オトナに響くストーリーマンガ  vol. 11

Review

2020年をマンガで振り返り! ステイホーム期間を見つめなおす「インドア」編

2020年をマンガで振り返り! ステイホーム期間を見つめなおす「インドア」編

コロナでステイホームが推奨される世の中になった。この1年を振り返るということで、ステイホームつまりインドアな作品と、その反対であるアウトドアをキーワードに作品を選んでみた。まずは「インドア」な作品から。後日公開予定の後編では「アウトドア」な作品を扱う。

文 / 永田 希


生々しい「抜け出せない感覚」――『A子さんの恋人』

今年2020年もマンガは豊作だったが、なかでも『A子さんの恋人』完結巻が刊行されたのは印象的だった。

東京・高円寺とNY、海を越えて行ったり来たりする本作が「インドア」? といぶかしむ読者もいるだろう。しかし本作の主人公はタイトルにもあるふたりの「恋人」のあいだで右往左往している。その抜け出せない感じが本作のひとつのキモである。抽象的な意味になりはするが、そのような意味で本作は「インドア」の最たるものではないだろうか。

この抜け出せない感じは学生時代の友達との交友関係や、マンガ家としての自分のデビュー作と向き合うなかで発展的に解消される。自分自身にも、高円寺にいる元恋人「A太郎」にも、ニューヨークに住む「A」にも、それぞれが何かから抜け出そうとしていて、それぞれなりに向き合っている。この「出口の見つからない感じ」に、多くの読者が共感を覚えたのかもしれない。

ニューヨーク在住の著者じしんの日常を描いた『ニューヨークで考え中』の最新刊も今年刊行された。新型コロナウィルスによる騒動に巻き込まれていく様子がリアルだ。こちらは今後も続刊が予定されているとのこと。

なお、第6巻刊行時に筆者が本作を取り上げた記事は以下。アート作品も発表する著者の近藤聡乃が「ラブコメ」というジャンルマンガを描くことのおもしろさや、主人公の英子=A子がマンガ家であるという設定を踏まえた本作の「入れ子構造」に注目しながら読み解いているので、完結した今また本作の手引きとしていただけたら幸いだ。

現代美術作家がラブコメマンガを描いた!? 近藤聡乃『A子さんの恋人』の、一筋縄ではいかない世界に分け入る

現代美術作家がラブコメマンガを描いた!? 近藤聡乃『A子さんの恋人』の、一筋縄ではいかない世界に分け入る

2020.03.20

「家」「部屋」の閉塞感、「囚われ」と「呪い」――『さんかく窓の外側は夜』

霊感はあるが霊的なものへの対処法を知らなかった「三角」と、彼に目をつけて接近する除霊師「冷川」を中心に、呪いの才能を持つ少女「エリカ」、エリカや地元の暴力団や宗教団体を利用して街に呪いを張り巡らす「先生」。それぞれの過去が絡み合う。

同作者による『違国日記』も主人公ふたりが暮らしている家の中でもっぱら話が展開するという意味では「インドア」的だと言えるかもしれないし、むしろ街中のシーンが少なくない本作の方は比較的「アウトドア」なのではと思われるかもしれない。とはいえ、一読してもらえばわかってもらえるとおり、本作は「呪い」による結界に囚われた人々を描いている。その「囚われ」を描くために「家」あるいは「部屋」は恰好のモチーフだということにあらためて気づかされるだろう。

それを端的に物語る場面は、探してみると本作には無数に見つかる。そのなかでも、作中に繰り返し登場する「出られない家」のエピソードは象徴的だ。主人公ふたりとは、ある事件でかかわる以上の因縁を持たないこの「家」は第3巻第13話が初出。

そういえば今年、話題になったNetflix日本オリジナルドラマ作品『呪怨:呪いの家』はそのタイトルの通り「家」そのものがおぞましい場所として設定されていた。冷川のもとに「庭の池がおかしい」という依頼があり、その「家」を冷川と三角のふたりが訪れるところから第13話ははじまる。「家」に住む美女と似た顔の、悪霊のような妖怪のような存在が登場しこそはするものの、冷川は「それ」を退治しない。第8巻と第9巻にこの「家」と美女はふたたび登場するのだが美女は「それ」と同化しており、来訪者を囚えて「呪い」を遂行しようとしている。

この「家」に、不本意ながらふたたび足を踏み入れることになった三角は美女から「憎しみや呪いだけを生きがいにしている大罪人、憎しみが全てであるような人でも救いたいか」と問いかけられる。これはメインエピソードの方で三角が直面することになる展開の核心をついた問いかけだ。「家」での口頭の質問に三角は即答できなかったが、いざその決断が求められたとき、どのような行動がとられるのか。

