佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 174

Column

宮本浩次と寺尾 聰~日本のスタンダードとレジェンドが登場したNHKの『カバーズフェス2020』で観た二人!

宮本浩次と寺尾 聰~日本のスタンダードとレジェンドが登場したNHKの『カバーズフェス2020』で観た二人!

12月27日にNHKBSプレミアムでオンエアされた『カバーズフェス2020』の1曲目は、昭和の歌謡曲におけるスタンダードとして知られる「喝采」だった。

それを唄ったエレファントカシマシの宮本浩次は、カバー曲のソロ・アルバム『ROMANCE』が話題になっていることで、いわば“時の人”であった。

番組が始まって1曲目に、「♪いつものように幕が開き 恋の歌うたう私にー」と唄い出す趣向からして、時代性を意識したかのような演出のセンスに驚かされた。

それが生演奏で生の歌唱だったからこそ、ちあきなおみの名唱に勝るとも劣らない、劇的な歌声による幕開きとなったのだ。

しかも偶然とはいえ作曲した中村泰士さんが、一週間前の12月20日にご病気で亡くなった直後だった。

そのことでメディアからの訃報が、多くの音楽ファンにまでいきわたっていた。

だから宮本浩次が情感を込めて唄うにともなって、ぼくの脳裏には3年前にお目にかかって話を聞いたときの、中村泰士さんの人懐っこい笑顔が浮かび上がってきた。

2014年3月31日に始まった『カバーズ』は、アーティストがジャンルや世代を超えて、日本の名曲をアレンジしてカバーする音楽番組である。

番組概要にはこのように主旨が明記されている。

歌は、歌い継がれることでスタンダードとなり、永遠の命を授けられます。

つまり生演奏で名曲をカバーして、 後世に歌い継がれるべき楽曲を視聴者に届けるという、 “大人のための音楽トーク番組”なのだ。

それが回数を重ねることでインテリジェントな番組に育っていったのは、司会進行役を引き受けたリリー・フランキーの落ち着いたトークと、音楽や時代をテーマにした自然体の会話によるものだと言える。

音楽を受けとめる人間の感性は、年齢も国境も超えてつながっていく。

コロナウィルスの感染を防ぐために、生の音楽に触れる機会が一気に減少した2020年の終わりに、NHKが観客を入れた状態で番組を収録したことは、それなりに大きい意義があったとぼくには思えた。

この日にカバー曲を唄ったアーティストは以下の順であった。

■宮本浩次 「喝采」(ちあきなおみ/1972)
■鬼束ちひろ 「飾りじゃないのよ 涙は」(中森明菜/1984)
■氷川きよし 「GET ALONG TOGETHER-愛を贈りたいから-」(山根康広/1993)
■GLIM SPANKY 「まちぶせ」(石川ひとみ/1981)
■池田エライザ 「ゴッドファーザー~愛のテーマ」(1972)
■秦 基博 「春よ、来い」(松任谷由実/1994)
■宮本浩次 「異邦人」(久保田早紀/1979)
■氷川きよし 「雪の華」(中島美嘉/2003)

そして番組の中盤で日本のレジェンドとして取り上げられたのが、バンドマン出身でありながらも、1970年代から主に俳優として活躍してきた寺尾 聰である。

1960年代の半ばにカレッジ・フォークの「ザ・サベージ」を結成し、ベースギターを担当してレコード・デビューを果たした寺尾 聰は、「いつまでもいつまでも」と「この手のひらに愛を」がヒットしたものの、まもなくグループを脱退してしまう。

そこからザ・ホワイト・キックスというグループ・サウンズに参加したが、バンドは1968年に解散を選んだ。

寺尾 聰は同じ年に俳優として、石原裕次郎が製作・主演した映画『黒部の太陽』でデビューを果たしている。

その後は石原プロモーションが製作するテレビドラマ『大都会』、『大都会 PARTIII』(日本テレビ)、『西部警察』(テレビ朝日)などにレギュラー出演して活躍していった。

サングラスをかけてクールな出で立ちで、ときおり見せるニヒルな笑顔がトレードマークだった。

人気俳優になった寺尾 聰がふたたび音楽シーンで脚光を浴びたのは、1980年代に入ってすぐのことである。

同じ世代のミュージシャンたちとともに、都会的なサウンドの『Reflections(リフレクションズ)』という、見事なAOR(アルバム・オリエンテッド・ロック)を創り上げて第1人者になったのだ。

