オトナに響くストーリーマンガ  vol. 8

Review

わずか7コマに込められた革新。多くのマンガ好きを唸らせたヤマシタトモコ『違国日記』最新巻を読み解く

わずか7コマに込められた革新。多くのマンガ好きを唸らせたヤマシタトモコ『違国日記』最新巻を読み解く

一人暮らしをしていた小説家の高代槙生(こうだい・まきお)は、姉夫婦の事故死を契機として久しぶりに再会した姪の田汲 朝(たくみ・あさ)を引き取って暮らすことに。会社員でも主婦でもなく、小説家として我が道を行く槙生と、女子高生の朝との日々を描く『違国日記』は、数々の傑作で人気を集める名手・ヤマシタトモコが現在連載中の作品のひとつ。ヤマシタはこれまでの作品でも何度も『このマンガがすごい』にランクインしてきたが、『違国日記』は2019年度4位、2020年度10位(いずれも「オンナ編」)と同作で2年連続ランクインしており人気の高さが伺える。

今回は最新巻である第6巻の第27話(page.27と表記される)を取り上げて、その魅力を解説してみたい。

文 / 永田 希


3つの日付、3人の来客

『違国日記』第27話は、ざっと次のような内容だ。

11月16日に槙生の恋人である笠町、
11月27日には槙生の同業者である樹乃、
12月20日に朝の同級生であるえみり、

がそれぞれ槙生と朝の暮らす家にやってくる。
3人の来客はそれぞれ槙生・朝の2人と会話をして去っていく。

こう書いてしまえば何ということはない、日常のエピソードを描いただけに思われるかもしれない。しかしその描き方がちょっと変わっている。

錯綜する時間、モンタージュという手法

まず11月16日と27日、12月20日という別々の日付の出来事が、数コマずつ切り取られるように錯綜して描かれる。

別々の日の出来事が数コマごとに錯綜するという描き方自体は、マンガではよく使われる手法だ。これだけで驚く読者はそんなに多くはないだろう。推理ものの作品の謎解きのための回想シーン、あるいは単純に複数の日にまたがって物語が進行する場合でも使われる手法だ。

映画でも複数の時間を撮ったシーンを組み合わせて物語を見せる「モンタージュ」という手法が一般的に使われるし、ひとつの画面を分割して別々の時間の出来事を並行して観客に見せる「スプリットスクリーン」という手法もある。

演劇などでも場面転換を挟みつつ一回の上演で時間がところどころ省略されることはよくある。またひとつの舞台の上で別々の時間が進行し、観客が複数の時間を一度に目の当たりにするという演出も珍しくはない。

固定された家という空間の効果

『違国日記』第27話のもうひとつの特徴は、来客こそ違えど、どの場面も槙生と朝の家が舞台であり、また槙生と朝が対応しているという共通点があることだ。11月中旬から12月下旬と、笠町の来訪からえみりの来訪まではひと月以上の時間が経過しているが、どちらも冬の、それも描かれるのは屋内なので、登場人物たちの服装や描かれる景色に大きな変化は見られない。

同じ「家」を舞台にして別々の話がザッピングされるように展開する映画作品としては、2017年に公開されて話題になった清原 惟監督の『わたしたちの家』がある。

『わたしたちの家』は、観客に対して説明のないまま、たまたま同じ家を「共有」する別の世界線のそれぞれの登場人物たちがはっきりとした交流もないままうっすらと交差するというものだった(はっきりとした説明のない作品なのでこれは筆者の解釈なのだが大きく誤ってはいないだろう)。もっとも、言うまでもなく『違国日記』の登場人物たちは同じ世界に住む人々であり、それぞれの来客は他の日の来客の気配を感じたりはしない。

『わたしたちの家』では、別の世界線の同じ家で暮らす登場人物たちは明確にコミュニケーションはしない。物音や気配が、観客の目には、世界線の違いを超えて登場人物たちのあいだで行き交うように見える場面もあるが、それが観客の勝手な解釈だったり、映画の演出上のトリックに過ぎない可能性は大いにある。これに対して『違国日記』では、同じ家が舞台になっているだけでなく、槙生と朝という人物が退場することなく居続けている。笠町と樹乃とえみりは日を超えて顔を合わせてはいないが、槙生と朝と話をすることでゆっくりとした影響を与えていると考えることができる。

