
12月23日に発売される『河合奈保子 NAOKO ETERNAL SONGS』には、全部で4枚のDVDに113回分の歌が収録されている。
TBSの人気番組『ザ・ベストテン』の映像だけで56ヴァージョンもあったが、ぼくはリアルタイムで河合奈保子を目にしたことも、歌を聴いたこともなかった。
したがって、すべて知らない曲ばかりだった。
しかし1980年代の音楽文化アーカイブにおける貴重な記録として、じっくりと拝見させていただくうちに、さまざまなことへ思いをはせることになった。
事前に情報としてわかっていたのは、彼女がアイドルとして世に出るきっかけが、西城秀樹の名を冠した新人発掘オーディション『HIDEKIの弟・妹募集オーディション』で優勝したことだった。
そのために所属したプロダクションも同じ芸映で、1980年にアイドル歌手としてデビューしてからは、順調に成長しつつも安定した音楽活動をしたという、仄聞(そくぶん)だけだった。
当時のぼくは芸能界の話題に関心がなくなってきた時期で、もっぱら本ばかりを読んでいた記憶がある。
ただしTBSが1978年に始めた『ザ・ベストテン』だけは、当然ながら仕事の関わりもあったし、情報番組的な要素も加わっていたので、1980年の年末くらいまでは関心を持って見ていた。
しかし歌謡曲の中で最も好きだった山口百恵が引退を発表したことや、同じくらいに好きだった西城秀樹が「ヤングマン(YMCA)」で大きくブレイクしたために、そこからロックの匂いが薄まって残念に思うことなどが続いた。
今になって振りかえれば、ドキュメンタリーとドラマ以外のテレビをあまり観なくなったのは、そのあたりの影響だったのかもしれない。
そんな時期に重なっていたので、河合奈保子の登場や活躍には接点がないまま、長い歳月が過ぎたのである。
ところが昨年になって、TBSで働いている知人のHさんから、映像作品を手がけていることを知らされて、初めて表現者としての河合奈保子に関心が向くようになった。
それから1年ぐらいが過ぎてHさんにお目にかかった時、こんな話を聞かされたことで、さらに興味がわいてきた。
「竹内まりあさんの曲は、作家としての、まりあさんの力がほとばしり出ています」
「アイドルからアーティストへ脱皮する過程、そしてバックミュージシャンのメンツから、80年代の音楽シーンのすごさを改めて感じます」
長く活動を休止しているアイドル歌手としてではなく、才能も実力もあった表現者として、河合奈保子の映像作品を通じて何かが伝わってくるかもしれない――、そんな気がしてきたのだ。
すると作品が完成したらしく、12月23日に発売されるというメールが届いた。
タイトルは「NAOKO ETARNAL SONGS」だった。
その「永遠の歌」という言葉から、ぼくにはHさんの思いが伝わってきたような気がした。
というのもメールの最後に、「歌の、そして音楽の力は、無限ではないでしょうか」というひとことが、添えられていたからである。

DVDを見ていくうちに自分のなかで、1980年ごろの記憶がよみがえってきたのは、『ザ・ベストテン』という番組を映像で支えていた豪華な美術のすごさに、あらためて触発されたからだった。
その美術をつくっていた三原康博さんとは、21世紀に入ってから知己を得たことで、アイディアのもとになったエピソードや、具体的なセットの作り方について、いろいろとお話を聞かせていただいたことがあった。
そこからの連想で思い出したのは、三原さんが河合奈保子の「北駅のソリチュード」について、著書『ザ・ベストテンの作り方』の中でこのように語っていたことだった。
これは僕がぜひ紹介したいと思っているセットなんです。非常に要領よくできている。それでかなりリアリティがあって、みんなにびっくりされました。一見すごく大がかりなセットのように見えるのだけれども、実はこれ、モノクロの写真を切り出して、ただポンポンと置いているだけなんです。
(三原康博 著『ザ・ベストテンの作り方』双葉社 210ページ)
そこでまずそのセットを観ようと思って、DISC2「NAOKO in ザ・ベストテンⅡ」の13、14、15曲目をチェックしてみた。
なぜならば1984年の12月からオンエアされた「北駅のソリチュード」は、3回分の映像が収録されていたからである。
そしてお目当てだったリアリティのあるセットが、1985年1月10日の放送だったことがわかった。

(三原康博 著『ザ・ベストテンの作り方』双葉社 208~209ページ)
『ザ・ベストテン』はセット以外にも、さまざまな場所からの中継映像が有名になったが、それについては全18回分が収録されていた。
これもリアルタイムでテレビを観ていた人には、かなり感慨深いものではないかと思えた。
ぼくは最後まで見続けていくうちに、河合奈保子というアイドル歌手が、アーティストへと成長していくことにも気づかされた。
初期の代表作だった「けんかをやめて」を、ピアノの弾き語りと弦楽五重奏で唄ったアコースティック・ヴァージョンでは、最後に思わず拍手をしたくなった。
そのほかに好印象だったのは「Invitation」だが、どちらも竹内まりやの作詞作曲で、どことなく60年代ポップの香りがした。
そしてDISC4「NAOKO on TV」の後半になってからは、自作の作品が多くなっていく。
「ハーフムーン・セレナーデ」と「ノスタルジック・ダンステリア」の2曲では、特に音楽的なクオリティの高さに驚かされた。
こうした切り口でまとめられた映像作品の「NAOKO ETARNAL SONGS」は、これまでになかった画期的な試みであり、新しい挑戦だとも思えてきた。
アイドルからアーティストに成長していった表現者として、ぼくが40年遅れで河合奈保子に気がついたように、日本にはまだまだ発見されてしかるべき才能が、知られずにいるのではないかとも思った。
このような挑戦が今後とも行われてほしいし、それが実現することを願って、ひとまず今回はペンを置くことにしたい。
河合奈保子の楽曲はこちら

DVD-BOX『河合奈保子 NAOKO ETERNAL SONGS』
https://shopping.tbs.co.jp/tbs/product/P0098760?program=0012&airdate=20201116
著者プロフィール:佐藤剛
1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートを手がけている。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)
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