そこで大きな役割を果たした編曲家の井上鑑は、当時のレコーディングで感じた気持ちの余裕と、”自由にやらせてもらった”ことについて、インタビューの中でこのように述べていた。

メガヒットするという予測もあまりなく、自由にやらせてもらいました。苦労もしてないですし、楽しく作業してましたよ。寺尾さんのレコーディングはガツガツしてないというか、役者として当時すでに売れていたこともあって、そんなに “この曲をヒットさせなければ!” っていう感じでもなかったんで、音楽好きが集まって純粋に好みの音楽を作ったって感じでしたね。急かされることもなく。
(川瀬康雄+吉田格+梶田昌史+田淵浩久 著『ニッポンの編曲家』BU BOOKS 2016)

しかしながら、こうしてシングル・ヒットした「ルビーの指環」 にしても、ミリオンセラーになったアルバム『Reflections』にしても、音楽シーンの本流にいなかったためなのか、センセーションを起こした割にはいまひとつ音楽面で、正当に評価されなかったという印象だった。

たとえば史料価値のある『現代風俗史年表』では、“「ルビーの指輪」大ヒット”という見出しで記載されていたが、曲名の“指環”からして間違っていた。

そして本文もどこかしら微妙に、実際とは異なっているように思えたのだ。

「西部警察」のリキこと寺尾 聰が、さりげなくマイペースで歌う自作の曲「ルビーの指輪(ママ)」(詞:松本隆 曲:寺尾 聰)がビートルズ世代にうけ、寺尾本人の生き方やファッション感覚とともに大人気。この年の各大賞を総ナメにした名曲。LP「リフレクション(ママ)」(東芝)もミリオンセラーに。
(世相風俗観察会編『現代風俗史年表 1945-1985年』河出書房新社1987)

いまでいうならシティポップスの最前線で一世を風靡する成果を上げたにもかかわらず、文化史での評価もやはり周知されたと言えないままになった。

しかし今回の『カバーズフェス』では、“音楽好きが集まって純粋に好みの音楽を作った”という、当時のプロジェクトの素晴らしさが映像と音楽によって、はっきりと視聴者に伝わってきたのである。

唄と演奏は「HABANA EXPRESS」、「出航 SASURAI」、「ルビーの指環」とオリジナルの3曲だった。

それぞれに個性的なリフや16ビートのリズムがあって、自然に身体が動き出すアレンジとグルーヴが圧巻だと思った。

レコーディングしたオリジナル・メンバー中心のバンドも、円熟味を感じさせるばかりか、生き生きとした演奏が光っていた。

司会のリリー・フランキーが「ルビーの指環」について、こんな感想を口にしたことも印象に残った。

「あの時代はこんな洗練されたAORを子供達も聴いていたんですよねぇ」

そういえばと思い出したのは、寺尾 聰が大きくブレイクしたことによって、日本ではAORがアダルト・オリエンテッド・ロックと呼ばれるようになり、「大人向けのロック」のイメージが広まったことだった。

本来のアルバム・オリエンテッド・ロックではなく、こちらの解釈の方が定着したのである。

ところで圧巻だったレジェンド・コーナーが終わった後で、うれしそうに登場した宮本浩次が寺尾 聰から、「お前、歌上手いな」と言われたと語ったシーンも、テレビならではのアドリブ的な会話がうまく活かされていた。

モノマネ風の口調で、「バンドと両方やったらいい」とも言われたと、心の底からうれしそうに話す表情から、ぼくは日本の音楽シーンがここにきて、まさに円熟してきていることを教えてもらった気がした。

NHKがテーマ性を持った音楽番組に取り組んだのは、1961年の4月に始まった『夢であいましょう』からである。

したがって来年はちょうど60周年を迎えるのだが、番組のためにつくられた書下ろしの曲のなかから、中村八大が作曲して永六輔が作詞した「上を向いて歩こう」(歌:坂本 九)が誕生し、今では世界のスタンダード曲になっている。

そうした歴史を受け継いできた音楽番組として、『The Covers』にはテレビというメディアが持つ伝播力の強さと、NHKならではの懐の深さが感じられる。

今回は宮本浩次と寺尾 聰に圧倒されたが、来年で8年目になる番組がさらに発展し、大人に向けた音楽シーンを活性化させてほしいと願わずにはいられない。

写真提供 / NHK

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートを手がけている。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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