オトナに響くストーリーマンガ  vol. 4

Review

現代美術作家がラブコメマンガを描いた!? 近藤聡乃『A子さんの恋人』の、一筋縄ではいかない世界に分け入る

現代美術作家がラブコメマンガを描いた!? 近藤聡乃『A子さんの恋人』の、一筋縄ではいかない世界に分け入る

近藤聡乃『A子さんの恋人』6巻が3月14日に発売。アーティスト・イラストレーターとしても高い評価を受ける作者が描くのは、一見「ふつうの」ラブコメ作品のようで……? 初期作品やエッセイコミックも補助線にしつつ、その奥深くに分け入っていこう。

文 / 永田 希


現代美術作家がラブコメマンガを描いたら

『A子さんの恋人』最新6巻書影。 ©近藤聡乃/KADOKAWA

ニューヨークに恋人のA君を残して帰国した英子。美大時代からの友人けいことゆうこ、そして英子が渡米前に付き合っていたA太郎たちと過ごす阿佐ヶ谷の日々が始まる。
ニューヨークにいるA君と、阿佐ヶ谷で待っていたA太郎とのあいだでどっちにつくともなく揺れながら、仕事、作品、生活にどう向き合っていくのかを自問する英子を中心に、他の登場人物たちの生活も少しずつ変わっていく。A君からのプロポーズに対する返事の期限として設定された1年のあいだ、英子はどのように過ごし、何をするのか。

本作『A子さんの恋人』の作者は、10年以上前からニューヨークに住み、現代美術の作家としても活躍している近藤聡乃(こんどうあきの)。本作は、その近藤の初長編となるマンガ作品だ。
作者の美術作家としての顔や、初期の短編作家としての顔を知っていると、本作は意外なほど「ふつうの」ラブコメ作品として始まる。だがA君のプロポーズに対する返事の猶予期限である1年が残り少なくなるにつれて、主役の英子の煩悶は徐々に抽象度を高めていく。ニューヨークにいる恋人A君との結婚、あるいは渡米前にはっきりと別れの言葉を交わすことなくなんとなく距離ができたA太郎との復縁は、はっきりとは語られないものの、それぞれ次のような意味合いを持っていると(一旦は)言うことができる。

A君との結婚は、包容力のあるA君の懐に招き入れられることであり、その反面、日本で暮らしてきた懐かしさから離れることでもある。他方、A太郎との復縁は、逆に懐かしさへ帰ること、学生時代のような弛緩した、少しだらしないが安心感のある暮らしへの回帰という側面がある。
だが、このようにふたりの男性のどちらを選ぶかという構図は、そもそも偽の問題設定であることにも英子は気がついている。つまるところ、どちらを選ぼうが、所詮は自分の身の振り方を自分で選ぶことでしかない。

A君、A太郎という記号化された名前で呼ばれるふたりの男性とは、英子=A子の相反するふたつの願望を投影したキャラクターであり、また逆に英子=A子じしんは、A君とA太郎のあいだにいることで作品中に存在する位置を得ている立場でもある。この英子=A子、A君、A太郎、という三者のバランスをどう解決するのかというのが、本作の抽象的な構造だとも言える。

「マンガ家がマンガ家を描く」入れ子構造に注目

こう書いてしまうと、よくある三角関係モノと構造が共通しているだけだと思われるかもしれない。しかし本作には単純なラブコメ的な三角関係にとどまらない、もうひとつの側面がある。

本作には、英子のマンガ家としてのデビュー作が作中作品として登場する。英子は、この作中作品を描き直すことで、停滞している自分の現状が打破されるのではないかと漠然と感じつつ、その結末をどうするのか決めあぐねる。
この「デビュー作」と英子の煩悶は、作者が三角関係をどう決着させるか悩んでいる姿の投影にも見える。ニューヨーク在住の作家である近藤が、ニューヨークから帰国しているマンガ家の英子が悩む姿を描く。入れ子の構造だ。

英子が描き直そうとしている作中作品では、ある自閉した部屋から抜け出せない少女と、その少女と自他の区別がつかない少年とが出会う。英子の悩みは作中作品のなかの「自閉した部屋」から少女が「どう出るか」という問題であり、この問題は、作中作品をどう終わらせるかという問題であると同時に、「作中作品の少年をどのような存在として描くか」という問題でもある。

