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『約束のネバーランド』は誰に「勝利」する物語なのか? アニメ第1期再放送・第2期放送を控えて

『約束のネバーランド』は誰に「勝利」する物語なのか? アニメ第1期再放送・第2期放送を控えて

週刊少年ジャンプで2016年から連載され、今年夏に完結した『約束のネバーランド』。アニメ第2期の放送、実写映画の公開が控え、さらには海外での実写ドラマ化も決定するなど、今後も目が離せない作品となっています。
10月1日(木)からはアニメ第1期が再放送されます。本稿ではその内容を振り返りつつ、アニメ第2期(2021年1月より放送予定)の内容にもつながる『約束のネバーランド』という作品の根幹にあるテーマを読み解いていきたいと思います。

文 / いさお


アニメ第1期のあらすじをおさらい

アニメ第1期では、3人の主人公エマ、レイ、ノーマンが孤児院からの脱出を目指す物語が描かれました。3人はある日、自分たちが暮らしている施設が孤児院などではなく、人ならざる存在「鬼」の食糧として、子供が「飼育」される場所であることを知ります。そして3人は「計画がバレたら食糧として即出荷」というプレッシャーの中、育ての親兼監視員である「ママ」の目を盗みつつ、最高レベルの頭脳を駆使して脱出計画を組み立てていきます。その中で、内通者の発覚、さらには監視員の追加など新たな要素が矢継ぎ早に追加されていくそのサスペンス性に、読者はただ引き込まれるばかりです。
しかし、本作の魅力はサスペンス性だけではありません。一見ダークな作品であるように見えながら、週刊少年ジャンプのお約束、すなわち「友情・努力・勝利」をしっかりおさえているのです。強い友情で結ばれた3人が、徐々に脱出の仲間を増やし、地道な計画作業や脱出の練習という努力を重ね、そしてその末に脱出という勝利を掴み取る様は、まさにジャンプらしい爽快さを感じさせるものです。

『約束のネバーランド』は誰に「勝利」するのか

ここで皆さんに問いたいことがあります。
本作が「友情・努力・勝利」をおさえているならば、この『約束のネバーランド』という作品は、いったい誰に「勝利」する物語なのでしょうか?
主人公たちが勝利するからには、主人公たちに「敗北」する敵がいるはずです。『ワンピース』ならルフィの前に多くの海賊団が立ちはだかります。『ドラゴンボール』でも、ベジータやフリーザなどの敵が立ちはだかります。魅力的で強力な敵が立ちはだかるからこそ、主人公らの「勝利」はますます輝かしいものになるわけです。

本作の「敵」としてまず思いつくのは、エマたちの脱出を阻む「ママ」たち、すなわちイザベラとクローネでしょう。しかし、アニメ第1期を最後まで見ると、2人の印象は大きく変わってきます。クローネは、その後非常に重要になるアイテムをエマたちに遺し、イザベラも最後は脱出の証拠を隠滅してエマたちを手助けします。エマたちはママに「勝利」したというよりは、むしろ最終的にはママに背中を押されて、脱出を成功させることになるのです。
なぜイザベラとクローネはエマたちの脱出を後押ししてしまったのでしょう? それは、ママたちもかつては、エマたちと同じ食用の子供だったからです。彼女たちはエマたち同様孤児院で飼育された後、飼育側に立つことと引き換えに、なんとか鬼に命を保障されている存在なのです。いたずらに子供の命を損なわせているのではなく、かつての自分と同じ境遇にある子供たちに情を抱きつつ、心を鬼にして自らの生存のためにあがく。それが、ママの実像なのです。

アニメ第1期のキービジュアル。左上に描かれているのが「ママ」クローネ、イザベラ。

であるならば、エマたちの「勝利の対象」は、やはり鬼なのでしょうか。
これもまた微妙で、アニメ第1期では、エマたちは「鬼を倒さなければならない」という話をしません。エマたちが目指すのは、あくまで運命からの解放、そして自由の獲得です。例えば『進撃の巨人』第1話でいきなりエレンが巨人の駆逐を決意するような、むき出しの敵意がエマたちには無いのです。
そしてさらに重要なことに、鬼を「敵」と認定して打倒すること自体、ある大きな倫理的問題を孕んでいます。それは、鬼が人間を食べないと生きていけないのだとしたら、鬼が人間を飼育するのは、人間が牛や豚を飼育するのと同じ行為にすぎないのでは? という問題です。いろいろ考え方はあるものの、現代の世界では多くの人間が食糧として牛や豚を飼育し、それを食べています。この『約束のネバーランド』の中でも、エマたちは動物の肉を食べます。そんなエマたちの、私たちの倫理観から、どうして鬼が人間を飼育することを批判できるというのでしょうか? どうして鬼を「敵」として駆逐し、「勝利」してよいというのでしょうか? 鬼は生きるために当然のことをしているにすぎず、それを批判する権利は、同じく牛や豚を屠っている私たちには無いのです。

