佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 164

Column

「永遠の西城秀樹」と呼ぶにふさわしい特別な存在

「永遠の西城秀樹」と呼ぶにふさわしい特別な存在

ぼくが大学を卒業して音楽業界に入ってから出会って、大きな影響受けてきた評論家の一人に相倉久人さんがいる。

1950年代からジャズの現場で司会者を務めていた相倉さんは、山下洋輔に代表される新進気鋭のジャズメンにとって、いわばオルガナイザー的な立場にあった。

そして彼らが活躍し始めた1970年代に入ると、ロックや歌謡曲についても精力的に執筆するようになり、日本における音楽批評への道を開いていった。

その後、晩年になってから語り下ろしたした『相倉久人にきく昭和歌謡史』(アルテスパブリッシング 2016)のなかで、日本における音楽の評価についてこう語っていたのが、ぼくには強く印象に残っている。

「日本人には音楽をジャンルという箱に入れる癖があるんですよ。ジャズとかロックとか、必ず箱に入れたがる」

もしもジャンルの箱に入りきらないものがある場合には、ひとまず “その他”という扱いになって、一時的な例外とみなされる。

したがって音楽ファンに正確な情報が届かないまま、広く認知されないで終わることが多かったという。

そうするとマスコミからも無視されるので、取り上げられる機会が少なくなって、いつしか忘れられてしまう結果になる。

確かに日本ではレコード会社がジャンルを定義することで、売りたいレコードを商品として、効率的に宣伝して販売してきた。

また芸能雑誌や新聞、ラジオやテレビなどもジャンルに分けた上に、スター歌手が登場してくると“三人娘”とか“御三家“、“新・御三家”、“花の中3トリオ“といったレッテルを貼って、セットにして話題を提供した。

なぜならばわかりやすいレッテルによって世代がくくられると、ファンの間にも同時代の仲間意識が生まれてくるからだ。

そこからなんとなく同じ価値を共有することで、ファンであることに安心して納得する人が多かったのである。

そんなふうにマスコミ主導による物語や企画された記事、もしくは番組を拡散することによって、それぞれが媒体の価値を高めて共存共栄していった。

しかし、マスコミが提供する歌手や俳優の情報をファンがうのみにすると、芸能人はみんな雲の上の存在になりかねない。

実際には芸能人のなかにもファンと同じように、さまざまなことで悩んだりする心の持ち主がいた。

ただしそのことを外にも感じさせる人は少数で、雲の上のままになった人が多数になったのは当然である。

そしてふつうの感覚をキープしたまま、スターや芸能人としての役割も引き受けていたのが、若くしてスターになった西城秀樹だった。

追っかけといわれる年若いファンに取り囲まれて接するときにも、お互いに対等な立場を保っていた態度は、当時からずっと変わらなかったという。

そしてファンの人たちも自分が全身で感じた感覚を大切に思っていたので、彼が2018年に亡くなった後になっても、西城秀樹のことをいつまでも忘れなかったのだ。

そのことを考えるときに浮かんでくるのが、永 六輔さんに教わったこんな言葉である。

人間は二度死にます…
一度目は…肉体が生命を終えた時。
二度目は…その人が忘れられた時。

いつまでも忘れないでいたいと思う人たちが、残された楽曲や映像を通して西城秀樹の魅力を確認して、そのことを伝えて後世に広めることになったのは自然現象だった。

そもそもそのような現象が起こること自体が、日本においてはきわめて稀なことであったのだが、その動きが今まさに現在進行形で、少しずつ顕著になりつつある

歌手やアーティストについて語る場合に大切なのは、個人の記憶や曖昧な印象だけではなく、記録された音や映像、すなわち誰にでも確認できる作品を手がかりにして、自分との新しい関係を築きあげていくことだ。

それがインターネットの普及で可能になってきたからこそ、熱心で能動的なファンの人たちによって、西城秀樹の作品は過去のものという箱に収まることなく、現在によみがえることが可能になってきた。

だからマスコミによってイメージ操作されて作られた物語から離れて、自分の目と耳と心で歌手やアーティストの本質に近づいていくことが、これからはもっともっと大切になっていくだろう。

