横川良明の演劇コラム「本日は休演日」  vol. 31

Column

中村倫也が狂い咲く! あなたは残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』を観たか?

中村倫也が狂い咲く! あなたは残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』を観たか?
今月の1本:残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』

少しずつ劇場の幕が上がりはじめたところはあるものの、まだ先行きが見えづらい演劇界。今月も、演劇界の未来を支援する意味をこめて、過去作品の中からDVDやBlu-rayが発売されている1本をチョイスします。

今回取り上げるのは、残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』。鬼才・古屋兎丸の傑作コミックが舞台でどのように甦ったのかをご紹介します。

少年は大人になることを拒み、永遠の美を追い求めた

少年は、いつまでも汚れなき子どもではいられない。柔らかい肌は日に日に角張り、鼻の下や顎にうっすらとヒゲが伸びはじめる。それは、動物としては極めて自然なこと。けれど、それらのすべてを拒否し、永遠の少年性の中に究極の美を求める者がいた。

彼の名は、ゼラ。学生服の少年たちが集う秘密の集団「光クラブ」の帝王だ。黒い油と黒い煙に覆われた螢光町で生まれ育ったゼラは、永遠の美を求め、美しき少女たちの捕獲を企てる。そのためにつくり上げた最強の機械が「ライチ」だった。

噴き上がる血しぶき。目を背けたくなるようなグロテスクな描写の数々。古屋兎丸の描く退廃的な世界は人々を魅了し、2012、2013年には劇団「毛皮族」の江本純子によって舞台化。さらに2016年、野村周平 主演により映画化(監督・脚本:内藤瑛亮)されるなど、多くのクリエイターたちがこぞって古屋兎丸の世界に挑んできた。

そのうえであえて断言させてもらうなら、『ライチ☆光クラブ』は絶対に生の演劇の方が面白い。なぜなら、古屋兎丸の『ライチ☆光クラブ』自体、伝説の劇団「東京グランギニョル」が1985年に発表した『ライチ光クラブ』が原作。下北沢の東演パラータという小さな劇場で初演の幕を上げた同作に、まだ高校生だった古屋兎丸が衝撃を受け、20年の時を経て、自ら漫画化した経緯を持つ。

この『ライチ☆光クラブ』が放つ凶々しくもどこかシュールでアンダーグラウンドな匂いは、虚構性の高い演劇だから発酵できるもの。パチンコ玉で人の額を射抜くという荒唐無稽な設定がなぜかすんなり受け入れられるのも、まがいものをも愛する演劇の土壌の広さゆえだろう。

そんな演劇の特性を活かし、血と暴力で彩られた『ライチ☆光クラブ』の世界を毒々しくも気高く再構築したのが、この残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』だ。

東京ゲゲゲイのつくり出すエロスとカオスの世界

残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』を観ていると、胃のもっと奥の方から興奮がせり上がってくるのが抑え切れない。直視できないほど陰惨なのに、痺れるような快感が脳を駆けめぐる。その秘密は、東京ゲゲゲイによるパフォーマンス演出だ。東京ゲゲゲイの終末感漂うビジュアルと、ダンスの概念を更新する奇妙で中毒性の高い振り付けは、古屋兎丸の作風と相性抜群。ふたつの才能が巻き起こす狂気と倒錯の世界は、オープニングシーンから炸裂している。

学生服姿の少年たちが手と腕だけを奇妙に動かし観客の中枢神経を刺激する、ドラッグのようなダンスパフォーマンス。暗転の中、頭上に懐中電灯を構えた少年たちによるナチズム的な行進。これらが重低音の効いたメタルサウンドに乗せて繰り広げられる衝撃は、どんな言葉でも形容しがたいものがある。

さらに漫画で度々見られた性的表現にもひるむ様子は一切ない。舞台でセックスをはじめとした性行為を描くとき、映像に比べて“嘘”が前面に出てしまい白々しい気持ちになることがある。本作の中にも手淫や口淫といったストレートな性的表現が出てくるのだが、当然ながらその行為自体は“嘘”だ。けれど、まったく世界観が壊れないのは、東京ゲゲゲイのパフォーマンスがそこで描くべきエロスやカオスを補完どころか増幅させているから。

たとえば、ジャイボ(吉川純広)がゼラ(中村倫也)に“奉仕”する場面。シャツのボタンがはだけ、胸板があらわになったゼラをジャイボが愛撫する。ジャイボの背中を撫で、昂りを抑えきれないようにのけぞるゼラ。その傍らで、艶めかしく身をくねらせ、脚を広げる東京ゲゲゲイ。このふたつの表現が渾然一体となることで、ただ官能的なだけではない、何か見てはいけないものを見ているような背徳感が観客のつま先から立ちのぼってくる。

ゼラのいちばんの親衛隊を自負するニコ(尾上寛之)が、ゼラとジャイボの性行為を目撃してしまうシーンはさらにショッキングだ。警告音のような音楽が響く中、舞台上階に設えられた金網の向こう側で快楽に溺れるゼラとジャイボ。そして、舞台の前方では東京ゲゲゲイと俳優たちがまるで機械のように一心に踊り続ける。そのアンバランスさが異様で、体の芯まで冷えるような、あるいは流れる血が沸騰しそうな、アンビバレントな感覚に観客を陥れる。

