佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 129

Column

知る人ぞ知るレジェンドだったまきみちる(槇みちる) の『My Songs』は、聴くほどにスタンダード・ソング の素晴らしさを伝えてくれる傑作!

知る人ぞ知るレジェンドだったまきみちる(槇みちる) の『My Songs』は、聴くほどにスタンダード・ソング の素晴らしさを伝えてくれる傑作!

今年になってから最初に購入したCDが、まきみちるの『My Songs』だった。
そこに収められた12曲はいずれもスタンダード・ソングだが、発表された当時はそれほど世の中に受け入れられず、“かくれた名曲”や“知られざる傑作”と言われた歌が多かった。

そこには日本の音楽シーンで50年にわたって活躍してきた、”知られざる実力派”で”かくれた名歌手”ならではの選曲の妙と、センスの良さが確かに感じられるものだった。

丹精込めてニューヨークでつくられたこのジャズ・アルバムは、歌の至宝というべきレベルに達していると思う。
ぼくはこのアルバムをプロの歌手、プロの役者、プロの作家…といった人はもちろんだが、何らかの表現者をめざしている人にも、ぜひ聴いてほしいという気持ちになった。

そして1ヶ月ほど聴き込んでいくうちに、歌手の存在が必要以上には感じられないことにも気づいた。
歌の技術や個性を打ち出す歌手が主役なのではなく、歌を成り立たせている音楽が主役で、そこには歌手が必要不可欠なのである。

まきみちるは50年以上の長いキャリアがあるプロの歌手だが、このアルバムでは自分を消して、伝達者の役割に徹していると思った。
だからこそ、生きている歌と音楽だけが、純粋に聴き手の心をふるわせるのだろう。

『My Songs』がプロの歌手のためのバイブルにふさわしいスタンダード曲集として、もっと知られてほしいという感慨がぼくのなかで湧き上がってきた。

ぼくは1966年にヒットした「若いって素晴らしい」を聴いて、槇みちるという歌手を初めて知ることになった。
そして生命力にみちたみずみずしい彼女の歌声と、安井かずみの飾らない素直な歌詞の両方に惹かれたのだ。

晴れた青空のように澄んだ心を、女性がストレートに謳ったポップスは、新しい時代の讃歌になった。

ところがそれからしばらくして、槇みちるは音楽以外の仕事が合わなくて、芸能界を引退してしまったことがわかった。

ぼくは1974年に大学を出て音楽業界に入ったが、それからしばらくして、スタジオ・ミュージシャンとして活躍していた伊集加代子さんが率いる「シンガーズ・スリー」に、槇みちるがときとしてメンバーに加わっているという話を聞くようになった。

『My Songs』を発売しているレーベルの公式ページでは、引退後についてこう書かれている。

70年に第一線の歌手活動を引退したのち、スタジオ・ミュージシャンとして活動を再開。彼女がヴォーカルを担当したCM曲は2,000曲にのぼる。また、バックコーラスとしての活動も活発に行い、岩崎宏美「ロマンス」「霧のめぐり逢い」、山口百恵「しなやかに歌って」、沢田研二「サムライ」、ピンク・レディー「モンスター」など、数多くのヒット・ソングのレコーディングに参加している。

1979年の夏だったと思うが、甲斐バンドのレコーディングをしていたときに、シンガーズ・スリーに「安奈」という曲のコーラスをお願いしたことがあった。
そしてスタジオに槇みちるさんがやって来た時は、少し胸が高鳴ったことを覚えている。

~♬ 安奈 おまえの愛の灯は まだ 燃えているかい~

ア・カペラの女性コーラスから始まるこの歌は、甲斐バンドの中でもベストスリーに入るヒット曲になった。

さて、個人的な思い出で少し横にそれてしまったが、『My Songs』の話にもどりたい。
まきみちるはこのアルバムのなかで、新しい挑戦にもいくつかトライして、それぞれに結果を出している。

とくにぼくが驚いたのは1970年のヒット曲だった辺見マリの「経験」が、まったく新しい歌詞で唄われていたことだ。

嬌声にも受けとれる「♫やめて〜」という唄いだしと、その思わせぶりなフィンガー・アクションが、テレビを通して注目されたことによって、艶やかな「経験」はヒットに結びついたと言われる。

そのオリジナルが安井かずみの歌詞だったことにも、不思議な縁を感じてしまった。
しかしアルバム『My Songs』ではまったく新たな歌詞になり、都会の風景に叙情を 織り込んだ「河のゆくえ」という、普遍的な歌に生まれ変わったのである。

CDのライナーノーツによれば、作曲した村井邦彦から「ちょっと歌ってほしい」と言われて、レコーディングしたのだという。
こうした試みが随所に行われたことによって、『My Songs』はアグレッシブで現代的な日本語による傑作になった。

自分を抑えることで歌そのものが持っている世界を感じさせて、そこに新たなる息吹を吹き込んだプロの仕事には、畏敬の念を抱かずにはいられない。

◇メンバー
まきみちる (ヴォーカル)
ケニー・バロン (ピアノ) 北川 潔 (ベース)
ジョナサン・ブレイク(ドラムス) 直居隆雄 (ギター)
録音;2019年7月1,2,3日
サムライ・ホテル・レコーディング・スタジオ(ニューヨーク)

◇収録曲
1. ラブ・スコール (M.McDermott/C.Jones/大野雄二)
2. 君をのせて (岩谷時子/宮川泰)
3. イン・ザ・スティル・オブ・ナイト (荒木とよひさ/美野春樹)
4. 黄昏のビギン (永六輔/中村八大)
5. 見上げてごらん夜の星を (永六輔/いずみたく)
6. 胸の振り子 (サトウハチロー/服部良一)
7. 河のゆくえ (山上路夫/村井邦彦)
8. 蘇州夜曲 (西條八十/服部良一)
9. 爪 (平岡精二)
10. ライティングビューロー (森野みえ/直居隆雄)
11. 打ち明けて (山上路夫/村井邦彦)
12. メイビー・セプテンバー (R.Evans/J.Livingston/P.Faith)

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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