STAGE SIDE STORY〜エンタメライター 片桐ユウのきまぐれ手帖〜  vol. 12

Column

vol.12 自分の時計を見る

vol.12 自分の時計を見る

演劇、舞台をメインに執筆しているライターの片桐ユウが、芝居やエンターテインメント全般に思うことを綴っていくコラム。作品は人に様々な感情をもたらすもの。その理由やルーツを訪ねて飛び回ってみたり、気になった場所を覗き込んでみたり、時には深堀りしてみたら、さらに新しい気づきがあるかもしれない。“エンタメ”とのコミュニケーションで生まれるものを、なるべく優しく大切に。

今号は“動かないエンタメ”に動かされた話。


「つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
──道路掃除夫ベッポ/『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)より

どうにも仕事が立て込んで「ワーッ」となりそうな時、戒めのように思い浮かべるフレーズがある。小説『モモ』に登場する、道路掃除夫ベッポの言葉だ。

この台詞はベッポが主人公の少女・モモに語る言葉なのだが、決してモモがアドバイスを求めたり、ベッポが偉そうに講釈を垂れる場面ではない。
とても物静かで、周囲の人からは「おかしなじいさん」と思われている老人・ベッポは、モモという最高の聞き手に出会って初めて、自分の思考を言葉に出来るようになる。そこで仕事のやり方について彼がとつとつと語る中に、この手法が描かれるのだ。

「とっても長い道路を受けもつことがよくある」から始まる、ベッポ流の掃除の心得。膨大な仕事量を前にして、必死でせかせかと働いてもすぐには片付かない。「しまいには息が切れて、動けなくなってしまう」とベッポは首を振る。

そして「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん」という言葉から冒頭の台詞に続き、ひとやすみして考え込んだ後。ベッポは「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる」「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる」と述べるのだ。

物事を一気に終わらせようとしても無理で、まずは目の前にある一つひとつを片付けていくことに集中する。そうすればいつかは全てをやり遂げることが出来る。
思考の整理術などにも、似たようなことを言っているものがある。おそらく作者、ミヒャエル・エンデの描くベッポが掃除をしている“道路”とは、思考や人生そのものの喩えなのではないだろうか。

ミヒャエル・エンデの作品は寓意が過ぎると言う人もいるけれど、私は彼の作品がとても好きで、こうして今も心に留めているものが多い。
いわゆる「いっぱいいっぱい」になって倒れ込みそうな時に杖となったり、倒れ込んだ時のクッションになったり、起き上がろうとする時の支えになったりするものが、数々の名著に記された言葉であるなあと思う。

もちろん絵画に刺激を受けたり、音楽に救われたという人もいるだろう。劇場体験が人生を決めたという人も知っている。エンタメの全ては「人生の友」となるもので、その可能性はジャンルを問わない。

今回“名著”と限定したのは、『モモ』が取り上げられたことをキッカケにして、自分がNHK Eテレの教養番組『100分 de 名著』にハマっているからである。

25分番組で4回に渡り、ひとつの作品、あるいはひとりの作者の作品群を読み解いていく番組だ。テーマとなる作品を俳優の「朗読」と、「語り手」がまとめる映像で紹介。スタジオでは司会が指南役のゲストを迎えて、トークによって作品を深めていく。

ゲストは学者や作家といった専門家の方々が中心。その視点から鋭く、時にユーモアを持って作品を繙(ひもと)く。司会の安部みちこ、伊集院光の受け取り方や噛み砕き方が素晴らしい。朗読を担当する俳優たちの顔ぶれも豪華で、その背景となるセットも象徴的で美しいものばかりだ。「語り」による映像も分かりやすく、どのジャンルにも入り込みやすいものとなっている。さらに言うと、公式ホームページのデザインもオシャレ。

2011年から愛されている長寿番組だが、私がきちんと視聴したのは2018年9月に放送されたスペシャル『100分 de 石ノ森章太郎』が初。100分という時間の中で出演者たちが語る内容の濃さと丁寧な解説の虜になった。
そこから欠かさずに視聴しておけば、モンゴメリの『赤毛のアン』を読み解く回に間に合ったものを……と正直悔やんでいるのだが、遅まきながらも毎週楽しみに視聴する番組が出来たことを幸運に思うことにしている。

2020年8月に放送された『モモ』から、デフォーの『ペストの記憶』、『谷崎潤一郎スペシャル』、『伊勢物語』と欠かさずに視聴中。読んだことのある作品の解読には新たな見方を教わり、触れたことのない作品のピックアップには興味を唆られている。

「100分」という限られた時間「de」「名著」を知る。それは最近流行りの「早い・短い・分かりやすい」の先取り……と言えなくもないが、現代人の時間の使い方に警鐘を鳴らす『モモ』の解読を終えた伊集院光が「大事なのは、ここからきっかけで僕は今、読み始めたんです」とコメントしたように、“これから”に「生かせる」ものが込められている、あるいは「生かしたい」と思えるテーマを持つ作品が取り上げられているように思う。

今年はマルクス『資本論』の読み解きから始まっている。『ペストの記憶』の回と同じく、現代社会に渦巻く人間の心理にハッとさせられ、己の振る舞いや価値観を見直すことの連続だ。

年末のブルデュー『ディスタンクシオン』の回では、「趣味は闘争である」というインパクトの強い言葉から始まる“界”の概念が説明されていた。
社会学の名著であるが、エンタメを取り巻く中にも、ぶっとく流れている考え方だなと深く頷き、考えされられるところがあった。エンタメだって社会の仕組みのひとつなのだから当然なことではあるのだけれど、とかく分断されがちの風潮の中にあると、勝手ながら結び付きに感動してしまう。

『伊勢物語』で語られた「無理強いしない」という“みやび”の考えも素敵だった。在原業平がその才覚を持って豊かな表現を込めた歌の数々。だがそこには「人間が全部分かることを目指さない」という謙虚さが感じ取れるという。
エンタメでも白黒付けねば気が済まない、何であるかをハッキリさせねば存在も許さない、というかのような厳しさが目立つことがある。「余白」や「余地」を楽しむという余裕が自分になくなっている時には、これを思い返そうと思った。余裕がなくなっている時に思い返す余裕はあるのか?……と、自分で自分を混ぜっ返しながら思った。

『谷崎潤一郎スペシャル』では、「終生旺盛な執筆活動を続けた」谷崎潤一郎という作家を論ずる中で“老人文学”が語られた際、伊集院光が「“少年ジャンプ”を読んできた世代が成長して“ヤングジャンプ”が誕生した。とすれば、その内にシニア向けの“老人ジャンプ”も作られるのではないか」とコメントしていたことにも「なるほど!」と思い、“2.5次元ミュージカル”に重ねて考えたりもした。

漫画・アニメの世代が広まっていくのであれば、それを原作とした“2.5次元”のジャンルだって裾野を広げて当然。中心となって活躍してきた俳優陣が歳を重ねてきたことも、メリットに作用するのではないだろうか。

……と、前回のvol.11に引き続き、つなげていく楽しさにひとりウハウハと喜んでいる。コロナ禍で他人との交流が少なくなったからなのか? などと一応考えてみたが、たぶんこれは自分の通常営業だ。

時代の目まぐるしさに、心のゆとりを保つのが難しいなと感じる時には、静止したエンタメである文章や文字を一つひとつ、マイペースに読み進めていくこともいいものだなと思う。
自分が追い付くまでそこで待っていてくれる名著の言葉たちと、その言葉に動かされて広がっていく思考や感情から、きっとまた新しいエンタメも芽吹いていく気がする。

文 / 片桐ユウ

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