黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 26

Interview

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(上)パソコンは夢の小箱?

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(上)パソコンは夢の小箱?

『川中島の合戦』開発の背景にあったものとは・・・

それで『川中島の合戦』(注9)を作られたわけですよね。

注9:武田信玄となって川中島で上杉謙信と戦う戦術シミュレーションゲーム。1981年10月26日に発売されたシブサワ・コウのデビュー作で、現在「シブサワ・コウ アーカイブス」として配信中。オリジナル版とリメイク版が遊べる。

襟川 ええ。そういう打ち込みのゲームをたくさんプレイしてみて、面白かったので自分でも作ってみようと。昔から歴史が好きだったので、歴史に関わるゲームを作ってみようと思ったんです。当時は『ブロックくずし』であるとか、テニスのゲームであるとか、アクションゲームであるとか、それから先ほどの『スタートレック』みたいな冒険アドベンチャー系ですね、ああいうものがほとんどで歴史に関わるゲームはまったくなかったですからね。それと、私は囲碁が大好きだったのですが、囲碁や将棋のような考えて楽しめるものもなかったんです。

いわゆる国産のものがまだなかったですよね。

襟川 そうですね。ただ、ゲームを自分で組んで、その4大誌に本名やハンドルネームで投稿されている方はすでにいました。で、何々さんが作ったこのゲームは面白いよねとか、みんなから賞賛されたり、話題になったりしていたんです。そういう中で自分もやってみようかなと、そう思って作ったのが『川中島の合戦』だったんです。

最初の作品だけに、かなりご苦労もあったのではないですか?

襟川 いやいや全然。まったくの趣味ですから、もう楽しくて、楽しくて(笑)。いい遊び道具を見つけちゃったみたいな感じでした。

今でいうところのAI的なパラメータの導入というのは、当時としてはかなり斬新でしたよね。

襟川 いえ、そういうパラメータで何かを表現するというのは、もうすでにいろいろありました。ボードゲームとかカードゲームとかでも一般的でしたからね。ただ、それを歴史のゲームの中に持ってきたというだけです。

でも、その部分だけでも十分パイオニアだと思います。

襟川 自分で楽しむために作って、自分で楽しんでいただけです。それで、自分がより納得して楽しめるように何回も何回も作り直して。

30才のころ

『投資ゲーム』開発は短波放送の株式市況からのヒントをもらった

先ほどおっしゃられた外部の会社のシステム作りを受託する一方で、夜はゲームを作られていたと。

襟川 夜はそれをやっていました。でも、プログラミングの技量が上がっていったのは、その受託開発のおかげです。お客様からけっこう厳しい要求仕様が出されるので、それにお応えするために、どうしようどうしようと考えることで、だんだんプログラムの効率的な組み方であるとか、スピーディーに物事を処理する組み方であるとか、そういったテクニック的なところが鍛えられていきました。それで、自然にゲームが作れるようになっていったんです。

なるほど、すごいですね。

襟川 ただ、その業務用の受託の仕事は最初の3つだけで止めました。『川中島の合戦』がすごく面白かったので、家内が通信販売をしてみたらいいんじゃないのって言い出したんです。『月刊マイコン』に半ページ広告の空きが出たので安く出せるよって。しかも、1タイトルだけだと広告宣伝費がもったいないから、もうひとつ作って、ふたつ宣伝しようって言うんですよ(笑)。それで、家内がとにかく株式投資が大好きだったということもありまして、何か投資に関係するゲームなら面白いんじゃないかと。そういうゲームもまだなかったので『投資ゲーム』というゲームを作ったんです。

35才のとき、社内研修にて

すみません、そちらはまったく存じ上げませんでした。

襟川 株式相場と商品相場と為替相場、この3つの相場が日々のニュースによって変動していくというものです。株式相場は確か8銘柄か10銘柄ぐらいで商品相場は3つぐらい、為替も3つぐらいでしたか。それらが毎日流れるニュースの内容によって上がったり、下がったりするんです。

つまりゲームの中の銘柄があって、それらの株価がニュースに応じて変動すると。

襟川 そうです。どこかで大きな経済の変化があったとか、そういった我々が日々新聞で見るようなニュースがたくさん流れるのですが、それらが株式や為替や商品相場のどういう項目に対してプラスするか、マイナスするかっていうのをちゃんと紐づけしてあるわけです。で、元手が100万円でゲーム内の銘柄に投資して資金を増やしていくという。

なるほど。それで、恵子会長はその『投資ゲーム』と『川中島』の2本で広告宣伝をしようと。

襟川 ええ、そうですね。なぜ、この『投資ゲーム』を作ったかといいますと、家内は高校生の頃からずうっと株式投資をしていまして、私が仕事でプログラムを組んでいるときも、夜に遊びでゲームを作っているときも、ラジオの短波放送で「何が何円、何が何円、何が何円……」っていうのが、ずうっと聞こえてくるんですよ。もう、うるさくって、うるさくって(笑)。

ハッハハハハハ、ラジオの株価情報ですね。僕も昔聞いたことがあります。それを恵子会長がいつも聞かれていたわけですか。

襟川 そうです。当時の何百という株式銘柄を高いのも安いのも含めて全部読み上げていくんですね。しかも、一通り終わると最初からまたやるんです。それを、ずううっっと、ずううっっと……家内が食事を作ったりとか、掃除をしたりとか、いろいろ仕事の手伝いをしたりとかしながら聞いているので、私も1日中聞くことになるわけです。もう「何が何円、何が何円、何が何円」っていうのがアタマの中に入り込んじゃいまして(笑)。それで、自然とじゃあ投資のゲームを作ってみようかなと思ったんです。

そうだったんですか。それで、2本まとめて宣伝して、お話によると現金封筒が……。

襟川 たっっくさん来ました。最初は100本ぐらい売れたらいいな、でも数本か数10本だろうなと考えていたんですが、最終的に『川中島の合戦』は1万本近くまでいったんじゃないですかね。そんなに売れるとは全然思いませんでした。『川中島』ほどではないですが『投資ゲーム』も考えていた以上に売れました。それだけ好きな方がいるんだなって、あのとき初めて分かりました。

それでフェイズが変わったんですね。

襟川 変わりました。ゲームソフトを作ろう、自分で(ゲームを)作るのは楽しいし、遊んでも楽しいし。しかも、それを買ってくださって「面白いよ」、「面白かったよ」っていう声援を電話とかハガキとかで、たくさん送ってくださる。それで、なおヤル気になりました。

それは足利の別荘で生活されていた頃ですか?

襟川 そうです。山の奥にあった私の祖父母の別荘だったのですけれども、当時はまだそこにいました。ただ、業務用の受託を始めたときには、すでに市内の中心地にパソコンショップを作っていまして、そこでゲームの開発を始めたんです。

撮影 / 北岡一浩 取材協力 / 仁志睦


続きは第2回インタビューへ
3月25日(月)公開予定

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

2019.03.25

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】

くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。

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