STAGE SIDE STORY〜エンタメライター 片桐ユウのきまぐれ手帖〜  vol. 9

Column

vol.9 情熱と応援のラリー

vol.9 情熱と応援のラリー

演劇、舞台をメインに執筆しているライターの片桐ユウが、芝居やエンターテインメント全般に思うことを綴っていくコラム。作品は人に様々な感情をもたらすもの。その理由やルーツを訪ねて飛び回ってみたり、気になった場所を覗き込んでみたり、時には深堀りしてみたら、さらに新しい気づきがあるかもしれない。“エンタメ”とのコミュニケーションで生まれるものを、なるべく優しく大切に。

今号は、“シリーズ”が続く理由を考えてみた結果。


「なあ 覚えてるか? Do you…Do you remember?」
──「Season」ミュージカル『テニスの王子様』

【vol.4】にて、「卒業」をテーマにミュージカル『テニスの王子様』=通称“テニミュ”について触れた。

その後、5月に開催予定だった「Dream Live 2020」に代わるキャストたちの卒業イベントとして、ミュージカル『テニスの王子様』Dream Streamの配信が発表された。出演予定だったキャストたちによる撮りおろし映像を、卒業メモリアル映像作品として11月15日(日)から配信。この企画をもってミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズンはファイナルとなる。

アリーナに立つ彼らの姿を直接見たかったという想いはあるが、それ以上に日々変動する状況下で「卒業」の場を設けようと模索し、その機会を作り上げたカンパニーの強さに敬意を抱く。

そして驚いたのが、ほぼ同時期に発表されたミュージカル『新テニスの王子様』とミュージカル『テニスの王子様』4thシーズンの上演決定である。

漫画『新テニスの王子様』は、『テニスの王子様』の続編。全国中学生テニストーナメント全国大会を終えた主人公・越前リョーマたちが、U-17日本代表合宿に特別参加して、かつてのライバルたちや強者揃いの高校生たちと競い合う姿を描く物語だ。試合シーンの弾けっぷりが話題となることも多い。

ミュージカル『新テニスの王子様』The First Stageは、12月12日(土)から開幕予定。ミュージカル『テニスの王子様』4thシーズンは続報が待たれる。

「ファイナル」「新シリーズ」「新シーズン」。
ひとつのコンテンツの中で3つもの公演が発表されるということは珍しいのではないだろうか。“テニミュ”がいかに大きなコンテンツとして育ってきたのかを改めて感じる。

“テニミュ”が長期に渡る人気コンテンツとなった理由はたくさんあるだろうが、そのひとつとして、やはり「卒業」システム=キャストの代替わり、が挙げられると思う。

“1stシーズン”「初代・青学(せいがく)」のキャストたちが「卒業」するとなった際は、内部でも否定的な意見が圧倒的だったと語られているが[参照:『TEAM! チーム男子を語ろう朝まで!』(太田出版)]、結果として新たな感動を呼び、常に新鮮な風を入れ込むことにつながった。

舞台という刹那の芸術であることに加えて、「期間限定」というリミットが一層その時間と空間を特別なものとしたに違いないだろうし、合理的なものの見方をすればキャストの年齢やスケジュールの都合など、“.5”の部分……つまりリアルの方で起こる難題を解決する一助にもなったように見えた。

全体を通して大勢の若手俳優が起用されたことにより、「登竜門」的な位置づけを獲得するに至ったのは、“テニミュ”に詳しくない方も知るところだろう。

今日では“2.5次元”をひとつのジャンルとしようという意識の高まりが強いように思うので、「登竜門」に連想される“通り道”というイメージは喜ばれるばかりではないかもしれない。
だが、“テニミュ”をキャリアのスタートとした多くの俳優が獅子奮迅の活躍を見せたことで、「次期スターたちが集まる場所」として期待のこもった眼差しをメディアや世間が向けるようになり、“テニミュ”のステージに立つことを目指す世代が誕生したことも事実だ。

初演が2003年の春に行われていたことを思うと、実に17年間続く演目。その間、挑戦する人、模索する人、達成する人、あるいは葛藤する人……様々な想いが積み重ねられて“テニミュ”の時代が築かれていった。

