佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 122

Column

常識を無視したところから登場してきた純烈は新しい日本のエンタテインメントの表現者

常識を無視したところから登場してきた純烈は新しい日本のエンタテインメントの表現者

この書籍につけられた「白と黒とハッピー」というサブ・タイトルは、純烈のリーダーである酒井一圭の盟友で、「マッスル」というプロレス団体を牽引していたスーパー・ササダンゴ・マシンこと、マッスル坂井が発した次の言葉に由来している。

「みんな、成功か失敗かしか選択肢がないんですよ。ハッピーっていう選択肢があってもいいじゃないですか。批判されたり悪口を言われても、それでもハッピーに終わらせるって、すっげえいいことなんじゃないかなって」

白と黒とは、勝負事における勝ちか負けか、あるいはスポーツにおける勝利者と敗者がそうであるように、出てくる答えがふたつにひとつである。
しかし人間の一生、あるいは日々の生活に、二者択一は似合わない。

著者の鈴木健氏は純烈のライヴを見ていて、まさに“ハッピーという選択肢”があるんだと、その発見に感じるところがあったと述べていた。

いいことも起こるし、悪いことも起こる。
そのいずれとも正面から向き合って、愚直に付き合ってきたのが純烈だった。

2019年の彼らを待っていたのは紅白初出演から10日後、奈落の底に落とされたという事実と、そのおよそ300日後に受けとった、2年連続の紅白出場という朗報であった。

しかし今年の純烈はそれらのすべてに対して、手放しに喜んだりしていない、少なくともぼくにはそう見えたのだ。
人をハッピーにしながら、いかに自分もハッピーになれるか、試行錯誤の日々を過ごしていると感じていた。

ところで、ぼくがこの本のサブ・タイトルからすぐに思い浮かべたのは、「ハッピーじゃないか」という歌のことである。

それは世界で最初に流れた、画期的なCMソングだった。
もうかれこれ50年前の作品だが、発表された当時は歌だけでなく、映像もかなり話題になった。

なぜならば、世界で最初の商品を世に知らせるためのCMソングだったからだ。
今でこそカップヌードルという食品は常識の範囲にあるが、当時は非常識な食品、とんでもない発想の商品だったという。

若くしてCMソング界で巨匠のように思われていた小林亜星は、人類が初めて出合う画期的な商品なのだから、CMソングも相当にユニークでなければならないと考えた。

そこで即座に作詞家の阿久悠に作品を依頼したのは、「ざんげの値打ちもない」という歌を聴いて、常識にとらわれない異端児の才能に驚かされたからであった。

新人歌手の北原ミレイが歌った「ざんげの値打ちもない」は、1970年の秋に発売されて翌年になってからゆっくりヒットした。
小林はその歌を聴いた瞬間から、とんでもない発想の歌詞だったことに驚いたのだ。

「大変な人が出てきたと、業界の人たちはみんなもう参っちゃった」と、当時の衝撃を振り返っている。

「ざんげの値打ちもない」イラスト・上村一夫

やがて小林が希望したとおり、阿久悠がCMソングの常識では考えられない作品を書き上げてきた。

歌詞を書いた手書きの文字からして、とても特殊で癖のある字だった。

直に阿久悠からその原稿を手渡されたとき、小林はこんなことを思っていたという。

うまいとはいえないけれど、個性が強い。けれどもその字を見ると詞をつくった気持ちがよくわかるのです。

阿久さんの詞はとてもユニークで、カップヌードルとか、カップラーメンとかいう言葉は一つも出てきません。

通常、新発売の商品のCMソングをつくるときには、商品のライフサイクルから考えても、直接的な表現が要求され、とにかく名前を入れなければならない、というのがそれまでの常識でした。

そういう意味で阿久悠は小林亜星がひらめいたとおり、CMソングの常識にとらわれず、革命的商品にふさわしい作品をと心がけたのだ。

そしてメロディーが付いた段階で、カップヌードルの記念すべき初代CMソングには、個性的なジャズ・シンガーとして注目が集まっていた笠井紀美子が選ばれた。

ジャズ・コーラスにはデューク・エイセスが起用された。

「ハッピーじゃないか」

常識っていうやつと おさらばした時に

自由という名の 切符が手にはいる

oh ハッピーじゃないか

ぼくは「白と黒とハッピー~純烈物語」を読み進んでいくいうちに、純烈の在り方は芸能界の常識から、かなり外れていることがわかってきた。

純烈が非常識なのではない。

そもそもの発想が、まったく違っているのだ。

エンターテイメントの世界では、常識にとらわれていたら、新しいものは生まれてこない。

必要なのは新しい着想と、新しい着地点なのである。

NHKホールのワンマンコンサートに、プロレスを持ってくる発想が大切なのだ。

そうした発想ができる人には、おそらくまっとうな常識人の物語がある。

人と人との出会いや、人と人との別れが、さりげなく存在しているに違いない。

純烈の名物に「ラウンド」がある。

彼らはライブにおいて可能な限り、歌いながら客席を練り歩くようにしてきた。

酒井によると、これはプロレスの場外乱闘がモチーフらしい。

「場外戦って、投げた方よりも自分に近づいてきた投げられた選手の方が印象に残るじゃないですか。ずっとプロレスを見てきたんでこれだ!と思いましたよね。無名だった頃の僕らは、健康センターに来ていてたまたま見るようなお爺ちゃん、お婆ちゃんに憶えてもらわなければならなかった。それはただ唄を歌っているだけじゃダメなんです。

それで僕らの特色を考えたら、背だけでなく手も大きい。直接触れ合って、握手することで『大きな手をしているなあ』と印象に残る。だからラウンドは純烈にとって三種の神器ですよ。トーク、ラウンド、唄……いや、順番的にはラウンド、トーク、唄かもしれない」

戦隊ヒーロードラマなどで名を刻んだものの、その後は鳴かず飛ばずとなった過去を持つ酒井は、後にプロレスと出会って実際にリングに上がることで、その表現方法を純烈にも取り入れていったのだ。

その類まれな“人間力”は、どこから生まれたものなのか。

そう考えると、われわれの前に現れた「純烈」という歌謡曲のグループもまた、常識を無視したところから登場してきたことに気づく。

彼らは常識を超えた、新しい日本のエンタテインメントの表現者なのである。

彼らが単にムード歌謡コーラスを唄うグループではないことは、この本を読めば必ず伝わってくる。

そうした新しい表現者たちと、これからどのように関わっていけばハッピーでいられるのか、それを「白と黒ハッピー~純烈物語」で知っていただければ、応援している身としては幸いなのである。

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

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ボイジャー

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