佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 158

Column

人間が人間でしかありえないことで生じる悲しさ~『ソワレ』によって呼び覚まされた映画の記憶と希望

人間が人間でしかありえないことで生じる悲しさ~『ソワレ』によって呼び覚まされた映画の記憶と希望

「すごい映画かもしれない…」という予感はあったが、作品についてはあえて事前の情報に触れないようにしていた。

そして8月30日は上映の1時間半前に、新百合ヶ丘の映画館に行ってチケットを買った。

希望していた3列目の中央が空いていたので、パンフレットを購入してから座席に身を沈めた。
気持ちをからっぽにして、スクリーンと対峙したかったのだ。

15分ほど続いた退屈きわまりない予告編の上映が終わるころには、いい意味での胸騒ぎを覚えていたと思う。

まず『ソワレ』オープニングで引きつけられたのは、映像から伝わってくる夏の匂いと、夜の海が発する自然界の表情豊かな音であった。

登場人物たちが話している言葉は関西弁のニュアンスだったが、どこの地方のイントネーションかまではわからなかった。

そしておぞましい事件が起こったことによって、主人公たちが追手から逃れて、どこまでも走る物語が始まったのである。

そこでぼくの頭の中に浮かんできたのは、世界の名作と共通する空気感だった。

最初は大人になってから衝撃を受けた台湾映画で、4時間の大作となった『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』である。
ぼくが25年前、台北のロケ地にまで足を運んだほど好きになった、エドワード・ヤン監督の代表作だ。

大きな画面から伝わってきた少年と少女が遠い記憶からゆっくり立ち上って、『ソワレ』の主人公たちに重なりながら消えていった。

人間が人間でしかありえないことで生じる悲しさを思い出して、早くも一人で泣きそうな気持になった。

そうこうしているうちにスクリーンでは行く当てのない若い男女、翔太(村上虹郎)とタカラ(芋生 悠)の逃避行の舞台が、梅干し農家でのエピソードなどで和歌山県下であることが明らかになっていった。

その頃には映画の語り口となる文法や手法が、目立たないながらも斬新そのものであることや、最新の技術に支えられていながら、アナログ的な懐かしさに彩られているということもわかった。

とにかく主人公をとらえる撮影と音響が、心に深く刻まれる作品を成り立たせていたのである。

しかも画面に登場する役者だけでなく、映画を成り立たせているスタッフたちの熱量が、全体から感じられることにも驚かされた。

それらのスタッフを率いる外山文治監督から連想したのが、世界の映画史に新しいページを開いたエポックメーキングなヌーベルバーグ作品を生み出した、『気狂いピエロ』のジャン・リュック・ゴダール監督だった。

撮影所というシステムによって作られた古典的な映画話法から次第に離れて、思い通りの方向に進み始めたゴダール監督の映像表現が、外山文治に通じているかもしれないと勝手に妄想してみた。

そして息苦しくてリアルな逃避行のスクリーンを見つめながらも、少し明るい気持ちになっていった。

やがて逃避行が後半になるにしたがって、21世紀の新しい映画が日本に誕生した歴史的な瞬間に、自分が立ち会っているという喜びが込みあげてきた。

芋生 悠が演じるタカラの表情が変わっていくのにつれて、ゴダール監督のヒロインだったアンナ・カリーナの美しさを思いだした。

そして一気に最後まで観終えた後も、予想を越えたすばらしい映画の体験に感謝し、ぼくは清々しい余韻のなかで3時半に映画館を後にした。

ところが『ソワレ』はそれで終わったわけではない。

不器用にしか生きられない主人公たちは、ぼくの中ではまだ走り続けていたのである。

ぼくは映画でしか表現できない方法で描き切った傑作が、多くの人に届いてほしいと願わずにいられなくなった。

そこで場所を変えて4時に始まった打ち合わせの場で、信頼できる仲間たちを前にして『ソワレ』を観てきた話を始めた。

そして日本の映画史の新しいページを開いた作品なので、もし興味があればなるべく早く観るようにとすすめた。
するとその場で二人が4日後に、テアトル新宿で観ることを決めてくれた。

今や新型コロナウイルスの登場によって世界の日常が大きく変わりつつある。

将来へのやり場のない不安、日常の生活についてまわる苛立ち、言葉にできないもどかしい想いは、映画の中だけの話にとどまらないのである。

そう、ぼくのなかで『ソワレ』はここから静かに、新しい映画の時代を生き始めたのかもしれない。

映画『ソワレ』

大ヒット上映中
テアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸ほか全国公開

村上虹郎 芋生 悠
岡部たかし 康 すおん 塚原大助 花王おさむ 田川可奈美
江口のりこ 石橋けい 山本浩司

監督・脚本 外山文治
プロデューサー:豊原功補 共同プロデューサー:前田和紀 アソシエイトプロデューサー:小泉今日子
アシスタントプロデューサー:水野優子 ラインプロデューサー:金森保 音楽:朝岡さやか 音楽監督:亀井登志夫 撮影:池田直矢
照明:舘野秀樹 音響:弥栄裕樹 美術監督:山下修侍 装飾:中山まこと 衣装:宮本茉莉 ヘアメイク:河本花葉 編集:加藤ひとみ
スチール:敷地沙織 助監督:石川浩之 制作担当:柴野淳 制作プロダクション:新世界合同会社 制作協力:キリシマ1945
製作:新世界、ベンチャーバンクエンターテインメント、東京テアトル、ハピネット、ステラワークス、カラーバード
後援:和歌山県、(公社)和歌山県観光連盟 協力:御坊日高映画プロジェクト、和歌山市

配給・宣伝:東京テアトル

2020年/日本/111分/5.1ch/シネスコ/カラー/デジタル/PG12+

© 2020ソワレフィルムパートナーズ

映画『ソワレ』オフィシャルサイト
https://soiree-movie.jp/

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートを手がけている。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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