山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 84

Column

誰もいない庭 / 母のこと

誰もいない庭 / 母のこと

かけがえのないものが永遠に失われたとき、人は本当の意味で「創造」を始めるのかもしれない。
求めても届かないものに向かって伸ばし続ける手が、狂おしい夢を現実に変えるのかもしれない。
人と人との距離が、ひとりひとりの生が問われているいまだからこそ、
人としての原点を忘れないために。
渾身の書き下ろし。


連載も終盤。母の日を前に編集部からのリクエストは「母」。

気恥ずかしさもあって、ずっと蓋をしたままだったけれど、書いておくか、母のこと。

彼女との最後の日々。ちょうど僕が40歳になる頃だった。西洋医学に匙を投げられ、もはや手の施しようがなくなった母に、どうしたいのか尋ねたなら、「生きたい」と言う。

ならば、わかった。僕は本格的にギアを入れることにした。東城百合子さんの”自然療法”という良書を深く読んで、食事を変え、代替療法やびわの温灸を学んで、1日に6時間施術を始めた。

問題は彼女が福岡に住んでいたことで、多いときで月に10回は東京と行き来しなければならなかった。亡くなるまでの一年半、肉体的にも金銭的にもハードだったけれど、後悔はない。

産んでくれて、ありがとう。育ててくれて、ありがとう。愛してるよ。あとのことは俺に任せとけ。臆面もなく伝えられたから。

バッタが足をもがれるように、昨日できたことができなくなっていく。どれだけ愛を注いでも、運命には逆らえず、母も子もそれを受容するしかなかった。

ついに僕の看護にも限界がきて、親類が営む病院に入院。それから彼女が家に帰ることはなかった。

看護師の言葉。「山口さん、人は生きたようにしか死ねないんですよ」。これまで何人を看取ってきたのか、彼女の言葉は恐ろしいまでに、その通りだった。

最後の外出のとき、桜が満開だった。そして、僕は桜が苦手になった。桜が悪いのではない。どうしても思い出すのだ。

入院して、やることがなくなった僕は病室にパソコンを持ち込んで、母との物語を綴った。モルヒネで眠る母を見ながら、それまでの時間を整理していくのは悪くなかった。

なかなかのものが描けたと思う。でも、同じ時期にリリー・フランキーさんが「東京タワー」を出版した。描かれていることがあまりに酷似していて、なおかつ素晴らしかったから、僕のヴァージョンは永遠に封印することにした。

のちに代官山の飲み屋のトイレでばったりリリーさんに会ったから、描いてくれたことのお礼を伝えた。

人生は不思議だ。

男子たるもの。母を失って、初めて一人前。無償の愛はもうこの世にはないことを知る。今度は誰かに注ぐ番だ。

たったひとつの後悔。

山の家で母とふたり。看病の日々。僕が疲れてうたた寝した隙に、母が最後の力を振り絞って起き出し、卵焼きを焼いた。僕の好物だったのだ。

「なにやってんだ !」。僕は叱責した。「あなたに卵焼きを食べさせたくて」と、彼女は泣いた。

いまでも、思い出したら泣けてくる。「おいしい」って食べてやればよかった、と。それが最後の手料理だったから。

葬式はあなたがプロデュースしてちょうだい。あのドレスと靴をお願いね。化粧はヘアメイクの彼を呼んでね。音楽はアイリッシュであなたが選んで。オールド・イングリッシュローズでわたしを埋め尽くして。来てくれた人にはカップ&ソーサーであの紅茶をお出しして。香典はぜったいに受け取らないで。洋服や靴や本、差し上げて欲しい人のリストを今から言うから書き取って。

