佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 121

Column

西田あいとの対話を終えてみて、あらためてわかったスタンダード曲の魅力と可能性

西田あいとの対話を終えてみて、あらためてわかったスタンダード曲の魅力と可能性

リハーサルで唄っている西田あいの歌を初めて聴いたのは、2016年5月6日のことで、場所は東京・日本橋の三越劇場だった。
わずか2分にも満たない時間のことであったが、歌手としての技量や素直な歌声に比べて、「ずいぶん似合わない楽曲をレパートリーにしているな」と感じた。

だから思わず「可哀そうだね」と口にしてしまったのが、そこでの話はそれっきりになった。

だが3年近い日々が過ぎても、なぜかその日のことはよく憶えていた。

そうこうしていると今年の春先に知人から入ってきた電話で、彼女が新しい事務所に移ることになったので、ついてはアルバムをプロデュースしてほしいと依頼された。

さっそく6月上旬に彼女のワンマン・コンサートを観に行った。

そこでは彼女が歌手というよりも、アーティストに成長していることに気づかされた。

それまでは素質のある歌手だとしか見ていなかったのに、さまざまな表現の分野において、彼女が自分から情報を発信していることを知った。

直に音楽の話をしてみたかったので、コンサートが終わってから30~40分ほど会話をした。
すると互いに波長が合ったのか、すぐに「アイランド」というキーワードが浮かんできて、お互いのイメージが重なっていった。

それから半年もかからないでアルバム『アイランド・ソングス』が完成し、今まさに世のなかに出たばかりである。

10月のレコーディングから少し時間をおいて再会したときに、自分でもいくつかためになる対話ができた思えたので、その一部をここに残しておきたい。

そもそもは彼女と初めてアルバムの話をした段階で、こう言われたことが出発点になった。

西田 今までやって来なかったような音楽も、どんどん吸収しながら自分の歌を追求していきたいんです。

「黄昏のビギン」を唄いたいと言われた時、ぼくは60年も前の曲であるにもかかわらず、今でも歌に自信があるシンガーによって次々にカヴァーされているので、意外にアプローチが難しいかもしれないと思った。

しかし6月にリリースされたばかりだったアヴィーチー(2度のグラミー賞ノミネート歴を持つスウェーデン出身の音楽プロデューサー)のアルバムに収録された「Freak」という曲のなかで、彼が坂本九の「スキヤキ(上を向いて歩こう)」から口笛をサンプリングして使ったのを聴いて、名曲が持つメロディーの力に感銘を受けたところだった。

ほんとうに名曲と呼ばれる歌は、いつの時代にどんなアレンジをされたとしても、世界中に通用するのだということを、改めて実感していたのである。
そのためにはだれもが知る名曲で、しかも「上を向いて歩こう」と同じ中村八大が作曲した「黄昏のビギン」であるがゆえに、若いアーティストが新しい命を吹き込んで、新しいリスナーにスタンダード曲のすばらしさを伝えていくべきだと、気持ちが前向きに切り替わった。

しかしEDMのトラックを作れるクリエイターやプロデューサーはたくさんいるだろうが、「黄昏のビギン」ということになれば、やはり“歌ごころ”がわからないと、名曲にすまないとも感じたのである。
したがって「そういう人がどこかにいるのだろうか?」と、頭の中でしばし思い描いていたら、この曲が広く知られるきっかけになった、ちあきなおみさんのカヴァーが浮かんできた。

その見事なアレンジは音楽家の服部隆之さんの仕事だったが、本当に素晴らしい仕上がりであった。
そのヴァージョンでぼくの心に響いていた楽器が何だったのかと考えて、チェロの印象が強かったことに気づいた。

