サザンオールスターズと昭和・平成・令和元年  vol. 26

Column

結局、遺作とはならなかった『キラーストリート』の永遠の輝きとは

結局、遺作とはならなかった『キラーストリート』の永遠の輝きとは

2018年にデビュー40周年を迎えたサザンオールスターズのバンド・ヒストリーを、彼らが生み出した数々の作品から改めて見つめていく。音楽評論家・小貫信昭が独自に紐解く、サザンオールスターズの魅力──。


“「すごいの、頂戴。」名盤保証!!”。

そんなレコード会社のキャッチコピーとともに、『キラーストリート』はリリースされた(2005年10月)。でも“名盤保証!!”という表現は、なかなか勇気がいる。虚偽・誇大広告とみなされたら特定商取引法で罰せられるかもしれないからだ。しかし虚偽でも誇大でもなく、このアルバムは正真正銘の名曲揃いであった。

音楽をじっくり聴くという、基本的なことを思い出させてくれるところもあった。DISC 1の1曲目の「からっぽのブルース」もDISC 2の1曲目の「ごめんよ僕が馬鹿だった」も、景気づけの派手なオープニングというより、腰を据えた音楽性を響かせていた。秒単位の刺激じゃなく、数十分単位で心のコリをジックリほぐしてくれるのが、そう、『キラーストリート』だったのだ。

そもそもデビューの時から幅広い音楽性を誇ったこのバンドは、途中、専門店に衣替えすることなくそのままだった。50年代に始まるロックやポップの歴史を系譜的にまといつつ、さらに日本で独自に“和製”したものからも吸収し、それら膨大な情報をサザンオールスターズというフィルターに通してドリップした音楽の芳醇な液体が、このアルバムなのだった。

とはいえ30曲というのは気が遠くなる。既発シングルはあるものの、「神の島遥か国」以外の作品は、すべて見直され、時にダビングなどもし直している。これだけあるのに、似通ったものがないというのは驚異だ。もし30色入りの色鉛筆の箱だとしても、[お詫び 工場の手違いで17番目の色は同色が2本梱包されてしまいました]みたいなことは一切ないわけだ。

2枚組ということで、『KAMAKURA』と比較される。ただ、あの作品集は20曲。彼らとしてみたら、90年代以降のアルバム1枚分(=15曲前後)の感覚で2枚組を制作した意識だろう。CD時代となり、アルバムの収録時間が長くなり、他のアーティストはそれで満足していたと思うが、サザンオールスターズは違っていた。

桑田もインタビューで、「30曲を時間かけて作っていく人間関係やバンド関係」こそがこのアルバムの特色だと言い、「それ以外の思想やコンセプトは持ち得なかった」と語っている(アルバム発売時に添付されたブックレットのインタビューより)。でも、本作には“思想やコンセプトが皆無である”と言ってるわけではない。

そもそもコンセプトとは、全体の骨格たる考え方のことだ。しかしこのアルバムの場合、個性豊かな1曲1曲のなかに、思想や真実が別個に存在するということだ。メンバーにしてみても、あとはご自由に、ということだろう。「“キラーストリート”にはたくさんの信頼できる素敵な店が並んでます。お気に入りの一店舗をぜひ見つけて下さい」(商店会会長・年頭の挨拶より)みたいなことかもしれない。

桑田が言う「バンド関係」という、この言葉の表現は非常に重要だ。それはつまり、メンバーがそれぞれに刺激し合い、“バンド・アンサンブルをより説得力あるものにしていくための時間を惜しみなく共有できる関係”ということだ。

レコーディングに際しては、2005年の2月にメンバーが鎌倉のスタジオに集合し、2泊3日の合宿をしつつ、「ごめんよ僕が馬鹿だった」のセッションから始めてみたそうだが(その時点での既製曲は除く)、その時の良質なヴァイブレーションは、完パケたこの曲のなかに息づいている。アルバム・タイトルはビートルズ絡みではあるが、僕はむしろ「ごめんよ僕が馬鹿だった」などは、ロックンロールの“軽(かろ)み”に到達しているという意味で『ラヴ・ユー・ライヴ』の頃のローリング・ストーンズを思い浮かべたりもした。

『キラーストリート』は、サザンのラスト・アルバムになっても悔いがないように作られた、みたいな話もよく耳にした。そう伝播されたのは、おそらく桑田が、先程もちらりと引用させて頂いたブックレットのインタビューで、こう発言しているからだろう。引用する。

「このアルバムで井戸を掻き出し過ぎちゃって、もうサザンも終わりかもしれないな」っていう不安や、「もしかしたらこれはもの凄い美文で書けた遺言書なんじゃないか」みたいなね。辞世の句みたいなものかもしれないじゃないですか、このアルバムが。そのくらい切羽詰まってるというか、後がないんだという気持ちではありますね。

前後を省いているので、言葉が強調されて伝わるところがあれば恐縮だが、それ相当の覚悟が伝わってくる。また、音楽ファンは「ラストかも?」ということを、実はある音楽的な“サイン”により感じ取りもした。「キラーストリート」と題された、DISC 1の13曲目の短いインスト曲だ。

桑田自身はこの曲を、イタリア映画のエンニオ・モリコーネ的世界観と説明しているが、我々はこの曲を、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」(彼らの最後のライブの記録映画)のテーマ曲に似たものとして受け取った。いや、実際に曲の感じも似てたのだ。

でも、誰もが知っているように、『キラーストリート』は遺作とはならなかったのだ! 頓智のようで恐縮だが、改めて引用した桑田の発言を見てみよう。彼はあくまで“井戸を掻き出し過ぎちゃって”と言った。井戸の水は……、そう。時間が経てば再び湧いて来るのである。

もし手元に『キラーストリート』があるなら、改めて聴いてみて欲しい。発売当時も聴いてた人は、特に…。15年の歳月は、このアルバムの“聞こえ方”を変化させているはずだ。当時好きだった曲を今も好きかもしれないが、当時は30曲中、(もしランクつけるなら)ベスト5に入るってたわけじゃない曲にこそ、より一層の今の愛着を感じるかもしれない。

こんな書き方をすると、つい最近このアルバムを知った新たなファンを置き去りにするみたいだが、そんなことはない。その人も、何年後かに本作を聴けば、同じ現象に出会うはずだ。

僕はこの原稿のため、改めて二度ほど全曲を聴いてみた。現時点で一番心に響いたのは「恋人は南風」 だ。そういや昨日は、北風が冷たかったなぁ…。

文 / 小貫信昭

ALBUM『キラーストリート』
その他のサザンオールスターズの作品はこちら
vol.25
vol.26
vol.27