
キャニオンレコードから「アザミ嬢のララバイ」が発売されたのは1975年9月25日、レーベルはヤマハ音楽振興会と提携していた「アードバーク」だった。
その当時、ぼくは音楽業界で働き始めて3年目だったが、「アザミ嬢のララバイ」を発売の前に聴いて、なぜかとても気に入って愛聴するようになった。
そもそも「アザミ嬢」という造語の響きが、初めて聞いた言葉にも関わらず、どこか懐かしい感じがしたのである。
自分で歌をつくって唄う人らしい、独特のセンスが感じられたとも言える。
そして新人編曲家の船山基紀のアレンジが斬新だったので、リズミカルなピアノのイントロから早くも何かが始まる――、そんな予感がしたのを覚えている。
これがもしもポプコンの入賞曲だった「傷ついた翼」だったら、どうなっていたのかと考えてみると、「アザミ嬢のララバイ」を選んだ人に拍手をしたい気持ちになる。
ララバイ ひとりで 眠れない夜は
ララバイ あたしを たずねておいで
ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの
春は菜の花 秋には桔梗
そして あたしは いつも 夜咲く アザミ
ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜は どこからかけてるの

ぼくは北海道のアマチュアだった中島みゆきがポプコンで唄った「傷ついた翼」を認められて、プロとしてデビューすることになったのだと理解していた。
しかし9月に発売されたシングル盤は「アザミ嬢のララバイ」で、「傷ついた翼」はB面にも収録されなかった。
そして中島みゆきは10月に「時代」を唄って、第9回ポピュラーソングコンテストで優勝する。
さらには11月16日に日本武道館で開催された「第6回世界歌謡祭」でも、堂々のグランプリに選ばれて脚光を浴びたのである。
ぼくはその数日後に彼女を取材することになった。
それをまとめた記事は11月24日発行の週刊ミュージックラボに掲載されたが、要点をまとめるとこんな内容だった。
「アザミ嬢のララバイ」のように私小説的な歌が、自分と同じ年齢の女性から生まれてくることは理解できたが、「時代」のようなスケール感を持つ普遍的なメッセージ・ソングが、どうして生まれてきたのか。
それがぼくにはよくわからないのだと言って、彼女にその疑問を投げかけてみた。
すると彼女は慎重にことばを選びながら、ソング・ライティングの方法を訥々という感じで、こんなふうに話し始めた。
「現実に生きている私と、もう一人の私が、隣なり、後なりにいるんです。そのもう一人の私から送ってくる、何かを私は待っているんです」
彼女は幼稚園の頃から無意識のうちに、自分の歌を唄っていたらしいとも語った。
「変わってないのかなあ。ずっと前から、歌は一部分だったような気がします」
きちんと理解できたわけではないが、十分に納得がいく言葉が聞けたので、ぼくはノートに「もう一人の自分」と書いて取材を切り上げた。
まだ30分も経っていなかったが、それ以上の話をする余裕も経験もなかった。
だが自分では「これだ!」と思える話が聞けたので、記事の最後をこんなふうにまとめて、その日のうちに入稿した。
世界歌謡祭のグランプリ受賞の栄光を手にしても、自分自身のために歌っていく姿勢は、一生変わることはあるまい。その一貫した歩みの中で、おそらく日本の音楽界に確かな足跡をしるしていくのであろう。
それから始まった彼女の一貫した歩みは、45年の歳月を積み重ねて、今では誰もが知るところとなっている。

ところで今年になって発表された「中島みゆき 第二詩集 四十行のひとりごと」にあった詩の「産土(うぶすな)」という活字を目にして、ぼくは初めて「うぶすな」という言葉と出会い、読み方と意味を知ることになった。
しかしその詩を読んでみたら、なぜか1行目から懐かしさを感じてしまった。
既視感、いや、既聴感があったのだ。
うぶすなは 何処(どこ)ですか
理屈抜きに 懐(なつ)かしい土の匂(にお)い
土の性質が異(こと)なれば 咲く花の色も異(こと)なる
うぶすなは 鼓動(こどう)の揺(ゆ)りかご
揺(ゆ)りかごに収まらぬ図体(ずうたい)に育ってのちも
理屈抜きに 慕(した)わしい守(も)り歌(うた)
冒頭からここまでを何度か読み直していて、不意に気づいたのは、守(も)り歌(うた)とはララバイ(lullaby)なのではないか、ということだった。
そうだとすれば、うぶすなはアザミ嬢にも重なってくる。
そう思いながら「産土(うぶすな)」の詩を読み進めると、途中からこのように展開していった。
人間は共通の敵がある時にだけ協力して闘って来たが、共通の敵がない時には互いを敵と見做して闘って来たという。
遠い星の架空の生物の話ではなく、同じ血から別れた人間がそれを為出(しで)かして来た。
世界中では今も闘いが行われている。
旅につれて人間は 本来のうぶすなを忘れてしまった
忘れてしまって その後(あと)に迷った何処(どこ)やらを
間違(まちが)えて 覚え込んでしまった
しかし、うぶすなは気がいいので、何時どの子が帰ってきても迎える仕度をしている。
どの子がどの子と争っていても、じっと待っている。
両方それぞれを見放さずに 迎える仕度をしている。
うぶすなは迎えた子らをふたたび送り出すとき、「行っておいで」と声を掛ける。
「産土(うぶすな)」を最後まで読み終えて、ぼくはアザミ嬢とはうぶすなかもしれないと想像した。
詩はこのようにして終わっていた。
昔々いちばん最初に 此処(ここ)から送り出した時と同じに
「行っておいで」と声を掛(か)ける
風の音に紛(まぎ)れて 人間は それを
聞(き)き逃(のが)してしまったのかもしれない
「陽気で行っておいで」って
うぶすなは 言ったんだ
うぶすなは「行っておいで」と声を掛けて送り出す。
アザミ嬢は「どうしたの?」と声を掛けて寄り添う。
どちらも、中島みゆきという表現者にとって、「もう一人の自分」だったのではないだろうか。
そんなことを考えていたら、新しいアルバムが12月2日に出ることを、ツイッターの情報で知った。
セレクトアルバム『ここにいるよ』の選曲テーマは“エール”で、生きる勇気を鼓舞するヒット曲の「エール盤」と、多くの人と一緒に悲しみ、悩み、前を向く 「寄り添い盤」による2枚組だという。
「時代」は“エール盤”に、「アザミ嬢のララバイ」は“寄り添い盤“に収録されている。
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著者プロフィール:佐藤剛
1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートを手がけている。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)
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著者:佐藤剛
ボイジャー
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