Interview

ゴスペラーズ 25周年記念シングル・コレクションは、圧巻の5枚組58曲。メンバーひとりずつに回想してもらった“それぞれの時”

ゴスペラーズ 25周年記念シングル・コレクションは、圧巻の5枚組58曲。メンバーひとりずつに回想してもらった“それぞれの時”

令和元年にメジャーデビュー25周年を迎えるゴスペラーズは、これまでリリースしたシングル58曲をすべてリマスターしたシングル・コレクション『G25 -Beautiful Harmony-』を発表した。令和=Beautiful Harmonyというタイトリングには、実に彼ららしい思いが込められている。また5枚組というボリュームは、彼らが着実に歩を進めてきた証でもある。
メンバー5人に『G25 -Beautiful Harmony-』を語ってもらった。それはシングルという“ゴスペラーズが音楽ファンに向けた表の顔”に秘められた、人間臭い悩みや努力の物語になった。

取材・文 / 平山雄一


いろんなことを試していたのは、突破口を求めていたから。あらゆることをやってみる中で、アイデンティティが逆に出てきた(酒井)

5枚組CDなので、ひとり1枚、責任担当でお願いします。

村上 実は軽く担当はある(笑)。

安岡 担当の人のフォトディスクみたいになってたりするんですよ。その色分けで取材を受けたことないですが、それでやりましょう。

ありがとうございます。では「Disc 1」の担当者は?

酒井 俺です。

じゃあ、酒井さん、お願いします。

一同 (笑)。

安岡 まだ質問を投げてないですよ。せめてふわっとした質問を投げましょうよ。

わかりました(笑)。「Disc 1」は苦節○○年の苦労時代だったんですか?

酒井 そうですね。

安岡 (笑)そういう感じだよね。

逆風とは言わないけど、ジャンル的にはまったく風の吹いてないところに、ゴスペラーズは登場しました。

黒沢 まあ、無風ですね(笑)。

北山 音楽バブルの始まりの時期。

酒井 1994年にデビューして、「Disc 2」の「永遠(とわ)に」でブレイクするまでに6年を要してるわけで。だから「Disc 1」はだいたいデビューしてからの5年分ぐらいと考えればいいと思うんですけど。まさに苦節とか下積みとか言われかねない時期ではあると思うんですけど、とはいえこの時期はゴスペラーズ自身もスタッフもお客さんも、まだ見ぬ、前例のないゴールに向かって走ってるんで、型にはまった下準備かというと、全然そんなことはなかった。それは例えば、ライブのプランにも表われていて、5年で渋公だっけ?

村上 いや、3年。

黒沢 1年で渋谷クアトロ、2年で赤坂BLITZ、3年で渋公までは決まってた。

村上 目指そうっていう。

酒井 そんなロードマップがあって、いつでもヒットが出てもらって構わないというスタンス。つまりアカペラ・サークルから出てきて、メジャーレーベルからデビューして、一旦はアカペラを標榜せず、コーラスを中心に据えながら、オケありのポップスを作ってた。次こそは売れるだろうといろんなことを考えて、どれも待望のヒットシングルになるというテイで作られていた。その一方で、ゴスペラーズはライブが先行していて。原宿ルイードから始まって、日清パワーステーション、渋谷クアトロと、ライブハウスすごろくで言えば、順調にコマを進めて行った。

黒沢 懐かしいねえ。

村上 渋公には3年でたどり着いた。

黒沢 曲でいうと、「ウルフ」ですね。

安岡 3回目の夏だ。

酒井 “3年で渋公”は達成した。もちろん今の渋公ではないのですが。ただ「Disc 1」では、まだヒットシングルは出せていないという状況です。

その頃、DJとメンバーだけでライブをやってるのにはびっくりした。

酒井 当時の日本にはそんなになかった、海外をにらんだ、1DJ+5本マイクのやり方ですね。バンドでのライブもやってましたけど、マイクすら使わずにやったライブもありましたし。

それって御茶ノ水のカザルスホールでやったライブ?

安岡 そうそうそう。

酒井 大阪のフェニックスでもやりました。

北山 名古屋でもやりました。

酒井 いろんなことを試していたのは、突破口を求めていたから。あらゆることをやってみる中で、アイデンティティが逆に出てきた。点をたくさん打つことで見えてくるというか。

突破口は見つかった?

安岡 ヒットが出なかったから、結論には至らなかった。

嫌になったことはなかった?

安岡 それはなかったですね。

黒沢 ライブの動員が増えていってたからです。

村上 だからシングルで結果が出ないことに対しても、素直な反省ができた。

酒井 この時期はみんな、伸びるしかねえという気持ちではいたと思うんですよ。

“ゴスペラーズ”っていう看板は手に入れられたので、アカペラ・アルバムを作ったんですよ(黒沢)

「Disc 2」は?