「時代」の面白さは、その変動期にこそある……と、特に偉人の言葉ではないが、幕末ファンの知人がそんなようなことを言っていた。でもこれは“テニミュ”に当てはめるには、ちょっと広げ過ぎかもしれない。
「歴史」はダイナミックなタイミングこそドラマティックだが、何故か韻を踏んでしまったが、「卒業」は、それに伴う「代替わり」にまつわる繊細な感情の揺れ動きにこそ感動がある。

この辺り、舞台上で綴られる物語ではない場所すらエンタメとして消費するのか、と呆れたり嫌悪感を抱く人もいるかもしれないので、とてもデリケートだとは思うのだけれど、「ドキュメンタリー」として見せてもらえる部分があることもこの演目、あるいはジャンルの特色だと思うので、その前提で続けさせてもらいたい。

これは“テニミュ”に限らず、スポーツモノ作品や学園モノの作品に共通することでもあるが、「青春モノ」は、その熱気や結び付きが伝播していくのか、携わる人々が強い思い入れを抱くことが多いように思う。
ことさらキャストたちは、「卒業」=「代替わり」があることで思い入れと同時に、その作品や役を「つなぐ」という使命感も芽生えるのではないだろうか。

長期連載中の原作内容を追ってシリーズ化している場合、最初から最後まで同じキャストが走り抜けるケースの方が稀だ。ゴールまでバトンをつないでいくものだからこそ、自身に与えられた距離を走りきって、次の走者にしっかり手渡そうとする。

時には名残を惜しみつつも、みんなが先を目指して、前を向いている。
その懸命な姿に感動がある。

ただ、「始まり」があれば「終わり」があるとか、「終わり」があれば「始まり」があるとか。そのセオリーでいくと全ては続いていくことが当たり前であるかのようだが、そう全てが“理屈じゃない”。
エンタメ界において「続き」があるのは人気を博したものだけ、という非情のルールがある。大人的に言えば「数字」が不可欠。その意味では“データは嘘をつかない”と言えるかもしれない。

そんなわけで、人気シリーズに出演するキャストたちは必然的に背負うものがあるのだ。しかしプレッシャーはともかく、「つなぐ」「続ける」ことそのものは“人ひとり”の力でどうにかするものではないし、どうにかなるものでもないだろう。
これらは、“一人ひとり”の力でどうにかしようとしていくものではないかと思う。

そこに絶対に欠かせないなあと思うのがファンの力である。コロナ禍で制限が生じる以前から、舞台挨拶や度毎で言葉にされてきたことではあるが、やはり舞台は観客なくしては成り立たない。

先に「登竜門」の話をしたが、それも言うなれば現役時代、「苗」のような頃を熱く応援していたファンがいたからこそ実ったのだ、ということも忘れてはいけない。いわゆる“売れた”となってから、振り返った時に“テニミュ”経歴に注目されることが世間では大きいかもしれないが、当時のファンは「青田買い」意識や株のように値上がりを期待するわけではなく、その時の一生懸命な輝きを目にして応援したいとなる方が多いのではないだろうか。
もちろん「栴檀は双葉より芳し」なんてことわざもあるくらいだから、当時から目を引いていたキャストが世に広く知られるようになる、ということも結果論としてはあるが。

ただ、どんなに素晴らしい可能性を秘めた「苗」も、誰も目をかけなければ育たない。「育てる」というと、上から目線に感じられてしまうかもしれないが、実際に「応援」は人を、作品を育ててきた。それは長く続くシリーズのファンほど知っていることだろう。

ファンには「卒業」システムはない。自分で決めた時に入学できるし、出席日数も問われない。だからファンの在学期間はそれぞれだろうけれど、その一人ひとりの「応援」が作品を「つなぐ」ものにしてきたのだと思う。

今、手軽なコンテンツがあふれていて、仕上がっているものも山ほどある。たくさんあり過ぎて自分の「好き」を見定めることすら難しく感じてしまう中、「見守る」とか「育てる」とか、すでに古い言葉になっているのかもしれない。

それでも、やはり大きなコンテンツの多くは、作り手の「情熱」と受け取る側の「応援」がラリーを交わすことで形作られていくように思うし、その「反響」こそが人気の理由であると思うのだ。

文 / 片桐ユウ

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