それぞれに響き合う姿と言葉

たとえば、11月16日に家を訪れた笠町は、スランプだと言う槙生に「同業者と会ってみては」と提案している。そしてそれから2週間もしないうちに、槙生の同業者である樹乃が家を訪れる。

槙生と樹乃は、スランプのときの小説家の実感として、自分の書いたものの「味」がしなくて「さみしい」という話を交わす。
樹乃が訪れてから更にひと月後の12月20日に来訪する朝の友人えみりは、槙生に「小説家ってやりがいある?」と尋ねている。槙生はこれに「や 全然」と即答してみせる。

上記のシーンが収録されているのは、コミックスの65~66ページ。
わずか2ページ、合計7コマで、次のような流れが描かれている。

11月27日(樹乃との会話)

12月20日(えみりからの質問と槙生の回答)

11月16日(笠町からの提案)

ここでは、3つの日付、合計5人による、異なった時間の別々の会話が組み合わされていることになる。

槙生と暮らす朝は、樹乃と槙生が話している横で2人の話を聞いていたし、友人のえみりによる槙生への質問も槙生の回答もどちらも聞いている。
こう書いてしまうと、本当にただそれだけのことなのだが、朝は両親と死別した高校1年生であり、槙生はその朝と暮らす保護者である。また朝とえみりはこの時期、将来の「進路」を選択するように高校で言われており、朝は静かにそのことに悩んでいるのだ。

槙生がスランプになり、朝も悩んでいるのだが、その性質は違っている。大人と子供の違いでもあるが、それだけではない。ふたりの性格の違いや、槙生の職業、母親というロールモデルが急に不在になったばかりという朝の特殊な事情もある。

『違国日記』という作品

『違国日記』1巻書影。左が槙生、右が朝。

『違国日記』の作品名は、朝の両親の葬儀のあと、槙生が朝に日記をつけることを勧めたことを思い出させる。なお第8巻の時点では朝は高校1年生だが、実はこの物語の第1話(page.1)はその2年後、高校3年生になった朝と槙生の1日を描くエピソードから始まっていた。「違国」とはこの第1話で朝が、いわゆる仕事に集中しているモードの槙生を指して「ちがう国にいる」と言ったことを受けているのだろうか。

第2話ではさっそく時間が遡り、朝の両親の葬儀が描かれる。この時点の朝は中学3年生。朝の母と不仲な姉妹だった槙生は、姪の朝との関係に戸惑う。急に両親を喪って新生活を余儀なくされた朝は、中学から高校へと進学し、新しい環境のなかで様々な不安を抱えている。『違国日記』は、さまざまなテーマが少しずつ描かれながら深く絡まり合っていく作品であり、ひとことで説明するのは難しい。

しかし今回取り上げた第27話は本作の特徴を端的に示していると言えるだろう。人はそれぞれの暮らし方、育ち方をしていて、それが他の人に見えたり見えなかったりする。そしてまたその「他の人」がどのように暮らして、どのように育っていくのか、槙生と朝をいちおうの主人公としながら、周囲の人々の日々も本作は描いていく。

朝の母と槙生という姉妹の確執、朝の両親の死、そのほか決して軽くはない、暗く重い出来事がありながら、最初に描かれた第1話の槙生と朝の(数年後の)暮らしは平穏そうに見える。思春期に限らず、人は他の人の姿を見て生き方を選び、また選ばされていく。朝やえみり、あるいは槙生も、そして笠町や樹乃も、互いや他の人の姿を眺めながら生きていく。本作を読みながら彼女たちを眺めているわたしたち読者もまた、それぞれの決して軽くはない何かを抱えながら、それぞれの平穏さを目指して暮していることを、本作を読みながら繰り返し思い出してしまう。

時間が行ったり来たりすることで生じる軽い違和感はリズムのようなものを生み出す。そのリズムは、登場人物たちの姿と言葉が、槙生と朝のこれからの日々に少しずつ折り重なっていくことを暗示しているのかもしれない。

『違国日記』試し読みはこちら
https://www.shodensha.co.jp/ikokunikki/

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