黒沢 担当は僕です。これはまさに起死回生Discといいますか(笑)。

(笑)。

黒沢 「あたらしい世界」あたりから、いよいよ「我々はこういう感じでいきましょう」っていうようなミーティングが行われた。J-R&Bという言葉が出始めたころ、MISIAさんや平井堅くん、そういうマーケットができてきて。我々はもともとソウルミュージックも好きですから、そういうのをモロに出してやっていいんじゃないのって感じで作っていった。でも最初は旧来のファンから、少し戸惑われました。「熱帯夜」や「パスワード」のあたりですよね。踊ったり、かっこ付け始めたら、「そんなの、私たちの思ってたゴスペラーズじゃない」みたいなことを言われて。「アイドルになっちゃったんですね」みたいなことを言われたのが、いちばんびっくりしましたね。

アイドルっていうのは?

黒沢 当時のアイドルはうまくブラックミュージックの要素を入れてヒットシングルを出していたので、そこを聴いているのか、みたいな(笑)。で、作曲のために山中湖で合宿したときに、妹尾(武)さんが持ってきたのが「永遠(とわ)に」だった。最初はオーソドックスなラブバラードだったんですけど、それをアトランタのブライアン・マイケル・コックスっていう当時、新進気鋭のプロデューサーに頼んでみようって。そこにボーカル・アレンジメントのパトリック・J.Que・スミスが加わって完成した。彼らに学んだことがすごく大きくて、そこで教わったことでしばらくゴスペラーズは動いていくわけなんですけど。
「永遠(とわ)に」は、一度オリコンでちょっと上がって、すぐ100位圏外まで落ちて、またじわじわ上がって、結果的にはリリースした翌年にブレイクする。「永遠(とわ)に」が売れ続けてるときに「告白」が出た。「ひとり」を作ったのは、実は「あたらしい世界」より前なんですよ。それを満を持して“アカペラ・シングル”としてリリースすることができて、結果を出せて、ラブソングコレクションアルバムの『Love Notes』で、やっとオリコン1位を獲った。「ひとり」の他にももう1曲、アカペラ・シングルの「星屑の街」で結果を残せているという。

激動の時期だね。

黒沢 “ゴスペラーズ”っていう看板は手に入れられたので、アカペラ・アルバムを作ったんですよ。

「Disc 2」は、激動の時期でもあるし、本当にいろんな曲調が入ってる。

黒沢 曲調はね。でも我々的に言うと、ダンス・ミュージックもバラードも、どっちもR&Bのひとつの形なので、我々の中ではすごい揃ってる。

北山 曲調じゃなくてジャンルだと、いちばん揃ってるよね。

黒沢 向うのR&Bと非常に同時代的に作ってるので、海外の動きといちばんリンクしてる時期だったかもしれませんね。要するにメロウでスイートな側面っていうのは、「Disc 2」ではとてもうまくいってるんです。

今までとちょっと違う耕し方ができた。自分たちだけで頑張るのは、ちょっと無理かもなと思ってた時期かもしれないね(村上)

では「Disc 3」にいきましょう。

村上 担当、俺です。「Disc 2」はR&Bのテイストで売れたんですけど、「Disc 3」で自分たちにフォローしてるって部分があるんですね。リアルタイムのアメリカのR&Bを追っかけ続けていくっていうのは、無理があった。

黒沢 規模的に。

村上 それと、マインドの問題もそうだし、喉っていうフィジカルの問題もあるし、マーケットとしてもありえないっていう。

安岡 あのころの向こうのR&Bは、だいぶ変革してたからね。

それくらいの時期にブラック・アイド・ピーズとかが出てくるんだっけ?

村上 そうですね。

安岡 もうハモらなくなるんですよね。

黒沢 ヒップホップが優勢になるんですよ。

安岡 全然、ヴォーカルグループがいなくなる。ハーモニーというものが失われていった時代だから。

村上 ゴスペラーズがそれとシンクロするのは、得策じゃない。それより、せっかくゴスペラーズを聴いてくれる層が広がったんだから、期待してもらえるものに対して、できるだけポジティブに応えていこうっていう。「言葉にすれば」とか「青い鳥」、次の「Sky High」「宇宙(そら)へ 〜Reach for the sky〜」にもつながっていくんですけど、自分たちだけで頑張りすぎずにっていうところもあるんですよ。

自分たちを支えてくれるファンがいるっていう状況になった。

村上 「Disc 2」ってほとんど自分たちの曲なんですよ。で、「新大阪」とかで結果が出た。ただ、このあたりから、ちょっと疲れも出てくる。売れたことによって自分たちの自意識も目まぐるしく変わってきたし、ものすごい満足感もあれば、ちょっとわけのわかんない感じもあった。

