STAGE SIDE STORY〜エンタメライター 片桐ユウのきまぐれ手帖〜  vol. 7

Column

vol.7 表現を表現する

vol.7 表現を表現する

演劇、舞台をメインに執筆しているライターの片桐ユウが、芝居やエンターテインメント全般に思うことを綴っていくコラム。作品は人に様々な感情をもたらすもの。その理由やルーツを訪ねて飛び回ってみたり、気になった場所を覗き込んでみたり、時には深堀りしてみたら、さらに新しい気づきがあるかもしれない。“エンタメ”とのコミュニケーションで生まれるものを、なるべく優しく大切に。

今号は、言葉や価値観の変異速度に追われながら改めて考えた「伝える」ことの難しさについて。


「お前、あたま二十日ねずみになってないか?」
カガリ・ユラ・アスハ『機動戦士ガンダムSEED』

どの仕事、あるいは趣味でも、完成作について褒められる時と貶される時がある。

褒める言葉にも貶し方にも結構なバリエーションがあって、センスが良かったり、語彙力が豊富であったりする人からの褒め言葉には、嬉しさや面映ゆさを超えて、その表現力に感心してしまうことさえある程だ。

貶す表現が細やかであった場合にも憤怒や落ち込みを通り越して、その分析力に感銘を受ける……ということもあるのかもしれないが、悪口はあまり表立って届かないためか、それともこちらが目を逸らしているのか、知る機会は少ないし少なくていいと思っているので、褒め言葉に絞って語る。

私には、特に忘れられない褒め言葉がある。

ライター見習い時代。師匠のおこぼれで、大型商業施設のWEBに掲載するニュース記事の取材を請け負っていた頃だ。

その商業施設から委託された大手のシステム企業に委託された運用会社、つまり大元から数えると下請けの下請け会社に臨時で雇われた立場だったが、取材の成果物を確認するのはシステム企業の担当者であった。
私を雇った会社からすると大口の取引先の方になるわけで、仕事を紹介してくれた師匠からも口を酸っぱくして「失礼のないように」と言われていた。しかし、そもそも担当者はとてもクールだったので、馴れ馴れしくする隙もなければ親しくなるようなこともなかった。

いつも淡々と、取材先で私が撮影したレストランの期間限定メニューや、ショップの新作商品の画像をデジカメのモニターで確認して「はい。お疲れ様でした」で終わり。初期は撮影の腕前が相当未熟だったので、若干の溜め息が聞こえたこともあったような気がする。

だがその日は、担当者がある画像のところでデジカメを操作していた手をふと止めて、ビックリするくらいの笑顔を私に向けて、こう言ったのだ。

「片桐さん。種が割れましたね」

失礼のないように、という師匠からの言葉も忘れて、私は「え、何スか」と素で返してしまった。
小池徹平似の美女である担当者は、目を丸くして「ガンダムSEEDですよ! なんで知らないんですか!!」と無邪気に怒った。

彼女が言っていた“種が割れる”とは、アニメ『機動戦士ガンダムSEED』でパイロットたちが潜在的に秘めていた能力を発揮する時に起こる演出の事だ。ファンの間では“種割れ”と呼ばれ、簡単に言ってしまうと“覚醒”を示す。
そういえば顔合わせをした日の帰りに、師匠が「あの美人、アニメめっちゃ詳しいから。特にガンダム」と話していたなと思い出した。

つまり担当者は、撮影の腕が上がったと褒めてくれたのだ。
彼女にとって極上の褒め言葉だったのだと思う。

単に「写真を撮るのが上手くなりましたね」ではなく、彼女自身が好きな作品の表現を使って褒めてくれたその言葉は、小さい子が宝物だと言って折り紙やガラス玉をくれたかのように今も私の中でキラキラと輝いて……と言ったら美化し過ぎな気はするが、とにかく嬉しかった。最高の思い出である。

