佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 130

Column

しゃべるかのように歌詞を書くことを徹底して追求した忌野清志郎のソングライティング

しゃべるかのように歌詞を書くことを徹底して追求した忌野清志郎のソングライティング

2月16日の18時からBSフジで「忌野清志郎」を語り継ぐ2時間の特別番組がオンエアされた。

出演者した5人、泉谷しげる、いとうせいこう、大竹しのぶ、木村拓哉、武田真治の話はいずれも人間味にあふれていて、じつに興味深いものだった。

なかでも印象に残ったのは番組が始まってまもなく、泉谷しげるが初めてRCサクセションのライブを見た時の衝撃について、このように語ったことだった。

「およそ歌詞にならないようなことを歌詞にして唄っているのに驚いた」

これは忌野清志郎という稀代のアーティストの本質に迫る、まことに的を射た発言だと思った。

そこから自分が最も好きな言葉をすぐに思い浮かべた。

「ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ」

これはロックン・ロール研究所編「生卵 忌野清志郎画報」に掲載された、アルバム「カバーズ」についての気持ちを述べたインタビューのなかにあった言葉だ。

BSフジの番組は2時間の長尺だったが、出演者も制作者も『輝き続けるキヨシロー』を信じていることがわかったし、リスペクトの気持ちがにじみ出てくる内容になった。

だから番組が終わろうとしたときまで、自分の中ですがすがしい思いが続いたのだろう。

エンドロールを見逃したくなかったのは、こういう番組を制作した人の名前をいくらかでも、記憶しておきたかったからだ。

そして明るくはじけた感じの番組ロゴをつくったのが忌野清志郎の長女、消しゴムハンコ作家の百世さんだということが分かって、そこでも心が和んだ。

その直後には旧知のプロデューサーの名前も確認できて、とても満たされた気持ちになったのである。

ツイッターを見ると、さっそくこんな書き込みがみつかった。

そこからしばらく余韻にひたっていたくなったぼくは、忌野清志郎の番組を思い出せるところから振り返ってみた。

そうしたら急に音楽学者の小島美子が著書「歌をなくした日本人」のなかで、日本から消えていった民謡について、“ホンネを語る”という面からとらえていた話を思い出した。

歌はもともとホンネを語るものだった。ある時は苦しいときの愚痴として、ある時は喜びの叫びとなって生活の中に深く根付いていた。

忌野清志郎は RCサクセションの時代から生涯を通じて、”しゃべるかのように歌詞を書く”ことを徹底的に追求した表現者だった。

彼は自分が伝えたいホンネを文字にして、自分が素直に唄える歌詞を書くことに徹した。

それと同時に日本語の意味だけでなく、リズムと響きにこだわりを持って、時代にふさわしい新しい歌を作り続けた。

かんたんな言葉によるフレーズを繰り返すことで、歌が説得力を持つようになるのは、アメリカのブルースにも通じる表現であるが、忌野清志郎はそこを究めていったのだと思う。

「その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね。ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね。」

ヴォーカリストとしての忌野清志郎は、日本語の持ち味を活かせる曲づくりを徹底するために、自分の声質や発声法を開発したとも語っていた。

「“日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだ”って言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。」

忌野清志郎の作詞において、日本語のイントネーションを大切にするのは、基本中の基本なのである。

彼は唄ったときの説得力が何より重要だと思っていたから、美文調の歌詞など必要がなかったとも述べている。

「うたってる言葉がはっきりわかれば、特別難しい言葉を使ったり、難しい文法を使わなくても歌の説得力はあると思うんですよね。別に美文の詞じゃなくてもね、単刀直入のフレーズでも、はっきり聴こえれば説得力はあると思う」

高校3年生の時にRCサクセションとしてデビューすることが決まり、そこで書いた歌が「宝くじは買わない」である。

宝くじは買わない
作詞:忌野清志郎  作曲:肝沢 幅一

宝くじは買わない だって僕は
お金なんかいらないんだ
宝くじは買わない だって僕には
愛してくれる人が いるからさ

どんなにお金が あったって
今より幸せに なれるはずがない

宝くじは買わない だって僕は
お金で買えないものをもらったんだ hey…

これぞ自分が伝えたい思いを素直に言葉にして、単刀直入のフレーズに仕上げた歌だった。

そこでぼくは日常の話し言葉のままにつくられた歌を、なんとなく初期の作品から思い浮かべてみた。

「夜の散歩をしないかね」「釣りに行かないか」「日当たりのいい春に」「うわの空」「甲州街道はもう秋なのさ」 「ぼくはぼくの為に」「いい事ばかりはありゃしない」「弱いぼくだから」「わかってもらえるさ」「キミかわいいね」「金もうけのために生まれてきたんじゃないぜ」「山の麓で犬と暮らしている」「世界中の人に自慢したいよ」「君はそのうち死ぬだろう」「ヒッピーにささぐ」…。

最後にあげた「ヒッピーにささぐ」の場合を例にとると、ヒッピーというあだ名だった自分のマネージャーが急死したことを、そのままストレートに歌詞にした作品であった。
一般的なヒッピーの概念や意味が、この歌詞のなかでは何の関係もなかった。

だが、ヒッピーと名づけられた若者のイメージや、突然の死に見舞われた動揺と哀悼の思いがストレートに伝わる歌詞だった。

彼は頭も凄くいいヤツでさ、不遇時代のオレ達をけっこう励ましてくれてさ、「清志、オレがおまえらを有名にしてやる」なんてね。
その彼が、ある日突然死んじゃったわけ。ポックリ病だった。

歌の中に検屍官とか市役所という単語が使われたのは、これが初めてのことだったのではないか。
しかも「死」を連想させる「シ」の音韻が、ごく自然に使われていた。

検屍官と市役所は
君が死んだなんていうのさ
明日また 楽屋で会おう
新しいギターを 見せてあげる

忌野清志郎は自分の表現を突き詰めていくことで、結果として日本語のロックを確立することに大きな貢献を果たした。

そんなことを思いながら、ぼくはおだやかな眠りに落ちたのだった。

トップ写真撮影 / 井出情児
本文写真提供 / BSフジ

参考文献および引用元:小島美子著「音楽選書 歌をなくした日本人」(音楽之友社)、連野城太郎著「GOTTA! 忌野清志郎」(角川文庫)、ロックン・ロール研究所編「生卵 忌野清志郎画報」(河出書房新社)、長谷川博一著「ミスター・アウトサイド : わたしがロックをえがく時」(大栄出版)

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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