佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 167

Column

中島みゆきのデビュー曲「アザミ嬢のララバイ」と代表曲の「時代」をめぐる旅(前編)

中島みゆきのデビュー曲「アザミ嬢のララバイ」と代表曲の「時代」をめぐる旅(前編)

ヤマハ音楽振興会が主催する第9回 ポピュラーソングコンテストは、1975年の5月18日に静岡県の「つま恋エキジビションホール」で開催された。

この時に北海道支部の代表として「傷ついた翼」で出場した中島みゆきは、ひそかに目標にしていたグランプリに選ばれなかったばかりか、3曲の優秀曲賞からも外れて、単なる入賞どまりに終わってしまった。

そのときに彼女がどのような気持ちでいたのか、当時のことを去年から調べてみたのだが、もはや知るすべはないだろうと早々にあきらめた。

ところが45年の歳月を経て、彼女自身の文章でそこに至った経緯や背景が明らかにされているとわかった。

10月1日に発行された『中島みゆき 第二詩集 四十行のひとりごと』(道友社)に掲載された「ぜったいグランプリ」は、ノンフィクションのように始まっている。

3月16日舞台袖の暗がりで二人の男が跳び上がり喜んだ
地方局ペーペーディレクターとぺーペーアナウンサーが
一次予選前から何度も取材を重ねて来たのは
この後の全国大会で私が優勝すると予想しての事だった
ドラマチックな構成で番組は準備万端 完成間近
5月18日全国大会 かんじんの私が落ちた
「番組は取り消しになりました 残念です」
地方局ペーペーディレクターとぺーペーアナウンサーが
しょんぼりと頭を下げた

中島みゆきは藤女子大学在籍中から、北海道大学のフォークソング研究会に出入りしながら、積極的に音楽活動を始めた。

1972年にはニッポン放送の音楽番組『バイタリス・フォークビレッジ』が主催した「第2回・全国フォーク音楽祭全国大会」に参加し、北海道代表として自作の「あたし時々おもうの」を唄って優秀賞に選ばれている。

そこでプロ・デビューの誘いもあったらしいが、谷川俊太郎の「私が歌う理由」という詩に衝撃を受けて、中島みゆきのほうでその話を辞退したともいわれる。

大学を卒業してから1年間のアマチュア活動を経て、ヤマハ主催「第9回ポピュラーソングコンテスト」にエントリーしたのは1974年のことだ。

そんな彼女を追いかけていた地方のテレビ局は、本気で全国大会での優勝を期待していたようだった。

おそらく中島みゆきもそれなりに自信を持っていたのだろう。

「ぜったいグランプリ」の文面からも、そのことは推測できた。

だが実際にはあえなく落選してしまった。

落選した、いや、落とされたのかもしれない。

それでも中島みゆきには、嘆いている時間などなかった。

すでに秋の大会に向けての自信作、「時代」を提出済みだったからだ。

彼女は目標に向かって、積極的に前へ進もうとしていた。

ところが「時代」が出来上がった時に歌を一緒に聴いてくれた父が、前触れもなく倒れてしまった。

そして三日三晩が過ぎても、父は眠りつづけることになったのである。

ここでふたたび、「ぜったいグランプリ」の詩を引用したい。

9月7日ふたたび北海道大会優勝
舞台袖の暗がりに ペーペーたちの姿はなかった
9月16日早朝 父が脳出血で倒れた
10月12日全国大会優勝 世界大会出場決定
父は意識が戻らぬまま眠りつづけていた

それにつづいて、こんなリアルな記述も残されている。

個人開業医院は医師が倒れたらどうしようもない
小銭までかき集めて従業員に給料を支払うと
医院を閉めて 身の回りの物だけをまとめ
家族は親戚を頼って遠い町へ移ることになった

父の意識がもどらないとわかった時、中島みゆきは退路を断って生きることを決意したのではないか。

学生だった弟の将来も心配であっただろう。

だからプロになる道を選ぶことによって、自分の手で家族を護っていくことを決めたに違いない。

そのときの決意は、しばらく後になって書いた「ファイト」の歌詞に出てくる、以下のフレーズとリンクしているように思える。

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼってゆく

勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました

最後の最後に出てきた歌詞の「あいつ」には、中島みゆきの思いがそのまま投影されていたのではないかと思える。

闘志を底に秘めた「あいつ」は、もっと高くもっと高く登り続ける道を選んだのだ。

ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ

(後編に続く)

中島みゆきの楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートを手がけている。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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