安岡 このへんで30才を超えるしね。

村上 ラッツ&スターの先輩方と“ゴスペラッツ”をやったり、その人脈で井上大輔さんの未発表曲「ローレライ」を歌うことができたり。今までとちょっと違う耕し方ができた。自分たちだけで頑張るのは、ちょっと無理かもなと思ってた時期かもしれないね。

安岡 ほら、あまりに若くデビューしたじゃない。変な話、ガチで寝なくて大丈夫な時代から、「あ、これはもしかしたら寝ないとダメなのかもしれないな」っていうのを初めて覚える30代みたいな(笑)。

北山 大丈夫っていいながら安岡、ちょいちょい倒れてましたけどね(笑)。

(笑)。

酒井 歌詞の言葉も変わってると思うんですよ。若さと背伸びの世界、青春っていう感じの出だしだったんですけど。

村上 「Disc 1」と「Disc 3」じゃ、使う言葉がだいぶ違うね。  

酒井 「Disc 2」で、R&Bのラブソングの洗礼を受けて。また日本語への意識も、みんな強まってきた。

安岡 自分たちが表現したかった世界観と、自分たちの実年齢みたいなものっていうか、「Disc 2」では日本語でセクシャルな表現に挑戦もしたし。でも「Disc 3」になると、それが安定してくる。

村上 そこは、やっぱり。

黒沢 落ち着いたね。

自分たちが歌うことのモチベーションを見失いかけていたのを、もう一回見つけることができた。そこからすごく力が湧いてきて、力強くて明るい曲調になっていくんです(安岡)

「Disc 4」にいきましょうか。

安岡 僕が担当です。いい意味で外から見てくださる方々が、ゴスペラーズに安心感をおぼえてくださって、「Disc 4」の最初の方ではいろんな仕事をくださるんですよね。

アカペラの癒やしとはまた違う安心感?

安岡 音楽的にもしっかりハモってくれるだろうし、大人が聴いても納得するだろうみたいなところで、クラシックの曲を服部隆之さんとやったり、その次はクラブワールドカップサッカーのテーマソング。テーマソングということは、決勝の前に全世界生中継のライブをするってことですから。そうしたいろんな大きな仕事をいただくんですけど、安心感を周りが抱いてくれる中で、逆に言うと、僕らの中では多少のマンネリ感も出てくるわけですよ。なので、服部先生だったり、いろんな方と出会うことで、自分たちの中の新鮮味を探してましたね。マンネリ感みたいな疲弊が僕らの中で生まれてきていて、だからこそ自分たちだけでやる曲が少なくなっていく。
ただそれ以外で、自分たちだけで作るもののモチベーションがすごくはっきりしてきた。それは“SOUL POWER”なんですよ。このイベントに向けて、酒井さんを中心に「1, 2, 3 for 5」や「愛のシューティング・スター」を作っていく。ホントに“SOUL POWER”は、自分たちの大事なモチベーションになってた。

北山 補足させてもらうと、僕らが創作意欲を失っていたわけではなくて、すべてのコンペのときにみんなそれなりに曲数を持ってきてやってるんですけど、外からの曲に勝てなかったんですよね。もちろん閉塞感もあったと思うんですけど。

安岡 そんな中で、ステージの仕事がいっぱいあって。2011年に東日本大震災が起こって、我々だけじゃなく、すべてのミュージシャンが「自分たちに何ができるのか」という絶望的な無力感を味わった。それでもミュージシャンだから、音楽をやることで何かできないかということで、我々もいろんな街に行かせていただいた。それこそマイクも、電源もない状態。まさにデビューする以前の状態に戻って、音楽をやり続ける日々があったわけですよ。

それはそれで疲弊することだったの?

安岡 いや、逆にそれで自分たちの体にある種こびり付いていた疲れが、スッと抜けたというか。

違う疲れだったんだね。

安岡 いろんな意味でプレッシャーもあったし、常にヒットを出すゴスペラーズであり続けなきゃいけないと思っていた。だけど目の前の人が喜んでくれることだけで音楽と向き合ったあの時間っていうものが、逆に僕らの心をすごく軽くしてくれた。

黒沢 こっからだね。

安岡 自分たちが歌うことのモチベーションを見失いかけていたのを、もう一回見つけることができた。そこからすごく力が湧いてきて、力強くて明るい曲調になっていくんですよね。「BRIDGE」はまさに震災を受けてできた曲ですけど、そのあとの「It’s Alright ~君といるだけで~」「STEP!」みたいな、もう一回キラキラした、ある種、「Disc 1」のときの歌詞みたいな世界に入っていく。それが、「Disc 5」の「SING!!!!!」につながっていくのかな。

もともと5人が持っている音楽的バラエティーを、肩の力を抜いた状態で、より自分で素になって出せる環境になったのかなっていう感じがあるんですよ(北山)

では「Disc 5」は?

