サザンオールスターズと昭和・平成・令和元年  vol. 29

Column

甘みや酸味、渋味も揃い、音楽人生の熟成を感じさせた『葡萄』というアルバム

甘みや酸味、渋味も揃い、音楽人生の熟成を感じさせた『葡萄』というアルバム

2018年にデビュー40周年を迎えたサザンオールスターズのバンド・ヒストリーを、彼らが生み出した数々の作品から改めて見つめていく。音楽評論家・小貫信昭が独自に紐解く、サザンオールスターズの魅力──。


『葡萄』は前作『キラーストリート』(2005年)からはほぼ10年ぶりとなる2015年のリリ−スである。これだけの年月を経ると、バンドの変化に止まらず、世の中や、音楽シ−ンの変化も含め、それらがどう反映されているのかが気になるところである。最初に結論を書く。サザンオールスターズはアップ・トゥ・デイトに変化し続けていた。でも嬉しいくらい、“相変わらず”でもあった。

アルバム全体のガイド的なテキストは、既に様々に存在するだろうから、外せない楽曲に絞って書いていく。まず、このアルバムでみせた新たな部分としては、これまで以上に“詞先ぽい”とおぼしき作品だ。

と、書いておいてナンなのだが、言いたいのは作業的に詞と曲の“どっちを先に書いたのか?”という事実ではなく、あくまで作品の聴感として、“詞先ぽい”と思われる作品が存在することなのだ。

「天井桟敷の怪人」は、典型ではなかろうか。タイトルからは日本の演劇文化へのオマージュも感じるが、もちろん桑田は演劇人ではなく音楽人だ。そんな彼だからこそ成し得たヴァーチャル“サザン・ミュージカル”が自由に展開されているのがこの楽曲なのだっだ(でも、そもそもステージ上のサザンオールスターズは、メンバーのみならずサポート・ミュージシャンやダンサー含め、まさに毎回“一座を組んで”ファンを喜ばせているとも言えるだろう)。

この歌の創作過程などをアルバム発売時に添付された『葡萄白書』で知るにつけ、ますます興味深くなったのは、いったん桑田の中にこの歌の中心となる座長が“降りて”きて、その人物に帰依することで、こうした歌詞が展開されていったという事実なのだ。

このような作詞法は、これまでになかったものではなかろうか。桑田はこのアルバムの歌詞を「短編小説のような気持ちで書いた」と言ってたし(『葡萄白書』)、だとしたら、よく小説家が言うところの「登場人物を設定したら、その人物が勝手に動きだし、物語が生まれた」ということだったかもしれない。実際、座長が放つセリフとおぼしき言葉も歌詞に組み込まれている。これなどまさに“動きだし”た例である。

さて後半。ここからは、嬉しいくらい“相変わらず”のサザンオールスターズについてである。もちろんあの曲に言及しないわけにはいかない。「天国オン・ザ・ビーチ」だ。

普通、キャリアを積めば“偉いヒト”に見られたくなるものだが、このバンドにはそんなバイアスは一切かからない。もちろん世の中の保守層からは、[ハミケツほいほい]なんて歌詞を国民的バンドが白昼どーどー歌っていいのか、不真面目だ、みたいな意見も出てきそうだが、しかしこうしたエロの部分も、桑田が純粋に古今東西の魅惑のポップから受けてきた影響のひとつである。

例えばエリック・クラプトンからアメリカの黒人のブルースに遡ったとしたなら、ブルースの歌詞というのはエロに関する比喩表現が発達した分野でもあるわけだ。

とはいえこの作品には、“相変わらず”だけで済ますことができない要素も含まれている。そもそも「天国オン・ザ・ビーチ」というタイトルのつけ方からしてそうだ。20代の頃なら、こうはやらなかっただろう。そこには死生観といったものも、滲んでいるのだし。

だって天国がビーチ沿いにあるなんて、これはビーチじゃなくて、さっき渡り切った三途の川がたまたまそう見えてるだけなんじゃないかとも思うわけだし、この歌の主人公は天国にたどり着いたけど、若干素行が悪くて現世に送り返されちゃうかもしれないし…。

アルバムとは曲順が総てなのだ、という立場から述べるなら、「天国オン・ザ・ビーチ」の愉快な狂乱のあと、しみじみと「道」のイントロが流れてくる。お調子者の“天国”は、ただ単に「道」の引き立て役だったかもしれない。その場合、「天国オン・ザ・ビーチ」で下がった目尻は、「道」のイントロにより、徐々に利き目のほうから元に位置に戻っていくのだった。

文 / 小貫信昭

ALBUM『葡萄』
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