で、最後に灰はあなたが連れていってくれたアイルランドのドニゴール。あの町の大西洋に撒いてちょうだい。

まったく、ハリセンで後頭部を殴ってやろうかと思ったが、すべて望みは聞き入れて、実現した。

入院した後は家にも帰れなかったから、葬儀屋のともだちと硬直した母親をシーツにくるんで、エレベーターに乗せて、一晩一緒に寝た。コントみたいだった。

ひとつだけ忘れていたことがあった。出棺のとき、誰が棺を抱えるか。ぱっと見渡したなら、バンドのメンバーと目があった。さすがバンド、あうんの呼吸。

あれだけスタイリッシュに生きた人が一見ヤクザチックなバンドのメンバーに抱えられて荼毘に付される。笑劇的で美しい眺めだった。

もうひとつ。ドラマー池畑さんだけが焼香したあと、もう一度列に並んで二度目の焼香をしていた。あとで理由を尋ねたなら、

「一回目は初めましてやろ」と。彼と母は初対面だったのだ。

ほんとうの死とは人々の記憶から消えることだと、今となっては思う。でもまぁ、僕が生きている限り、彼女は僕の中で消えないわけで、やっかいな母は生き続けるのだった。

アーメン。

感謝をこめて、今を生きる。

誰もいない庭 / 山口洋 2004

色あせた空 
遠い遥かな日々
なにもかもが
壊れていった

思い出だけが
刻まれた
この家には
もう笑い声は響かない
今はもう

それでも欠かすことがなく
彼女は雀たちのためにやってくる
東の空が蒼くにじむころ

溢れる夜明けに君の名前を抱きしめ
遥かな空に
君の明日を祈り続けてる

変わることのない
彼女の想い
いつか土へと還るとき
きみはその深さを知るだろう

なにかを永遠に
失うことの意味
それがわからないまま
きっときみは歩いていくのだろう
いつまでも

それでも色あせることのない
ラッキースターが母の空に輝いてる
きみのいばらの道を静かに照らし続けてる

どんなにかきみはこころを奮い立たせて
明日の道を歩いていく
きっと それでいい


HEATWAVE『LONG WAY FOR NOTHING』

「誰もいない庭」を含む2004年発表のアルバム。山口洋(g,vo)、池畑潤二(ds)、 細海魚(key)、渡辺圭一(b)の4人編成になって初めて制作された。「STILL BURNING」から「それでも世界は美しい」まで全11曲。

『山口洋の頭の中のスープ』

1999年、宮城県蔵王町の廃校で録音された「Nobody In The Garden」(後の「誰もいない庭」)が1曲目に収録されたデモ集。1980年(17歳)から現在に至る全23曲。※ライヴ会場とHEATWAVE OFFICIAL SHOP(通販)での限定販売
https://heatwaveshop.stores.jp


著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

1963年福岡県生まれ。1979年にHEATWAVEを結成。90年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表のアルバム『1995』に収録された「満月の夕」は阪神・淡路大震災後に作られた楽曲で、四半世紀を経た現在もなお、多くのミュージシャン、幅広い世代に歌い継がれている。“ミュージシャンズ・ミュージシャン”としてその名を挙げるアーティストも多く、近年は野外フェスやR&Rイベントへの出演も多い。バンド結成40周年となった昨年は、40thツアーとして全国を廻り、スタジオ・アルバムとしては2年ぶりとなる新作『Blink』をリリース(オフィシャルサイト、レコード店、大手通販サイト、配信等で販売中)。ファイナルとなった東京・日本橋三井ホールのステージの音源と映像の作品化に向けて現在取り組んでいる。ライヴハウスやイベントの自粛が求められ、山口洋 (HEATWAVE) solo tour『Blink 40』後半以降予定していたライヴを延期(見送り)せざるを得ないなかで、現在週末にインスタライヴという形で音楽と言葉を届けている。5月16日には故・長谷川博一氏の遺志を受け継ぐイベントを配信(5月19日の開催から変更)。6月に予定していたHEATWAVE TOUR 2020“Blink”は開催見送り、2011年東日本大震災直後に始めたプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE”は12月に開催延期。なお、延期となったライヴを含め今後の動きについては、逐次オフィシャルサイトを参照のこと。

オフィシャルサイト
http://no-regrets.jp/index.html

ライブ情報

「ミスター・アウトサイド」#001(イベント)→インスタライヴ配信に変更

5月19日(火)古書ほうろう→5月16日(土)20時〜1時間程度
詳細はこちら

HEATWAVE TOUR 2020 “Blink”→開催見送り

6月4日(木)東京 duo MUSIC EXCHANGE
6月6日(土)仙台 CLUB JUNK BOX
6月17日(水)京都 磔磔
詳細はこちら

MY LIFE IS MY MESSAGE 2020|Brother&Sister→12月に開催延期

6月12日(金)山口洋(HEATWAVE)×矢井田瞳@横浜THUMBS UP(サムズアップ)※SOLD OUT
6月13日(土)山口洋(HEATWAVE)×おおはた雄一×仲井戸”CHABO”麗市@横浜THUMBS UP ※SOLD OUT
<振替公演>
12月9日(水)山口洋(HEATWAVE)×矢井田瞳@横浜THUMBS UP(サムズアップ)
12月10日(木)山口洋(HEATWAVE)×おおはた雄一×仲井戸”CHABO”麗市@横浜THUMBS UP
詳細はこちら(振替公演に来場できない方への払い戻しについてもこちらに)

HEATWAVE OFFICIAL SHOP

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