音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。
読者の皆さんは、『アストロノーカ』というビデオゲームを御存じだろうか。
いわゆる物語的な結末や対戦結果が残る従来のビデオゲームの概念と異なるもので、宇宙イチの農家を目指すという荒唐無稽なコンセプトのビデオゲームに出会ったときの衝撃は忘れない。そして、そこに散りばめられたAI(人工知能)的な要素などは斬新だった。
それらのビデオゲームをエニックスが開発(外部受託)、販売したものだということにさらに驚きを禁じ得なかった。エニックスと言えば、すでに『ドラゴンクエスト』という国民的なRPGゲームを擁している会社だったからだ。
いわば「殿ご乱心?」とまで思ったものだ。
このビデオゲームをきっかけにエニックスとゲームプロデューサー齊藤陽介の存在を知った。その後、アイドルと実写を取り入れた実験的な作品でヒットを生み出し、エニックスの王道コンテンツであるシリーズの『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』のプロデュースに至る。そして、現在もゲームプロデュースの最前線に立ち続けるキーマン、それが齊藤陽介だ。
齊藤は、常に面白い作品を作りたい。そして、自分よりも面白い作品を作れるひとのために経験と力を尽くしたい思いからプロデュースに徹しているという。
今回の「エンタメ異人伝」は、そんな齊藤陽介を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫り、彼が創ってきた作品と向かい合い、人生を生きてきたのかを辿る小旅行である。
(敬称略)
インタビュー取材・文 / 黒川文雄
小学校時代はホントに病弱でね…
お久しぶりです、今日はよろしくお願いします。このインタビューは齊藤さんのクリエイティブを形成するものを幼少期から遡って伺う内容です。よろしくお願いします。
齊藤 こちらこそ、よろしくお願いします。
さっそくですが、ご出身はどちらになりますか?
齊藤 横浜です。もともとは横浜市の戸塚区だったんですけど、小学5年生のときに中区に移りました。駅で言うと根岸線の山手駅です。山手駅と言うと、よくお坊ちゃまだと言われるんですけど、全然そんなことはなくて、普通の人がほとんどです。元町、港の見える丘公園辺りはお金持ちが多いイメージですけどね。
あの辺はイコール横浜っていうイメージが強いですよね。どのような少年時代を過ごしたか記憶されていますか?
齊藤 今はこんなですけど、当時はメッチャ身体が弱かったんです。いわゆる喘息持ちだったので、ネタじゃなく本当に病院から学校に通っているような子供でした。で、習い事はなぜか水泳と空手とピアノ。
すごいなあ、文化系、体育系の両方、文武両道なんですね。
齊藤 ピアノはイヤでイヤでしょうがなかったですけどね。ただ、大人になった今はやっておけばよかったと思っています。空手も水泳もそんなに使う場面はないですけど、ピアノは違いますからね。子供の頃に戻れるなら、ピアノだけは続けておけと言いたいです。
そんなに習い事をされていたのは、やはり御両親が齊藤さんのお身体のことを考えてのことだったのでしょうか。
齊藤 水泳はそうだと思います。だから、病院から水泳の大会に行ったりしていました。横浜レベルなら決勝に残れるぐらい速かったんですよ。ただ、午前中が予選で決勝がその日の午後なので、決勝をやるころには体力がなくなっていて、最後はいつもヘロヘロの使い捨てみたいな状態になっていましたね(笑)。
かなり真剣におやりになっていたんですね。
小学生時代
齊藤 そうなんです。小学生のころは月曜日から金曜日までスイミングスクールで泳いでいました。でも、ホントに病弱でね。もういつ死ぬんだろうくらいな感じで。
あれは人間のやるスポーツじゃないですね(笑)……
ええ~~今じゃ考えられないですよね。
齊藤 今はこんなですからね(笑)。
いつごろ治ったと言いますか、良くなるタイミングがあったんですか?
齊藤 えっと……いくつくらいだろうな……30歳後半くらいまでは良くなかったですよ。
つまり働くようになってからもまだ病弱だったと?
齊藤 そうなんです、ずっと悪かったんです。ただ、もともとそうだったせいか、けっこう無理ができる体質なんです。多少無茶をしても死なねえな、みたいな。具合が悪いことも忘れちゃうんですよ。だから、けっこう無茶な働き方をしていました。
それだけ没頭しちゃうわけですか。面白いと言いますか、すごいですね。小学校のときは空手、ピアノ、それに水泳をずっと?
齊藤 ピアノと空手は引っ越ししたタイミングで止めました。ピアノの先生も空手の道場も引っ越したところからはちょっと遠くて通えなくなったんです。ただ、スイミングスクールは港南台というところにあって、引っ越した山手駅からでも1本で行けるので続けました。
なるほど。それで、そのあとも水泳を続けられたと。
中学校の修学旅行にて
齊藤 はい、中学時代もずっと。高校も50mプールがあるっていう理由だけで選びましたからね。ただ、身長がさほど伸びなかったんです。競泳はコンマ何秒の世界なので、これでは高校の全国大会レベルで戦うのはちょっとしんどいよねって。それで、高校では水球を始めたんです。
え、水球ってすごいハードですよね。
齊藤 はい、あれは人間のやるスポーツじゃないですね(笑)。
大変ですよね。浮くために、足は常に動かしていなきゃならないですし(水球のプールは深さ2メートル以上)。
齊藤 そうなんです。カベもないんで相手チームの選手をカベにして帰ってくるんですよ(注1)。
注1:水球のフィールドはロープで区切られているため、競泳のようにターン時にプールのカベを利用できない。
相手チームの選手をカベに?
齊藤 そうです。(相手の選手を)蹴って帰ってくるんです。浮いているときも、楽をするために相手選手の海パンを水中で持ったり。
じゃあ、見えていない水面下では実に激しい戦いが。
齊藤 激しいというよりもヒドイです。あれはホント、何度も言うのもあれですが、人間のやるスポーツじゃないなと思いますね。
すごいですね。よくやっていましたね。
齊藤 3月の終わりから11月の終わりぐらいまで泳いでいました。外でね、ハッハハハハハ。