ここからどんどん光クラブは崩壊していくのだけど、演出家・河原雅彦は一切手綱を緩めない。燃えさかるライチ畑や連鎖する大虐殺など原作で描かれた血みどろの描写が、目の前で次々と展開されていく。その戦慄と快感は、絶対に手を伸ばしてはいけない禁断の果実だ。

特に、本物の水を使ったクライマックスはたとえ映像で観たとしても言葉を失う大迫力。ずぶ濡れになりながらも吠えるようにして生き抜く俳優たちに、このエネルギーのぶつかり合いこそが演劇の醍醐味なんだと、画面の前でスタンディングオベーションをしたくなる。

こんなに美しく、こんなに狂い乱れる中村倫也が観たかった

そして、本作をたとえDVDでも一見の価値ありと思わせてくれるのが、ゼラを演じる中村倫也だ。このゼラは、俳優なら一度は演じてみたい役だと思う。だけど、ゼラに選ばれる俳優は限られている。凍りつくほどの美。圧倒的なカリスマ性。劇場全体を支配する磁力。愚かしいほどの脆さ。そのすべてを持ち合わせていなければ、とてもじゃないけれどゼラは演じられない。

そんな選ばれた俳優のひとりが、中村倫也なのだ。中村倫也の美しさには、男だとか女だとか、そういった表面的なカテゴリーを超越したものがある。赤く塗られたリップ。白い肌。涼やかでありながら残虐な目。ゼラを演じる中村倫也には、人を虐げ踏みにじっても、それすら彼をより艶めかしくするためのマキアージュだと思わせる帝王感がある。いかにゼラが暴虐な君主であったとしても、観客は彼に組み伏せられることにある種の恍惚を覚えてしまうのだ。

よく通る低音の声は舞台では一層際立っている。難解な台詞をいかに早口で畳みかけようと、その一音一音が決して濁らない口跡の滑らかさは、俳優というものが技術者であることを証明している。だから、彼の台詞は心地いい。

舞台の台詞回しは、映像に比べてもスピードが早いことが多い。それは、映像に比べ視覚情報が少ない舞台で、観客を飽きさせず物語に没入させるための手法のひとつではあるが、流れてくる台詞が聞き取れないとノイズでしかなく、没入どころか、同じ空間にいるはずなのに、どんどん舞台が遠くなっていくような疎外感を引き起こす危険性も孕んでいる。

けれど、中村倫也の芝居にそんなストレスは一切ない。おそらくリズム感と耳がいいのだろう。決して文節で区切ることなく一息で長い台詞を吐きながら、それでいて必要な単語に抑揚をつける。感情がいかに高まろうと、声は荒くなっても音は潰れない。

今でこそ映像の印象が強い中村倫也だけど、本人も若い頃から舞台をやりたかったと語っており、「演劇がホームグラウンド」と言ってはばからない根っからの舞台俳優。その演技基礎は、間違いなく演劇にある。彼が2006年の初舞台『黄昏』から積み上げてきた俳優としての技術の粋を存分に味わえるのが、この残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』だ。

帝王と称えられるゼラだが、決して完璧な悪ではない。むしろ、脆く、幼稚な、子どもだ。裏切りに翻弄され、疑心暗鬼に陥り、発狂するゼラ。これだけ感情を放出して、どうやって正気を保っていられるのだろうとこちらが心配になるような演技を中村倫也は見せてくれている。ぜひ舞台の中村倫也をまだそれほど知らないという方は、この機会に観てほしい。中村倫也のすごみにきっと惚れ直すはずだ。

他にも、人間臭さで魅了する柿喰う客の看板俳優・玉置玲央。出てくるだけで何かしでかしてくれるだろうと期待させる実力派・尾上寛之。ドラマ『教場』(フジテレビ系)で話題を呼び、舞台から映像へと活躍の場を広げる味方良介など、面白い俳優が集結している。

残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』を観たか、観ていないか。この体験はきっと今後もいろんな場面で口の端に上る貴重な語り草となるはずだ。

残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』

2015年12月18日(金)~12月27日(日)AiiA 2.5 Theater Tokyo

原作:古屋兎丸(太田出版『ライチ☆光クラブ』)
演出:河原雅彦
パフォーマンス演出:牧 宗孝(東京ゲゲゲイ)
脚本:丸尾丸一郎(劇団鹿殺し)

出演:
中村倫也
玉置玲央 吉川純広 尾上寛之 池岡亮介
赤澤 燈 味方良介 加藤 諒
BOW(東京ゲゲゲイ) MARIE(東京ゲゲゲイ)
MIKU(東京ゲゲゲイ) YUYU(東京ゲゲゲイ)/
KUMI(KUCHIBILL)
皇希 七木奏音

製作:ネルケプランニング/パルコ

残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』DVD

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