“新御三家”の人気者だった西城秀樹は3か月に1枚のペースで、アイドルとしてのシングル盤を発売してヒットチャートをにぎわせていた。

しかしその一方ではコンサートやイベントを重視し、そこで積極的に洋楽のカヴァー曲に取り組んでいる。

洋楽や邦楽に限らず、すでに有名な楽曲をカヴァーするには歌手としての能力と、表現者のセンスが必要になってくる。

その点において西城秀樹の洋楽カヴァーには定評があり、海外のロック・ナンバーを少年少女たちに広めたことで、近年になってからは日本のロックシーンの基礎を作ったとして、後輩たちから評価されるようにもなった。

ただし数少ない邦楽のカヴァーになると、少しばかり様相が変わってくる。

その時点ではまだはっきりした評価が定まっていなかった作品を取り上げて、早い時期にカヴァーするのは、西城秀樹自身の音楽センスが問われることになるからだ。

有名なのはオフコースが1975年に発表した「眠れぬ夜」だが、これを1980年にシングルでカヴァーしてヒットさせている。

また矢沢永吉のソロアルバムに入っていた「恋の列車はリバプール発」も、当時としてはかなり早い時期のカヴァーであった。

1977年11月25日にリリースされたカヴァー・アルバム『ロックンロール・ミュージック/ヒデキ』で、B面の最後を飾ったこの楽曲は矢沢永吉が単身でロスアンゼルスに乗り込んでつくった、デビュー・アルバム『I LOVE YOU、OK』に収録された楽曲だった。

今ではロックバンドの伝説になっているキャロルを解散した矢沢永吉が、まだスーパースターになる前に発表したソロ・アルバムだったので、評価はいまひとつ定まってはいなかった。

だがアルバムを聴いてすぐに西城秀樹がカヴァーすることにしたのは、ソングライターとして矢沢永吉を評価したからだった。

1978年に発行されたティーンエージャー向けの雑誌「セブンティーン」には、後楽園球場での初ライブを直前に控えた矢沢永吉を紹介する記事のなかに、西城秀樹のこんなコメントが掲載されていた。
これはプロデューサーとしての視点が、すでに備わっていたから言えた言葉であると思う。

実はね、矢沢さんのステージ自体を見たことがないんだ。ただ、数年前に『ぎんざNOW!』でキャロルと一緒になったことがあるんだ。
そのとき、「僕も、広島県出身なんですよ」って話しかけられてネ、ずいぶん腰の低いていねいな人だななんて思った。
でも、スッゲエいい曲歌ってるんだ。ボクが矢沢さんを尊敬しているのは、このソングライターの面が多いかもしれないよ。

それから一年後、周囲から反対意見が多かった「YMCA」を自分の判断でカヴァーし、日本語で唄ったシングルを大ヒットさせたのも、プロデューサーとしてのセンスが大きく影響していた。

ところで絶叫とアクションが有名になった西城秀樹は、誰もが知る男性のアイドル・スターになったわけだが、実は子どもの頃から歌手ではなくミュージシャンになりたかいと思っていたらしい。

子どもの頃から父の影響で、アメリカのポピュラーソングを聴いて育ち、バイオリンを習い、小学校3年からは自分からジャズスクールに行って、ドラムを叩くようになりました。

そして小学生になった頃に歌っていたのが、水原 弘の「黒い花びら」(作詞:永 六輔)だったとも述べている。

これは中村八大の作・編曲で永 六輔が作詞した、日本で最初のロッカバラードによる楽曲だった。

それが1959年に制定された第1回日本レコード大賞で、グランプリに選ばれて翌年までヒットしたことから、日本に新しいポピュラーソングの時代を築いたのである。

そういう意味で西城秀樹はこの段階から、早くも“ロックの申し子”だったといえるかもしれない。

そして20代の後半からは表現の幅を広げて、スタンダード曲を着実に自分のものにすることによって、オールマイティーなエンターテイナーを目指していったのである。

西城秀樹の楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートを手がけている。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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