本作の読者は、英子を含むキャラクターたちの生活が今後どうなっていくのかを見守るのと並行して、英子が作中作品をどう終わらせるのかを見守り、そして作者である近藤が英子たちの物語をどのように描くのかを重ねて読むことができる、ということになる。作中の英子=A子とA君そしてA太郎の三角関係と、作中作品を描き直そうとする英子とその英子の姿を描く近藤という二重の入れ子構造。

登場人物のそれぞれに感情移入して読むもよし、それを描く作者の選択や思惑を想像しながら読むもよし。もちろんあらゆる創作物はそのように読まれうるのだが、一読してもらえばわかるとおり、英子たちはとてもいきいきと描かれていて、作者の記号的な操作からは自由なように見える。記号的な印象を与えるのは作中作品だ。そしてその記号的な作中作品を書き直すことで操作しているのは、作者である近藤が操作しているはずの英子なのだ。

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初期作品にも現在に通ずるエッセンスが

『はこにわ虫』書影。 ©近藤聡乃/青林工藝舎

『A子さんの恋人』では主人公の英子が自分のデビュー作を描き直そうと頭をひねるが、短編集『はこにわ虫』には『A子の恋人』の作者である近藤じしんのデビュー作「小林加代子」が収録されている。

「小林加代子」は、「小林スリパ」というスリッパを売る店で働く女性が、スリッパが売れない日々をアメを舐めながら過ごす様子を、夢や誇張された描写で表現した作品。近藤はこの「小林加代子」で、雑誌『アックス』の賞を受賞してデビューした。なお『アックス』は、かつて『ガロ』を刊行していた青林堂から独立した『ガロ』編集者たちを中心に設立された青林工藝舎から刊行されている。

近藤は、デビュー後に描いた「美しい町」(『はこにわ虫』所収)という連作の第3話に「商店街(加代)」というタイトルをつけて、ふたたび「小林スリパ」を登場させている。この「美しい町」は、男性1人・女性3人の幼馴染みが「夏休みの宿題」としてそれぞれの思い出の中の恐怖体験を語り合う作品。この4人が、A太郎(もしくはA君)、英子、ゆうこ、けいこにそれぞれ似ているような気がしてくるかもしれない。

しかし『A子さんの恋人』読者には、オチとなる第4話でその「美しい町」から、幼馴染みのある1人の引っ越しが鍵になっていることに注目してほしい。『A子さんの恋人』はそもそも、モラトリアムな美大時代の友人たちから英子が離れて渡米したこと、そしてアメリカから帰宅したことがもっとも大きな変化として描かれている。そう、引っ越しなのだ。

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作者の日常を知ることでさらなる深みに

『ニューヨークで考え中』最新2巻書影。 ©近藤聡乃/亜紀書房

『ニューヨークで考え中』は、近藤のエッセイコミック作品だ。『A子さんの恋人』と並行して、近藤が住んでいるニューヨークの日常を中心に描いている。

『A子さんの恋人』で英子たちが繰り広げる心理戦的なやりとりの複雑さを考えれば、同作を単なる近藤の私生活の反映として読むのは素朴すぎるだろう。しかし同作のような多層的で入り組んでいて、それにもかかわらずスーッと楽しく読めてしまう作品を、どんな人がどんな日々を送りながら作っているのかを知りたいのであれば、本作をぜひ手に取ってほしい(もっとも、エッセイコミックだからといって、本作に描かれていることが客観的事実であると保証するものは何もないのだが)。

それはさておき、『A子さんの恋人』ではもっぱらA君とA太郎のあいだで揺れ動く英子が「考え中」になっていた。そもそも英子は、A君からのプロポーズに対してずっと「考え中」でビザの申請をしそびれた結果、帰国せざるをえなくなったのだった(何ヶ月もプロポーズの返事を引き伸ばされた挙句、うっかり帰国せざるを得なくなった英子にA君は怒りのあまり動転する)。

この『ニューヨークで考え中』は、『A子さんの恋人』の作者が文字通り「ニューヨークで」何を「考え」ながら過ごしているのかを垣間見させてくれる。もちろんこの作品の魅力はそれだけではない。『A子さんの恋人』とも、『はこにわ虫』とも違った筆致で、ニューヨークの街の風景が描かれているのだ。ニューヨーク生活の擬似体験を楽しむこともできるし、多彩な画風を使いこなし、使い分けている作者が、この画風に何を込めたいのかを勝手に読み取ってみるのも悪くない。

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