こうなってくると、ママや鬼に「勝利」してしまうことが、道義的に難しい行為になっていることがわかってきます。ママは鬼に食糧にされず生きるために、子供を飼育している。鬼も自分の食糧を確保して生きるために、子供を飼育している。ママも鬼も、生きるために必要なことをしているだけなのです。それを、同じく生きるために孤児院から脱出しようとしているエマたちが、どうして否定できましょうか。
エマたちはママや鬼を断罪できない。しかし、ママや鬼が今の行為を取り続ける限り、エマたちは食糧としての運命から逃れられない。『約束のネバーランド』は、そんな袋小路に陥っているわけです。

「勝利」すべき相手がいない場合の対処法① ~悪者でなくてもいいから倒してしまう~

ではそんな袋小路を、『約束のネバーランド』はどう突破すればいいのでしょうか? 本作はどういう理由付けで、誰に「勝利」する物語になればいいのでしょうか?
これに対する答えはいくつかあります。

1つ目は、ママと鬼がたとえ悪者でなくても、問答無用でママと鬼を打倒してしまうことです。
この場合、エマたちの「ママや鬼を放置すると、自分たちの命が危うい」という事情を、ママや鬼の事情よりも絶対的に優先させることになります。つまり、ママと鬼にはそれぞれ事情があるのかもしれないけれど、そんなことはどうでもいいと。自分たちが苦しめられている、その事実だけで、他人を排除していいのだと。自分と他人の間に線を引くことで、まずは他人よりも自分を優先させていいのだと。こういう考え方を採用すると、子供たちはママと鬼を攻撃し、「勝利」することができるようになります。

※筆者作成

しかし、この「線引き」を強く否定する者が、この『約束のネバーランド』にはいます。そう、他でもないエマです。
エマがアニメ第1期を通して何よりも大切にしていたことが1つあります。それは、「孤児院から全員で脱出すること」でした。孤児院には3歳、4歳といった幼い子供たちもいて、脱出においてその存在は障害になるかもしれません。それをわかってなお、エマは子供たち全員の脱出を目指すのです。
エマはなぜそんな非現実的な理想を追い求めるのでしょうか? その理由は、エマとは反対の考えを持つレイとの会話で浮き彫りになっていきます。一部の子供の犠牲を前提にして脱出の準備を進めていたレイに、エマはいつもの笑顔からは考えられないような表情で、こういうのです。

「その(註:レイの脱出の準備の)おかげで今皆で逃げられる――でも」
「そういう線引き もう二度としないでね」

エマが何より否定するのが、この「線引き」なのです。自分と他人の間に線を引き、自分の脱出のために他人の脱出を諦めるレイを否定する。自分と他人は異なる存在ではなく、あくまで等しく扱われるべきである。ゆえに、自分が脱出するのであれば、他人も等しく脱出できるようにしなければならない。これが、エマの哲学です。

主人公がこんなことを言ってしまうと、もはやこの『約束のネバーランド』は、特定の勢力に「勝利」する物語にはなれなくなってしまうのです。やむを得ない事情で行動しているママと鬼を敵として認定することは、自分と他人とを線引きすることでしか達成されないのですから。

 「勝利」すべき相手がいない場合の対処法② ~他者との関係をリセットしてしまう~

ママや鬼は悪者ではないけれど、そのママや鬼のせいで自分たちは苦しんでいる。そんな袋小路を突破する2つ目の方法は、鬼、ママ、子供たち3者の関係性を支えるこの「世界のシステム」を、一度ちゃぶ台返しにしてしまうことです。鬼やママそのものを排除することができないならば、鬼がママを操り、ママが子供を育てるというこの「世界のシステム」、3者の関係性のほうをぶった切って、袋小路をリセットさせればいいのです。

※筆者作成

アニメ第1期でエマたちがとったのは、他でもないこの選択肢②です。現にメインキャラたちは、鬼そのものではなく、鬼がママを操り、ママが子供を育てるというこの「世界のシステム」に対する反抗を説きます。
例えば、ノーマンの「出荷」後、苦しむエマに対してイザベラが優しくささやく以下のセリフ。

「生きて飼育監(註:ママのこと)を目指しなさいエマ 絶望を受け入れて楽になるのよ」
「無茶な理想論 幼稚な正義感 不可能な脱獄 どうにもならない現実への抵抗」
「飼育監になって全て諦めてしまいなさい」
「楽になりなさいエマ」

これは、イザベラからエマに対する、かつて自らがとった選択へのいざないです。彼女はエマに、鬼に屈服しろとは言っていない。あくまでこの「どうにもならない現実」、すなわち鬼がママを操り、ママが子供を育てるという「世界のシステム」に対しての屈服を、エマに説くのです。
クローネも同じです。この世界のシステムで生き残りを目指した彼女の最期のセリフは、子供たちへの謝罪でも、鬼そのものへの呪詛でもない。「このクソみたいな世界をぶち壊せ!」という子供たちへの叫びなのです。打倒すべきは鬼ではなく、この世界のシステムなのです。
そしてエマも、「子供たちみんなを救う」という自らの信念が、「世界を変える」ことを意味することを初めから理解しています。脱出後の生活はどうするんだ、子供たちがみんなで住める場所などないだろうとレイから指摘を受けた後、彼女は言うのです。

