STAGE SIDE STORY〜エンタメライター 片桐ユウのきまぐれ手帖〜  vol. 3

Column

vol.3 素材の良さ

vol.3 素材の良さ

演劇、舞台をメインに執筆しているライターの片桐ユウが、芝居やエンターテインメント全般に思うことを綴っていくコラム。作品は人に様々な感情をもたらすもの。その理由やルーツを訪ねて飛び回ってみたり、気になった場所を覗き込んでみたり、時には深堀りしてみたら、さらに新しい気づきがあるかもしれない。“エンタメ”とのコミュニケーションで生まれるものを、なるべく優しく大切に。
今号は様々な作り手が名乗りを挙げる“人気の原作”とその舞台化作品について。


「どんな小説の探偵より 君の方がよっぽど凄い」
──『憂国のモリアーティ』(ジョン・H・ワトソン)

前回、劇場で見る演劇を“刺し身”、配信の演劇を“ツナ缶”に例えてみた。
ツナ缶を例に挙げることがメジャーかどうかはともかく、芝居は、よくよく料理に例えられる。

役者=食材、演出家=料理人。劇場はさながらレストランといったところだろうか。
作り手は腕によりをかけて素材の持ち味を存分に生かした至高の一品を生み出し、その場所で待つ客に提供する。
……少々こじつけかもしれないが、私はこの例えで表現することがけっこう好きだ。

最高のマリアージュを味わえた時には、「シェフを呼んでくださる?(=あの場面の演出が素晴らしかった)」とリッチなマダムごっこをしたくなったりする。あと「このアスパラガスの産地はどこかね?(=俳優の所属事務所と経歴が知りたい)」などと通(つう)ぶりたくなる時もある。

雑な了見で言えば、素材と作り手のどちらかが卓越していれば仕上がりはなんとかなる……という場合もあるかもしれないが、自分が好きになった俳優、あるいはシェフには出来る限り良い巡り合わせを願ってやまない。
同様の希望を持つファンが多いから、注目の作り手や俳優には様々なオファーが殺到するのではないかと思う。

そして“素材”は“役者”に限らず、芝居の題材、つまり“原作”という場合もある。

……と、今日もこじつけに成功したぞと独り思い込んだところで、近年において別の作り手が同じ“素材=原作”を使って、それぞれが違う素材の魅力を引き出した作品について書いていきたい。

シェイクスピアなどの戯曲関係にまで話を広げてしまうと数え切れないので、“2.5次元”と呼ばれる「漫画・アニメ・ゲーム」を原作とした作品に絞って昨年の上演作を2つ挙げる。

「携帯型心理診断鎮圧執行システム、ドミネーター起動しました……使用許諾確認。適正ユーザーです。」

まず1つ目は『PSYCHO-PASS サイコパス』。

人々の精神が数値化される近未来で、正義を問われる刑事のドラマを描くオリジナルアニメーションシリーズ。
2012年10月~2013年3月にフジテレビ「ノイタミナ」にて第1期が放送され、その世界観と複雑な人間関係、衝撃的な展開が話題を集めて大人気となった作品で、2014年10月~12月に第2期、2019年10月~12月に第3期が放送された他、劇場版やノベライズなども好評展開中だ。

舞台化は2019年が初めて。4月~5月にかけて上演されたのが「舞台 PSYCHO-PASS サイコパスVirtue and Vice」。

脚本はアニメ本編にも携わっている深見真、演出は作品の総監督を務めた本広克行。ストーリー監修にはアニメ制作を手掛けたProduction I.G。クリエイター陣を見るだけでも本気度が伝わってくるような顔触れである。

アニメでは警察組織・公安局刑事課一係所属のメンバーを中心とした物語が展開されていくが、この舞台ではアニメには登場していない“公安局刑事課三係”がメイン。
アニメシリーズから見ると“スピンオフ”ということになるだろうか。世界観に準じつつもアニメ本編とは別に軸を置いた描き下ろしのストーリーだった。

内容が明らかになった時は原作ファン・キャストファン共にざわめいていたが、蓋を開けてみれば「この舞台作品は紛れもなく『PSYCHO-PASS サイコパス』だ!」との声が多数を占めた。

成功要因として考えられる要素を挙げていくと、数え切れないほど。
まず原作の設定・骨組みが精密であったこと。その特色を把握していた原作関係者がクリエイションに参加していたこと。アニメと同じボイスキャストと主題歌ユニットの存在感。本広監督ならではといった映像演出の妙。それらの環境を整えた制作陣、大きな期待に応えたキャスト陣、などなど。

特に、ダークな犯罪を発端にして哲学的な問いを畳み掛けていく展開や、人々の精神を数値化する機能“シビュラシステム”の是非、そして特殊拳銃“ドミネーター”の起動音……原作ファンの胸が高鳴る仕掛けの数々と、オリジナルキャラクターに血を通わせ生き抜いてみせたキャストたちの力が大きかったように思う。

