es執筆陣が独断で選ぶ2019年 BEST MUSIC  vol. 2

Column

「自分(達)を極めている(極めようとしている)人達」

「自分(達)を極めている(極めようとしている)人達」

選考基準を問われたなら、「自分(達)を極めている(極めようとしている)人達」から選ばせて頂きました。ではさっそく…。
これはとある本の受け売りだが、芸術とは、まず芸術家が己の感情を露にし、それに触れた人々の中からその人の中に眠る新たな感情を引き出すことにあるという。だから私たちは「感動した」、などと言うのである。
「共感」とは少し違う。“あるあるあるぅ~ 分かる分かるこの歌の主人公の気持ちぃ~”、みたいなことが「共感」だとしたら、「感動」の場合、“えええーっ。私って…、こんな気分になることもあんだなぁ~ 私って、捨てたもんじゃないな~”、みたいなことだ。

文 / 小貫信昭


「新青年」/人間椅子

まずは「人間椅子」。彼らの音楽は聞き手の我々に何かを突きつけてくるが、それをひょいと受け取った我々は、余計なものがこびりついてしまった己の心をグリグリやり始める。その過程はけして爽やかとか心地よいものではないが、聴き終えた我々は、その時点で己の変化に気づく。そう。宿便から解放された時のような、内から沸きたつ身体の軽さだ(年越しそばやお節料理を食べながら読んでいる方がいたらスミマセン…)。

ちなみにこのバンドは歴史が長い。世の中がライトを照らしてくれた時期もあるが、自ら小さなランタンの火をおこし、居場所を確認しあった時期も長い。ここ最近は再び脚光を浴びているが、それはかつての気まぐれな音楽業界の巨大なライトなどではなく、ファンの一人一人が持ち寄った、小さなランタンが集まった光だ。

「Rukakan Town」/中村佳穂

次は中村佳穂である。今回挙げさせて頂いた「Rukakan Town」の演奏時間は3分28秒だが、少し大げさに書くと、この数分間が永遠にも感じられるのだ。なぜか? 聴いている間に頭の中の様々な扉が開け放たれ、現実の時間軸が消滅するからである。他にも2019年に発表された楽曲「LINDY」も「q」も、タイプが異なるがどれも正真正銘の“ナカムラカホ・ミュ−ジック”であった。「q」のジャズ的用語で表せば“モーダル”な感覚も非常に好みだった。

彼女の音楽に自由を感じる人は多いだろう。だがしかし、やたら法則が多い音楽という表現ジャンル(例外はあるが、一般的には基準となる音から2番目の音は5番目に行かざるを得ず、5番目は基準となる音に帰らるか6番目に移らざるを得ない)において、それを勝ち得るのは並大抵のことではない(歌詞に“自由”と文字で書くだけなら猫でも出来るけど)。しかし筆者は、彼女になら、なかなか出会えないホンモノのそれを期待する。

これってヤワな表現者だと、怖じ気づくことでもあるわけだ。というのも、真に新しいことをやれば、それは受け手のなかに一時の違和感を誘発するからだ。でもその違和感こそが新しさの証拠。その一瞬を踏み耐え、受け手を説得できることが必要だが、そうしたことへのバネと腱の強さを彼女に感じる。

『木梨ファンクザ・ベスト』/木梨憲武

さて次だ。かなり毛色が違うモノぶっ込んできたなぁ~このヒト…、と、そう思われるかもしれないが、僕はいたってまじめに選んでいるのである。さらに、最近あんまりテレビでとんねるず、見かけねぇ~、とかっていう話とも無関係であり、ただただ木梨憲武の歌を心地よいなぁと思って選んだわけだ。そう。これは芸能界の話ではなくれっきとした音楽界の話である。

このアルバムには音楽ジャンルを表す“ファンク”という言葉が掲げられているが、これはおそらく、とんねるずが番組で取り上げていた90年代始めのM.C.ハマーのブームから日本に定着したあたりのものを指すのだろう。そう。何かとノリノリだったあの頃だ。ノリノリだから隣のヤツをちょっと蹴飛ばしても謝罪せず、でも蹴飛ばされたヤツも蹴飛ばされたことに気づかずまた隣の奴を蹴飛ばしていたあの時代………(“…”ひとつが10年の勘定で、あれから30年経ったことを表しています)。

そんなわけで、ぜひ8曲目の「麻布十番物語」を聴いてみて欲しい。この曲はなんとスローなエロクトロニカ風なのである! ムード歌謡をパロっていた「雨の西麻布」とはまったく違う。いやそもそも、西麻布と麻布十番では文化圏が違う。

ところで全然関係ない(いや少し関係ある)が、この文章を書くために、久しぶりに M.C.ハマーをWikiってみた。すると彼は、1996年に自己破産するという、苦難の人生を歩んでいたのだった。あんなにノリノリだったのに…。そうだっのかハマー。ぜんぜん知らなかったよぉ~~。

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