本作は年明けに実写劇場版が公開予定、連載完結と同時にアニメ化も発表された。映像媒体でどのような「閉鎖空間」が描かれるのか、楽しみである。

顔の無い主人と、その「生き人形」の物語――『シャドーハウス』

シャドーと呼ばれる、真っ黒な姿で「顔の無い」主人と、彼らから「生き人形」と呼ばれる「顔のある」キャラクターたちの物語。複数の棟で構成される、シャドーたちの集団(シャドー一族)の邸宅の内部で物語は展開する。

本作の主人公は、シャドー一族の一員であるケイトと、ケイトに仕える「生き人形」であるエミリコ。少し怒りっぽいが理知的なケイトと、いつも天真爛漫なエミリコとのふたりは、性格は対照的だがシルエットはまったく同じ。顔の無いシャドー家の者にとって「生き人形」は、個性そのものでもある。シャドー家の者は黒い「すす」を出してしまうため、エミリコたち「生き人形」は掃除などケイトの世話に大忙し。シャドー家のしきたりにのっとり、エミリコたち「生き人形」のお披露目が執り行われたり、「大人」になるべく講義を受けたり、ふたりの日常は少しずつ変わっていく。

登場キャラクターの半分が表情をまったく読み取れないベタ塗りであり、輪郭だけは半分重複する、という異例のマンガ的表現技法の挑戦をしていながら、次々と繰り出される複層的な謎、「生き人形」たちの生き生きとした姿、そしてベタ塗りで表情が描かれないにもかかわらず、それを補って余りあるシャドーたちの個性には驚くしかない。

奇抜な設定はしかし、本作をおそらく貫いていると思われる世界観というか人間観を描き出すのに必要なものである。これ以上はどう書いてもネタバレになるうえ、それによって読者の楽しみを損いたくないと思うので、ここまで読んで興味を持った読者はすぐに読み始めてほしい。

「死ぬのも怖いが、生きるのも怖い」――『あした死ぬには、』

42歳の主人公、本奈多子(ほんな・さわこ)は焦燥感と自分の動悸の鼓動音とともに目覚める。更年期を迎えた女性が主人公の本作。本奈の勤め先は映画の広報会社、業界的には映画のイメージはインドアのきわみといったところだ。もっとも本奈はかなりハードに働いており、家、会社、イベントと目まぐるしく移動している。そのあいまに友人と話したり、仕事や人生に悩んでいるというわけだ。

またしても抽象的になるが、この自分の人生から逃げられないという感覚を指してインドアというのに無理はあるだろうか。加齢によって自由が効かなくなる身体、キャリアを積んだことで抜けにくくなる仕事や人間関係、やり直しができないわけではないが、それにかかるコストを捻出するのにひと苦労……。本作はそのような「あるある」と言ってしまうとあまりに軽々しく感じられる、身に迫るような感慨を実に軽快なタッチで描いているところがいい。時々、描かれている内容の迫真なことと、筆致の軽やかさのギャップが独特のそら恐ろしさを醸し出すほどだ。

仕事や人生に悩んでいるのは本奈だけではない。本奈の高校時代の元同級生たちの姿も描かれる。「50代でポックリ死にたい」と無邪気に語り合っていた頃の同級生たちの人生は多様だ。家庭を持っていたり、無職で親のスネをかじっていたり、生きた年数が積み重なるほど、互いの違いは大きくなっていく。

印象的な本作のタイトルは「今日死ぬには」早すぎる、では「あした」は? という、少しだけ人生に倦んだ本奈の、かといってすぐに死にたいわけではない、「死ぬのも怖いが、生きるのも怖い」という漠然とした気持ちを思い起こさせる。

本作で描かれているのは、平均年齢が伸びたこの社会に生きる誰でも経験しうる世界だ。若くはないが、老いたというほどでもない。その中間の、まさに「中年」という時間に生きているあいだにやってくる戸惑いや焦り、それでも無くしたわけではない色々の希望や喜び。

マンガならではの、現実にはなかなか起こらないような出来事も描かれているが、全体的に「気がついたらこうなっていた」という驚きを味わったことのある大人の共感を誘う作品だ。もしかしたら慌ただしく、あるいは案外と淡々と、1年を締めくくりこれからのことを考えるのに疲れた時にぜひ読んでみてほしい。

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