主演は鈴木拡樹。そこに和田琢磨、多和田任益といった2.5次元ジャンルを牽引するメンバーに、中村靖日、小澤雄太、池田純矢、さらに山崎銀之丞という個性と実力を兼ね備えた役者たちが揃った。敵陣営には高橋光臣と町井祥真という安定感。
硬派な物語にキャストたちの熱度が絡み合い、リアルな手触りが生まれていたことが印象的だった。

原作のキャラクターやストーリーを舞台上で再現することも2.5次元ジャンルの魅力のひとつだが、原作の設定を膨らませてオリジナルストーリーを舞台で立ち上げるというパターンも可能であることを見せてくれた作品である。

そして、同年の10月~11月に上演されたのが舞台版『PSYCHO-PASS サイコパス Chapter1―犯罪係数―』。

MANKAI STAGE『A3!』シリーズなどを担当している亀田真二郎が脚本、「最遊記歌劇伝」シリーズを手掛ける三浦香が演出。人気作品の舞台化に定評のあるふたりが顔を揃え、アニメシリーズのストーリー原案を担った虚淵玄(ニトロプラス)が監修に入った。

ストーリーはアニメ第1期の前半部分。こちらも“ドミネーター”やそれを運ぶ専用の“運搬ドローン”を始めとするガジェットのリアリティ、人気キャラクターのビジュアルなど、随所にこだわりが感じられた仕上がり。
高く組み上げられたセットの無機質さと、猟奇的犯罪を表現する際の鮮やかな色彩の対比が強いインパクトを残した。

中でも大きな見どころとなっていたのはアクション。
『PSYCHO-PASS サイコパス』はアニメシリーズでも格闘シーンが評判となっており、特に劇場版3部作においては、実際の格闘家などにアクションを再現してもらい、その模様を複数台のカメラで撮影して絵コンテを起こしたという力の入れようだった。

アニメーションではダイナミックなカメラアングルで展開していたそのアクションを、舞台版では体温の上昇や筋肉の躍動といった生身の気迫で魅了。
主演の久保田悠来は舞台・映像問わずアクションを特技として披露しており、その身体能力を狡噛慎也 役としても遺憾なく発揮していた。

逃げ場がない舞台で堂々と立ち振る舞うには確かな土台が必要であり、その土台は日々の鍛錬でしか積み上げることが出来ない。
そのストイックさが、“公安局刑事課一係”のキャラクターと舞台で生きる俳優陣の間でシンクロしたように思う。

原作と舞台の重なり合いを見つけることも“2.5次元”作品の楽しみ方のひとつだと再確認できた。

モリアーティ×6、ホームズ×2

2つ目の作品は『憂国のモリアーティ』。

コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを原案として、名探偵ホームズの宿敵であるモリアーティ教授を主役に据えた少年漫画。
構成・竹内良輔、漫画・三好輝のタッグで『ジャンプスクエア』(集英社)にて好評連載中、アニメ化も進行中の注目作だ。

物語の舞台は大英帝国全盛期(パクス・ブリタニカ)のロンドン。主人公は天才的な頭脳を持つ孤児で、モリアーティ伯爵家の長男・アルバートと結託して、その弟・ウィリアムに成り代わる。主人公の実弟・ルイスもモリアーティ家の養子として兄を支えていく。
階級制度による社会の歪みや差別を憎む三兄弟は、貴族の横暴を始めとするこの世の悪を取り除き、美しい理想の国を作るため“犯罪”に着手。その事件を通じて民衆を目覚めさせるべく、問題を解決する“主人公”として卓越した推理力を持つシャーロック・ホームズに目をつける──。

本作を原作とした2.5次元作品は2つ。2019年5月にミュージカル『憂国のモリアーティ』が、2020年1月~2月には舞台「憂国のモリアーティ」が上演された。

両作品における、主人公ウィリアム・ジェームズ・モリアーティをそれぞれ表現すると、少々クサイ言い回しになるが、舞台版は「理想の世界を作るために暗躍する“天使のような悪魔”」、ミュージカル版は「美しい国を夢見て自らの手を血で汚すことを決意した“悪魔のような天使”」と言ったところだろうか。大いに私見を挟むが。

舞台版の脚本・演出は西田大輔。美貌の若き教授ウィリアムを圧倒的なカリスマとして描きながらも、三兄弟と志を同じくする“モリアーティ”の仲間たちにも大きな見せ場を持たせた。
狙撃の名手であるセバスチャン・モラン(君沢ユウキ)や謎の美女アイリーン・アドラー(立道梨緒奈)が活躍するエピソードがメインとなっていたこともあり、クライマックスでは“モリアーティ”という存在が集団化していくような、ある種の恐ろしさが残った。