だからその場で、「EDMのトラックをつくれるプロデューサーで、しかもチェロを弾けるのが理想的なんだけど、そんな人がいるのかな?」とスタッフに訊いてみた。

マネージャーの湯川さんがそこで、「います!私が担当してるSoulJa(ソルジャ)がまさにそんな人なんです」と、即座に返事をしてくれたのには驚いた。

そしてすぐに反応が返ってきたことから、このプロジェクトの可能性に期待がふくらんだ。

さっそく「仕事が引き受けられるかどうか訊いてみてください」と頼むと、その晩のうちに「やってみたい」ということになった。
そこで翌日に会って話をしてみて、その場でSoulJaにも、プロデューサーになってもらうことした。

あまりにも話が早く進んでいったので、ぼくはいい作品が出来ると期待した。

西田 私は確信というか、何か今までと違うものが出来るんじゃないかという予感とか期待みたいなものは、剛さんと初めてお話しした時に感じました。
いろいろお話を伺ってるうちに、自分が浄化されていくような気がして自然に涙がこぼれていて…。
 デビューしてから10年間、歌うというのはこういうことなんだと考えて活動してきて、でもどこかに納得し切れていない自分がいたのも確かだった…。
それが私のコンサートを観てくださった後に、「西田あいという人は、鹿児島ののどかな環境の中で育って、お父さんが和太鼓を叩いていたことなんかにも、音楽の影響を受けてきたことが感じられた」なんて話してくださって…。
どこかで本来の自分と、お仕事として歌う西田あいというものを、切り離していたんじゃないかと思ったんです。
でも本当はそうじゃなくて、生い立ちも何も全てを含めた田中愛(本名)が、そのまま西田あいなんだって気づいたんです。
本当は必要ないのに西田あいとして、何かをまとって歌っていたんじゃないかって…。

彼女は自分が本来的に持っているものが、歌手の西田あいとして活かせるとは思っていなかったらしい。
だが、そこにこそ、アーティストの本質があるはずだった。

ぼくは西田あいの本質に目を向けて、それをなんとか活かそうと思って、SoulJaの才能にも助けられながら、レコード会社とともにプロジェクトを進めていった。

シンガーの魅力といったら結局は声に尽きる。
その声がつくられたものなのか、そのシンガーの本質であるのか。
おそらく答えはいつも、風に舞っているのだろう。

だからこそアーティストも裏方も一緒になって、その答えを探すために、音楽に身を捧げていけばいいのである。

このアルバムの中にどうしても入れたかった曲は、全編を鹿児島弁で唄った「時の流れに身をまかせ」だった。

これは彼女がふつうに話している時の言葉とリズム、それにイントネーションがほかの人と微妙に違っていることに気がついて、ふとひらめいたアイディアがふくらんだものだ。

初めてライブでワンコーラスを聴いた時から、ぼくの中にはゆったりしたレゲエのイメージが浮かんでいた。

それをピアノとベースとドラムだけのシンプルな構成で、誰が演奏するのがいいのかと考えていたら、すぐにローリングピアノマンとして知られるRIKUOくんのバンドの音が聴こえてきた。

ベースの寺岡くんとドラムの小宮山くんの音だけでなく、演奏する姿までなんとなく見えた気分になった。
だから3人だけのバンド・サウンドで、そこに鹿児島弁のグルーヴが加われば、もうそれで十分だと思った。

こういう独特の生っぽい感じのグルーヴこそ、J‐POPで育った若い人にも、海外の人にも、新鮮に感じてもらえたらいいなあと願っている。

幸いなことに全曲のプロモーション・ビデオが制作されて公開になったが、鹿児島にロケした「神様の宝石でできた島」と、「時の流れに身をまかせ」の2曲は、ぼくの想像をはるかに超えて、スケール感に満ちた映像作品となって完成した。

夢を共有できる表現者たちが集まって来て、自分のセンスと才能で歌や映像を形にしてくれたことは、望外の喜びであった。

うれしいことが続いているが、それはおそらくみんなの努力がいい意味で、アルバムの底力になっているからだろうと思う。

いまはただ音楽の神様に感謝するだけです。

西田あいの楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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