だが、これは私にとってクライアントとの信頼関係が築かれるキッカケのひとつになった出来事でもあり、その担当者が“ガンダム好き”という情報が入っていたからこそ“種が割れた”という言葉がどんなに素敵な意味を持つのかが分かったから、という面も大きい。

本来は、自分が相手、もしくは相手が成し遂げたことや作り上げたものを褒めたい場合、その相手に伝わる言葉でなければ意味を成さない。

誰かを褒める時に「種が割れた」を使用するのは、なかなかマニアックだ。私には結果的に響いた言葉になったし、大事にしていたであろう言葉を使ってくれたからこそ縮まった距離があるのでプラスでしかなかったが。

表現されたものを言葉で表現する、言ってみれば表現を表現する時、慎重になることのひとつが、この「相手に伝わる言葉」を選ぶことである。

レポート記事などを執筆する際、称賛する言葉を使用することが多い。レポート記事にとっての「相手」とは「読者」であるから、用語選びは必然的に“一般的な”ものからチョイスすることになる。
そうなると必要なのは“一般的”な言葉の感覚だ。いわゆる“死語”と呼ばれる古い用語や、一昔前は良しとされていたけれど、今はマイナスの意味に転じてしまった言葉などは避けなければならない。

だが、言葉は時に変異する。多用され過ぎて摩耗していくこともあれば、本来の意味に様々な意味合いが加わって、雪だるま式に肥える場合もある。
そもそも“言葉”は、時と場合で変わる玉虫色の要素を大いに備えたものではあるが、SNSという“言葉のツール”が影響力を持った今、その変異速度はますます増したように思うのだ。

もはや一昔前の出来事だろうが、「イケメン」という言葉は消費されていく内に、小馬鹿にするようなニュアンスが薄っすら加わってしまった。「いい意味で」という便利な冠はよく目にするが、「それ付けりゃイイってモンでもないだろ」と思う使用例も見かける。

どの言葉を使うのかはもちろん個人の自由だし、相手を傷つける表現でない限り好きに使えるものだが、仕事の上では大体可愛くパッケージ出来てしまうような便利な言葉ではなく、それ専用の、ジャストフィットするような言葉を使いたいという欲が出る。

作り手の意図を正しく汲み取り、幅広く理解される言葉を使って、これしかない!という表現でまとめた文章を読み手に届けたい。

そんな理想の上に欠かせないのが、日々変化していく価値観である。価値観も進化していくので、「相手を傷つける表現」でないかどうか、“細心”かつ“最新”の配慮が必要だ。こちらも変化の速度が年々増している気がする。

例えば「男らしい」や「女らしい」という言葉は、褒められていると受け取る人も、圧力や偏見だと捉える人もいるだろう。それが価値観の違いで片付くものではなく、偏見や差別に至る場合もある。言葉は常にナイフになり得る。

つい先日のことだが、私は“「2.5次元」という言葉に対して偏見を持つ人がいるだろう、という偏見”を持っていた自分にゾッとしたことがあった。実際のところがどうということではなく、自分自身がその先入観を持って話し始めてしまったことがとても恥ずかしく、消え入りたくなった。

偏見が恐ろしいのは、その色眼鏡をかけていることを自覚できないところだ。知らずに人が大切にしている何かを踏みにじってしまう。
かと言って、引き篭もっていては余計に価値観や言葉の変化に取り残されるばかり。自分の至らなさを思い知りながら、少しずつでも己を更新していくしかない。

仕事でなくとも、多かれ少なかれ、きっと誰もがやっていることなのだろう。
“言葉”を使うとは、何かを「伝える」とは、そういう作業だ。
何気無いようでいて、奥深く、気難しく、繊細。

日々変わる“価値観”を纏った“言葉”たちを使って、「伝える」ことを生業とした人生をちょっと後悔する度、例の担当者が笑顔で「種が割れましたね!」と言ってくれた、その貴重さを思い出す。

文 / 片桐ユウ

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