「ないならつくろうよ外に 人間の生きる場所」
「変えようよ世界」

そう、アニメ第1期が「勝利」の対象としていたのは、鬼でもママでもない。エマの「勝利」の対象は、物語の初めからずっと、鬼がママを操り、ママが子供を育てるこの「世界のシステム」なのです。
『約束のネバーランド』アニメ第1期は、「世界のシステムに勝利する物語」だったのです。

「勝利」すべき相手がいない場合の対処法③ ~『約束のネバーランド』の本当の目的地~

でも、ここで考えておきたいことが1つあります。
『約束のネバーランド』が行き着いたこの「世界のシステム」への勝利は、エマたちに自由と平和ともたらすことができるのでしょうか。子供が大人になれないこの「ネバーランド」を終わらせる特効薬になるのでしょうか。

答えは、否です。まず、「鬼は人間を食べる」という鬼と人間の関係性は、この転覆をもって何ら解決していません。また、もし多くの人間が鬼の手から逃れることができたとしても、例えば人間が安全に住める場所が少なかったら、その奪い合いを人間が始めってしまうかもしれません。つまり、世界のシステムのリセットは、そのまま別の種類の争いにつながる可能性があるのです。対処法②は、当面の危機を回避することにはなっても、鬼、ママ、子供をとりまく問題の根本的な解決にはならないのです。

そう考えると、エマが「線引き」を肯定して対処法①をとり、ママや鬼の排除に動いていたら、どんなにか話は単純だったことでしょう。特に鬼を絶滅させることができれば、人間は食糧という運命からの完全な脱却を達成できます。「線引き」は、時に手短に平和を実現できる優れた手段なのです。気に入らない者、争いの火種になりそうな存在は、とりあえず排除しておく。そうすれば、争いは起きないのですから。
でも、エマはそうしませんでした。自分と他人はあくまで等しく扱われるべきであり、自分の立場は、他人を排除する理由になど決してなりえない。その哲学をもって、エマたちは対処法①を放棄するのです。

※筆者作成

対処法①はとれない。対処法②は根本的な解決策にならない。この両方にエマたちが気づいたとき、『約束のネバーランド』という物語の本編がスタートします。
自分たちと争う関係にある特定の誰かを「敵」とはみなせない。しかし特定の誰かを排除せずに世界のシステムを破壊しても、そのシステムのおかげで抑え込まれていた別の種類の争いが生まれるだけ。もはや争いとは、人の「業」とも言うべきものであるわけです。
では、やがてエマたちが直面するこの人の業に対して、エマたちは、『約束のネバーランド』はどのような答えを導き出すのでしょうか。人が平和を実現するには、「線引き」はやむを得ないのか。それとも、「線引き」を否定した先に人の未来があるのか。
アニメ第1期のエマたちの脱出劇は、そんな問いに向き合う彼女らの戦いの序章に過ぎません。ぜひこの問いを頭の片隅に置いて、彼女たちの行く先を、『約束のネバーランド』がたどり着く答えを、その目で見届けてみてください。

TVアニメ『約束のネバーランド』(第1期)

■再放送情報
2020年10月1日より毎週木曜24:55~ フジテレビ“ノイタミナ”にて放送開始 ほか各局でも放送予定
(※放送日時は変更の可能性があります)

■配信情報
Amazon Prime Video/dアニメストア/U-NEXT/アニメ放題/Hulu/NETFLIX/FOD/ひかりTV/バンダイチャンネル/ビデオパス にて見放題配信中

■スタッフ
原作:白井カイウ・出水ぽすか(集英社 ジャンプ コミックス刊)
監督:神戸 守
シリーズ構成/脚本:大野敏哉
キャラクターデザイン/総作画監督:嶋田和晃
プロップデザイン:板井寛樹
美術設定:池田繁美(アトリエ・ムサ)・大久保修一(アトリエ・ムサ)・友野加世子(アトリエ・ムサ)・乗末美穂(アトリエ・ムサ)
美術監督:池田繁美(アトリエ・ムサ)・丸山由紀子(アトリエ・ムサ)
色彩設計:中島和子
撮影監督:塩川智幸(T2studio)
CG監督:福田 陽
編集:松原理恵(瀬山編集室)
音楽:小畑貴裕
音響監督:清水勝則
アニメーション制作:CloverWorks

■主題歌
オープニングテーマ:UVERworld「Touch off」
エンディングテーマ:Cö shu Nie「絶体絶命」

■キャスト
エマ:諸星すみれ
ノーマン:内田真礼
レイ:伊瀬茉莉也
イザベラ:甲斐田裕子
クローネ:藤田奈央
ドン:植木慎英
ギルダ:Lynn
フィル:河野ひより
ナット:石上静香
アンナ:茅野愛衣
トーマ:日野まり
ラニオン:森 優子
コニー:小澤亜李

オフィシャルサイト:http://neverland-anime.com
オフィシャルTwitter:@yakuneba_staff
オフィシャルInstagram:@neverland_anime