んだとき、主人公が「時間よとまれ!」って言って時間を止めちゃうのが子供心にすごい夢があるなあと思って。
幼少期は弁護士志望だったというのをあるところで読んだのですが、それがマンガ家に変わったのは中学生くらいですか?
堀井 弁護士になるっていうと大人がほめるんですよ(笑)。だから、そう言っときゃいいやって子供心に思ったんですね。それが、中学になるといきなりマンガ家になるって言い出して、普通は逆だろっていう。
普通は子供のときに夢みたいなことを言って、ある程度成長すると現実的な方に変わっていきますからね。
堀井 そう、それが逆だったんです。ちょうど『巨人の星』とか『あしたのジョー』とか出てきた時代で、完全にマンガにハマっていましたね。