STAGE SIDE STORY〜エンタメライター 片桐ユウのきまぐれ手帖〜  vol. 1

Column

vol.1 当たり前にエンタメを受け取れる日まで

vol.1 当たり前にエンタメを受け取れる日まで

演劇、舞台をメインに執筆しているライターの片桐ユウが、芝居やエンターテインメント全般に思うことを綴っていくコラム。作品は人に様々な感情をもたらすもの。その理由やルーツを訪ねて飛び回ってみたり、気になった場所を覗き込んでみたり、時には深堀りしてみたら、さらに新しい気づきがあるかもしれない。“エンタメ”とのコミュニケーションで生まれるものを、なるべく優しく大切に。 初回は、最近周りを駆け巡った名台詞から思い返したエピソードを書き記します。


いつ明けるとも知れない夜は、こんなにも長い

“The night is long that never finds the day.”

シェイクスピア『マクベス』の第四幕第三場。将軍・マクベスに暗殺されたスコットランド王・ダンカンの息子であるマルコムが、同じくマクベスに一家を惨殺され嘆く臣下・マクダフに向かって投げ掛ける台詞だ。

今、きっと多くの人の心の声ともリンクするだろう。いつ明けるとも知れない夜は、こんなにも長い。文化芸術圏は、2月半ばから演劇公演や音楽ライブの延期や中止が相次ぎ、映画館や美術館なども開館自粛。再開の予定は未定のまま苦しい夜が続いている。

この台詞は「長い夜も必ず明ける」という意訳が一般的だが、「明けない夜は長い」という警句とも受け取れる。忠臣を慰めるために掛けた言葉だったのか、あるいはマクベスへの仇討ちに発破を掛けたのか。

物事は全て“解釈”次第。“解釈”=その人の受け取り方次第だ。
台詞や演劇、映画、小説なども含めた“作品”は、様々な解釈が生まれるからこそ面白い。
だが昨今の状況を見ると、違いを“面白い”と括ることは難しい。

音楽・演劇といったライブや文化芸術をひと括りにして表現するが、いわゆる“エンタメ”関係は、この騒動で広がる波紋がイチ早く届いてしまった業界のひとつだったと思う。人命を守るための決断だと納得しつつも、“延期”や“中止”の2文字に涙を飲んだ人は計り知れない。

だが現時点で、その涙や流した血が顧みてもらえるという希望は未だに薄い。それだけ今の社会には余裕がないのだとも思うが、時間の経過とともに、未曾有の混乱が生活に及ぼす影響の大きさや受け止め方がそれぞれ違っているということもむき出しになってきて、“解釈”という範囲では収まらない、深刻な断絶が広がっていくように感じられる。
何が最優先か、不必要か。個々の価値観がさらけ出されていく。

そんな中で、はたしてエンタメはどこまで人間の生活に必要なのかと己に問う時がある。
……と言いつつ、その答えは9年前から持っているのだ。

フリーライターの“ライ”が付いたり消えたりしながらも、志していたエンタメ関係の仕事にようやく携わり始めていた時期に、東日本大震災は起こった。
TVには命の危機に晒された人や大事なものを失った人々の姿と、救命の仕事を全うするために活動する人たちの必死な姿が映し出されていて、身近な中には自分に出来ることを探して被災地に飛んで行った人もいた。

当時、私は“ライ”が付いていない方の仕事のシフト明け、アニメ雑誌に掲載する原稿を仕上げながら、「一体どこに向かって、何のために書いているんだろう?」とぼんやり思っていた。今にして思えば大変失礼な気持ちだったのだが、貴重な原稿依頼も、その数週間前に編集部から採用の連絡を受け、芸能取材をできることになったチャンスすらも全てが色褪せて感じられた。

そんな時、キッカケは忘れたけれど音楽を生業としている友人と話をした。

その友人は、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件の当日、米国行きの飛行機に乗っていたという恐るべきタイミングの持ち主。彼の乗った便はニューヨークへと向かう予定だったが、テロ発生の知らせを受けてアラスカに緊急着陸。冷え切ったアンカレッジ国際空港でしばらく足止めを食うことになったという。

凍えた乗客たちには、最初にブランケットが配布された。次にサンドイッチと温かいコーヒー。そうして体が少しだけほぐれた頃合いだったのか。「その次に、音楽が流れたんだ」と、友人は言った。

人が、温かさと腹を満たされた後に欲したものは、音楽という“エンタメ”だった。
事実、そのことで訪れた空気の和らぎを彼は肌で感じたそうだ。
「だから我々がやっている仕事は、人間が生きるために必要不可欠なんだよ」
淡々と、だが確信を込めて友人は語ってくれた。

そうかあ、と思った。そうなのか、と思えた。

友人の言葉を立証するかのように、9.11の後も3.11の後も、音楽や演劇、エンタメの力が時に人々の救いとなり、忘れてはいけない想いを刻んでいる。
自分の中にも、このエピソードは仕事に対する信念を形作るひとつとして根付いていて、ずっと胸の内にある。

そして今も、エンタメは人々の支えになっている。
身を削って仕事を休み、自宅待機をして外出を控える人や、リスクを負って外で働く人たちに向けて、様々なジャンルのエンタメが力を振り絞っている。

署名活動、リモート配信、SNSを通じてのバトン・コミュニケーションなど、アーティストや俳優たちが動画や画像をつないでいる。それはエンタメ従事者の生活やアイデンティティの確保というより(もちろんそれもマストで全ての人が守られるべきものだが)、もっと切実な呼び掛けにも感じられる。

この記事を書くにあたって、久しぶりに例の友人に連絡を取った。
あのエピソードを書かせて欲しいというこちらの願いを、友人は「へい。」と了承してくれた。そして相変わらず淡々としたテンションと切れ味で、エールと共に「エンタメがない世界は危険だよ。エンタメは“安全装置”だから」という言葉もパスしてきた。

啓示に思わせておいて、けっこうな重い課題を受け取ってしまった気もしたが、腑に落ちるところがあった。
そう、きっとエンタメには“趣味”という印象が与える“暇つぶし”や“遊び”といった、ほのぼのした役割以上のものがあるのだ。

ブランケットもサンドイッチも配られない中では、途方もなく長い夜の先に感じる話かもしれない。だけど、音楽・演劇、文化芸術これらのエンタメ全て、人には絶対に必要だ。
だから胸を張って、エンタメのいろいろを書き記し続けていきたいと思う。できれば、“安全装置”という切羽詰まった言い方より、“娯楽”という言葉で皆が当たり前にエンタメを受け取れる日まで。

そういえば冒頭の台詞だが、「夜明け」を切望している点は一致している。
全ての人が、この夜明けを笑顔で迎えられますようにと願う。

文 / 片桐ユウ

関連書籍:ウィリアム・シェイクスピア『マクベス』
vol.1
vol.2