黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 26

Interview

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(上)パソコンは夢の小箱?

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(上)パソコンは夢の小箱?

パソコンは夢の小箱みたいな感じがしたんですよ

そういうものもおやりになっていたんですか。

襟川 はい。いろいろ取り組んで成功したり失敗したり。そんな中で出会ったのがパソコンだったんですね。それが1980年のことです。

シャープのMZシリーズですよね。

襟川 そうです、MZ-80C(注4)です。でも、別にゲームを作ってビジネスにしようとはまったく考えていなかったです。コンピューターを使って会社の合理化が進められたらいいなあと。見積の計算や財務管理、在庫管理など、手計算でやっていた管理関係の事務的な仕事を合理的に素早く解決できればいいなあというような気持ちだけだったんです。

ただ、それまでコンピューターは素人がさわれるものではない、自分にはとても縁遠いものだとも思っていたんですね。それが自分の目の前にあってオモチャとして自由にさわることができる、操作することができる。そう思うと、何か夢の小箱みたいな感じがしたんです。それで、パソコンの世界にどっぷりハマってしまいました。きっと、パソコンと相性がよかったのでしょうね。

注4:モニター、キーボード、データレコーダーが一体化したオールインワンタイプの8ビットパーソナルコンピューター。往年の名機として名高く、2017年にミニチュアサイズのレプリカが発売された。

すべて独学で覚えられたんですよね。当時はけっこうハードルが高かったと思うのですが。

襟川 実は、私は小学生の頃から電気工作でラジオやアンプを作ったりしていたんです。当時『ラジオの製作』や、そういった電気工作の月刊誌がありましたよね。それを見て真空管や抵抗やコンデンサーを買ってきまして、鉱石ラジオから始まって3球、5球スーパー(注5)などを作りました。そういう自分で何かを作っていくことに楽しさを見出していたんですね。

注5:真空管ラジオの種類。「球」とは使用する真空管の数のことで、3球は真空管を3本、5球は5本用いる。このような真空管などの電子部品を使って組み立てる電子工作キットは当時の理系少年たちの間で非常に人気があった。

自分で操作ができるんだと思ったら、もう楽しくなっちゃって

もともと、そういった理系的な素地がおありになったんですね。

襟川 ええ。だから、よくアキバに部品を買いに行っていましたよ。そういうラジオの部品は足利には売ってないですが、アキバに行くとたくさんありますから。

当時、アキバの高架下にそういう電子部品のお店がいっぱいありましたね。

襟川 そうです、アレです。で、真空管も新品を買うと高いので、中古屋さんに行って安いものを探したりしてね。その前はプラスチックモデル、プラモも好きでした。そういった何かを組み立てたり作り上げたりするのが大好きでしたので、パソコンを家内に買ってもらったときも……当時は「マイコン」って言っていましたけどね、中身はどんな風になっているんだろうなと思って、まずフタを開けてみて(笑)。で、半導体とかが何かに繋がっているのを見て、これを自分で操作できるんだと思ったら、もう楽しくなっちゃって、アッハッハッハ。

アハハハハ。

襟川 さっそくパソコンのマニュアルであるとか、操作方法が書いてある解説書なんかを読んだのですが、それだけでは分からないので、本屋に行ってBASIC(ベーシック)の教則本を買ってきまして。それでBASICをひとつひとつ自分で覚えていったのですけど、とにかく楽しくてしょうがないんです。BASICのコマンドを覚えること、BASICで要領よくプログラムを組むこと、そのプログラムを動かすと自分のアイディアで作りだしたものが実際に画面に表示されること。それがもう、うれしくて、うれしくて。

やっぱり、そういうものなんですね。そのパソコンは恵子会長に買っていただいたんですよね。

襟川 はい、誕生日プレゼントで。高いオモチャでしたから(笑)。

ゲームソフトを開発するなんてことは全然考えていませんでした

当時は相当高かったですよね。

襟川 高かったですね、26万8千円です。

24歳のとき

以前の取材で恵子会長は当時から株の運用をされていたし、美術や洋服関係の仕事もされていて経済的に余裕があったので、陽一社長に言われて買ってあげたとおっしゃられていましたけど。

襟川 マイコンっていうのが世の中に出てきて、何かすごく変わるみたいだよ、みたいな話を夕食のときなんかによくしていたんですね。そういう情報は当時のパソコン4大誌(注6)を買って読んでいましたから。会社の仕事がうまくいっていなかったので、自分で買えるだけの余裕はなかったんですけど、そういう話をしていたらプレゼントしてくれたんです。

注6:電波新聞社の『月刊マイコン』、アスキー(現角川アスキー)の『月刊アスキー』、工学社の『I/O』、廣済堂『月刊RAM』のこと。

だんだん洗脳していったと言いますか、刷り込みをしていった感じですか。

襟川 洗脳って(笑)。いや、世の中こんな風に変わるのかなとかね。マイコンっていうものが世の中に出現して、今まで雲の上の存在だったコンピューターが身近なものとして個人ベースで使えるようになっていく。そういう時代になってきたんだな、なんて話をしただけで、それがこんな風に仕事の役に立つとか、ましてやゲームソフトを開発するなんてことは全然考えていませんでした。

でも、すごい慧眼ですよね。

襟川 マニアの人っていうんですかね。電子工作が好きとかいう人たちは、パソコンの方にだんだん目がいっていたんじゃないかと思います。その当時、アップルIIの部品だけ買って、自分で組み立てて使うとかですね。もちろん問題なんでしょうけど、そういうのも話題になってきていましたから。電子工作は昔やっていましたので、私も最初作ってみようかなと思いましたが、結局それは止めて出来合いのものを買いました。それがシャープさんのMZ-80Cだったんです。

< 1 2 3 4 >
vol.25
vol.26