北山 私、担当です(笑)。もともと「Disc 1」のころは自分たちだけではできない音楽性を、外の人に求めたりしていたのが、「Disc 2」で一回収束した。で、またバラバラの音楽性に戻ったんだと思うんですけど、20周年記念シングルの「SING!!!!!」がすごく大きい楽曲になっていて。

もともと僕らが、そろそろ自分たちで自分たちのスタイルとはどういうものなのか、ちゃんと見てみようっていうのがあって。それで20周年シングルをヒャダインにお願いしてみようってなったときに、どんなものが出てくるのか、みんな、期待と不安と両方あったわけです。で、実際、「SING!!!!!」が出てきたときに、一聴して圧倒されるものがあった。ヒャダインは非常に緻密にゴスペラーズを研究した上で、それぞれのキャラクターに対してどういう役割を振っていくのかっていうことを、ものすごい密度でやってくれた。

アイデアも詰め込まれてるし。

北山 そうですね。誰をどこに起用するのかということを、パワポでプレゼンするように、楽曲で示してくれた。「ゴスペラーズには、まず3つの主題があります」みたいな。

このような要素がありますみたいな(笑)。

北山 (笑)そういう感じの、すごく整理されたゴスペラーズ像を、外から見せてくれた。その圧倒的なプロデュース能力を見せつけられた。多分ゴスペラーズはここまではできると思うんですよって、提案してくれた。その部分の重要性というのをまざまざと見せつけられた感があって、僕らの大きな転換点になってると思うんですね。

単純に20周年っていう数字だけではなくて、音楽的にも?

北山 そう。20周年っていろんなものが僕の中で転換した年だったんですけど、その最初がこれだったなっていうことですよね。僕の勝手な解釈ですけど、「SING!!!!!」で、5人がバラバラの方向で尖っているのではなくて、「ゴスペラーズというグループはここまで尖れるよね」みたいな挑戦状を叩きつけられた感じがあった。もともと5人が持っている音楽的バラエティーを、肩の力を抜いた状態で、より自分で素になって出せる環境になったのかなっていう感じがあるんですよ。

最新シングルの「VOXers」も、そういう感じがある。

北山 そう、その流れの最たるものが「VOXers」なのかなとは思うんです。「SING!!!!!」は、ゴスペラーズをどう見せるかっていうことを、改めて考えさせてくれた。それは僕らがずっとやってきた“ケンカ・アカペラ”を別の角度から表現したものだった。で、25周年記念シングルっていう、みんながこっちを向いてくれるタイミングで、「実は我々25年間、ずっとこれをやってるんですよ」みたいな感じのケンカ・アカペラ出し方が「VOXers」でできたんですよ。

「SING!!!!!」や「VOXers」だけじゃなくて、「Recycle Love」とか、「Disc 5」にはいちいち新しいことをやってる曲が入ってる。

北山 そういう曲があったり、「ヒカリ」ではブライアン&J.Queと16年ぶりにやったり。先輩たちから聞いてた、「成長っていうのは坂を登るんじゃなくて、螺旋階段を登るみたいに、元の場所に戻ってくるんだけど、前とは高さが違う」っていうことが、すごくしっくりくる25周年ですね。

ゴスペラーズのこれからが、ますます楽しみですね。ありがとうございました!

全員 ありがとうございました!


シングルコレクション『G25 -Beautiful Harmony-』特設サイト
http://www.5studio.net/beautifulharmony/

その他のゴスペラーズの作品はこちらへ。

ライブ情報

ゴスペラーズ メジャーデビュー25周年を記念した、全都道府県ツアーの開催が決定!
デビュー記念日の12月21日よりスタート!
*詳細はオフィシャルサイトにて

ゴスペラーズ

北山陽一、黒沢 薫、酒井雄二、村上てつや、安岡 優からなるヴォーカルグループ。
1994年12月21日、キューンミュージックよりシングル「Promise」でメジャーデビュー。
以降、「永遠(とわ)に」「ひとり」「星屑の街」「ミモザ」など多数のヒット曲を送り出す。
他アーティストへの楽曲提供、プロデュースをはじめ、ソロ活動など多才な活動を展開。
日本のヴォーカル・グループのパイオニアとして、アジア各国でも作品がリリースされている。
メジャーデビュー25周年を迎えるにあたり、デビュー記念日の12月21日からは全都道府県ツアー「ゴスペラーズ坂ツアー2019〜2020 “G25”」をスタートさせる。

オフィシャルサイト
https://www.sonymusic.co.jp/artist/Gospellers/