カタカナの原題じゃ目立たないから、それっぽい日本語にした
エアロスミスのデビュー・アルバムは『野獣生誕』だった
単体でプロモーションするより似た仲間がいる方がよりプロモーションはしやすかった?
業界全体が活気づくからね。クイーン、キッス、エアロスミスでまとめてもらったおかげで、その3つは一緒にどこかに露出してもらえた。
でも、その3つの中だといつもエアロは3位なの。3位というより……クイーンは60万枚売れていて、キッスが30万枚。エアロは10万枚だからクイーンの6分の1なわけ。それでも『ミュージック・ライフ』が“3大ロック・バンド”って言ってくれたおかげで、エアロは今もずっと残っているようなものですよ。
そうやってエアロスミスを売りながらジャニス・イアンも手掛けています。日本のドラマと洋楽既成曲の初めてのタイアップですよね。
あれはいわゆるタイアップじゃないの。向こう(ドラマ)から持ち込まれた話でね。堀川とんこうさんというプロデューサーがジャニスを好きで、「次に手がけるドラマ(『グッドバイ・ママ』76年)でどうしてもジャニスの「ラヴ・イズ・ブラインド〜恋は盲目〜」を主題歌に使いたい。
かつて日本のテレビドラマで外国の既成曲を使ったことはないのだけれど、果たして可能なのか?」という問い合わせをくれたんです。でも、そんなのわからないじゃん、僕だって初めてなんだから(笑)。テレビ局も初めて、レコード会社も初めて。だから、いろいろと調べなければいけなくて大変でした。

ジャニス・イアン
『愛の余韻』
’76年発表
その甲斐あって、売れました。
僕が担当したアーティストの中で、1番売れたのはジャニス・イアンなんですよ。最近タイアップっていうと、CM でも天気予報でも何でも、後ろに音を流して下に名前を出せばいいみたいになっているけど、この時は違ったねぇ。音楽とドラマの内容とタイトルバックの絵と……、合わせ方の全てを計算してやっていた。合わせてはダメ、合わせてはダメを何回繰り返したことか。
それくらい、とんこうさんはこだわりを持って作っていた。本当の意味でのプロデュースですね。費やされた時間、労力があって、映像と音楽のマッチングが完成して、だからこそあの曲はヒットしたんです。
南沙織がジャニスの曲「哀しい妖精」を歌っているのも、野中さんのアイディアですか?
そうです。松任谷由実、五輪真弓、さだまさし……というニュー・ミュージック全盛期の人気シンガー・ソングライターに推薦文を書いてもらった。“こういう人たちも応援するジャニス・イアン”にしたくて。さらに広めるには、誰かにジャニスの曲を歌ってもらうのがいいと思って、酒井さん(政利氏:CBS・ソニー邦楽の看板プロデューサー)の所に行って、お願いしました。
その時酒井さんが、「“哀しい妖精”というコピーがいいね」って言ってくれて、それは、僕が書いたジャニスのキャッチフレーズで、そのまま曲のタイトルになった。僕はよくこういう昔話をするけど、ジャニスをこんなに話したことはないですよ。ザ・クラッシュとかチープ・トリックは音楽史に残るかもしれないけど、ジャニスはキャロル・キングなんかとは違うじゃない? 歴史に残る何かをしたわけじゃないから。でも、すごく数字が出たのは確かで……。
要するに彼女は、かわいそうなことに、お茶の間に入り過ぎた分だけ流行歌手になっちゃった。そこに、担当ディレクターとしてのジレンマはあるんです。神格化させるなら、売っちゃいけなかった。だから、ザ・クラッシュは売らなかった(笑)。
でも、これって、不遜な言い方だよね。だって、売ろうと思えば売れるけどあえて売らないぞって言ってるわけだから。僕がディレクターとして一番お調子に乗っている時の発言です。ジャニス・イアンは売り過ぎちゃったんだろうな。同じように思ったのは、フリオ・イグレシアスなんですけど。

フリオ・イグレシアス
『黒い瞳のナタリー』
’82年発表
この後、お話を伺おうと思っていました!
直接の担当は斉藤成人ちゃんがやっていて、僕はプレイング・マネージャーだったんですけど。成人とふたりで、当時ヒットしていたノーランズやドゥーリーズなんかを横目で見ながら、「あんなもんばっかりでEPICソニーの洋楽が評価されたらたまらないよな」なんて言ってたわけです。
でも、ボストンやチープ・トリックなんかのロックも売っているから、それはそれで流れはいい、と。だったらこのフリオ・イグレシアスは宣伝を動かさないでやろう。宣伝は、ワム!や、マイケル(・ジャクソン)とかの売れるものをやっていればいいだろう。「俺と成人だけでこっそりマイ・プロジェクトみたいにして進めよう。目指すはムード歌謡だ! 洋楽の中にムード歌謡を作ろう!! 」ということにしたの。そうしたら、NHK のニュース番組に取り上げられて、『キューピー3分間クッキング』でも使われた。新聞や一般週刊誌にアピールして、音楽専門系メディアには一切プロモーションはなし。ライナーノーツは五木寛之氏ら文化人でまとめて。
知識階級の人だけが知るアーティストが歌っているのが実はムード歌謡、というギャップが面白かったんですけど……、これが当たっちゃった。で、来日してテレビに出始めたら、もうダメ。“日本洋楽”では、担当ディレクターが情報をコントロールできる、ということが重要なわけですよ。メディアよりも評論家よりも誰よりも担当者がアーティストの情報を持っていて、それを自分の采配でコントロールすることが基本なのに、それができなくなった。いなごの大群がフリオに群がる、みたいになっちゃって。
初めてフリオを聴いた時にこれは日本でヒットするぞ、という勝算はあったんですよね?
あった! ほかにいないし、隙間だし、ラテンの中にある哀愁を帯びたメロディは日本人が好きなものだし、それにあの声だよね。これはいくぞー! と。新宿のゴールデン街で成人ちゃんが最初に聴かせてくれたんですよ。これどう? って。
インタヴュー・文/赤尾美香
野中規雄(のなか・のりお)
1948年生まれ。群馬県出身。’72年にCBS・ソニー入社。ザ・クラッシュをはじめ、数々の洋楽アーティストを手がけた。退職後は(株)日本洋楽研究会を設立。日本が培ってきた洋楽を後世に残そうと働きかけている。FM COCOLO 放送のラジオ番組『PIRATES ROCK』の制作も6年目に入っている。