ウィリアム役の荒牧慶彦を始めとして立ち回りを得意とする面々と、可動式の舞台装置がアクション活劇の面を際立たせ、クライム・サスペンスに華を添える。
その対比として、アルバート(瀬戸祐介)やルイス(糸川耀士郎)が想いを吐露する場面や、犯罪の被害者を悼む瞬間など、“静”のシーンも引き立っていた印象だ。

北村諒の演じるシャーロック・ホームズは、彼らに翻弄される苦労人の立ち位置ながら、自然に人を惹き付ける茶目っ気と“良心”の輝きを以て舞台を照らす。

探偵と犯人の関係性でいえばホームズが“追うもの”、モリアーティが“追われるもの”となるが、『憂国のモリアーティ』ではウィリアムがシャーロックを“追い詰めていく”面がある。

その関係性をニュアンスとして漂わせていた舞台版とは逆に、モリアーティとホームズの関係性に真っ向からスポットを当てたのがミュージカル版。

ウィリアム役の鈴木勝吾、シャーロック役の平野良がW主演であったことも大きいだろう。
鈴木ウィリアムは高潔さと確固たる信念の中に儚さが漂い、平野シャーロックは危うさと鋭敏さと共にユーモアも備えている。両者どちらにも優しい心が垣間見えるところも魅力だ。

ふたりが惹かれ合う理由は互いの明晰な頭脳故か、それともそれぞれが背負っている狂気か、無自覚の慈愛精神か。親近感を覚えながらも、立場上相容れない者同士の駆け引きに重点を置いた展開は実にスリリングだった。

ウィリアムの兄弟であるアルバート(久保田秀敏)とルイス(山本一慶)を始め、“モリアーティ”陣営の仲間たちは、ウィリアムに導かれると同時に彼を見守る存在。
ウィリアム自身は己を“闇”に沈む存在として“光”のポジションにシャーロックを選ぶが、揺らぎを持つシャーロックを“光”の立ち位置に留まらせるのは、彼の相棒であるジョン・H・ワトソン(鎌苅健太)である。

モリアーティとホームズを取り巻く人物たちを演じる俳優陣も隙がない。歌唱力と合わせて確かな芝居力を持つ面々だから浮かび上がらせることのできる物語の起伏が、確かに伝わってきた。

脚本・演出は西森英行。様々なアーティストのライブ・レコーディングにも参加している作曲家・ただすけが音楽を担当し、ステージはピアノ(境田桃子)とヴァイオリン(林周雅)の生演奏で綴られる。
ピアノは小説に例えるならば優雅な“地の文”のように全編を通し奏でられつつ、ウィリアムたち“モリアーティ”陣営に寄り添う。そしてヴァイオリンはシャーロックの歌声のみならず言動をも彩り、物語のキーとなるシャーロックの分身のような役目を担った。

ミュージカル版の旋律。舞台版のアクション。
どちらも3次元ならではの効果だが、双方の魅力を脳内で重ね合わせてみると、やはり“原作”の良さが根底にあることに気付かされる。

これはそう、様々な味付けを知る内に“素材”の良さをあらためて認識するようなものではないだろうか。ムニエル美味しい、塩焼き旨い。つまりは「やっぱり、旬の鮭って美味しいよね!」的な。

……と、そもそも何を話していたのかを今さっき思い出したのでこじつける。

どの舞台化作品も“素材=原作”の良さがベースになっていることは間違いない。

その上で、原作が見せる表情や設定のどこをピックアップするかで舞台化作品の魅力は変わる。抽出場面やアレンジの仕方などに作り手の腕は試されるのかもしれない。

そこには当然、味の好みや味覚の違いは出る。
それでも「この味付けも合うのか!」と驚いたり、「こうした調理法もアリかもしれない」と感心することは、原作の新たな魅力を見つけることでもあり、自身の視野を広げる一歩にもなる。比べることで分かるものもあるのだと思う。

……とは言いつつ、「様々な作品を見ないと偏りますよ!」などという結論にまとめるのは、「好き嫌いをしていると大きくなれませんよ!」と叱られるような感じで、つまりは余計なお世話だろう。
選り好み上等、気が向いた時に好きなモン食べるのがきっと健康にいい。栄養バランスは知らないが。

ちなみに私は好き嫌いが多くて飽き性だが凝り性でもあるので、鮭の魅力を知った途端に「塩焼きとムニエルは食べたから、今度は刺し身と石狩鍋と鮭とばとチタタプを食べてみたい!」と、急にいろんなものに手を出そうとする。

目下、BBC製作のドラマ『SHERLOCK/シャーロック』を視聴すべきか、それとも原点回帰として“正典”と呼ばれるコナン・ドイルのシリーズを読破しようか、迷い中だ。

文 / 片桐ユウ

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