『拳児』に影響されて蟷螂拳(とうろうけん)道場に入門
そうでしょうね。中国武術は少林寺ですか、それとも違うものだったんですか?
三上 蟷螂拳(注9)っていうやつをやっていました。京都に道場があったんですよ。今もあるかどうかは分かんないですけど。
注9:カマキリの動きを模したといわれる中国拳法のひとつ。
蟷螂拳って日本でやっている人は少ないですよね。なぜやろうと思われたんですか?
三上 もともと興味があったんですけど、その頃の田舎に中国武術の道場なんてないじゃないですか。だから、もう亡くなられていますけど松田隆智さん(注10)っていう方の本を買って。『拳児』(注11)っていうマンガの原作とか監修をされていた方で、蟷螂拳の本も出されているんですよね。それを読んで、見よう見まねで始めて。で、大学が京都なんで探したら道場があったんですよね。
注10:中国武術研究の第一人者として知られ、八極拳や蟷螂拳など中国武術に関する数々の著作を残した。武田鉄矢主演の映画『刑事物語』シリーズの武術指導をつとめたことでも有名。2013年に死去。
注11:祖父の影響で中国拳法の修行を始めた少年の成長を描いた「週刊少年サンデー」連載の大河マンガ。原作は松田隆智氏、作画は『ジーザス』や『闇のイージス』などで知られる藤原芳秀氏。

中国武術を見よう見まねで始める
ということは、かなり極められた?
三上 いや、全然極めてないです。けっこうやっていましたけど、組手とかすると体格差が出るんですよね。やっている人の母数が少ないから階級とかないんですよ。で、やっぱりデカいヤツには勝てないです。
やっぱりそうですか。
三上 道場に新人で体重100kgぐらいのヤツが入ってきたことがあったんですよ。こっちはもう3年ぐらいやっているから、「ちょっと稽古したろうか」みたいな感じで組手をしたんですけど、素人の蹴りに押されたりしましたからね。
ちょっとうがった見方かもしれませんけど、武術にハマったのは、お父様に勝ちたかったからというのはありませんか?
三上 ありますよ。中学のときに空手を始めたのもきっかけはそれです。ただ、勝ちたいというよりも、う~ん……。
負けたくないとか、対等になれるとかですか?
三上 勝ち負けではなく、単に強くなりたいっていうところを加速させたんじゃないのかなあと思います。だから、親父とケンカして勝ちたいっていう気は別になかったですよ。ただ暴力三昧の日常だったんで、強くなりたいっていう意志は強かった気がしますね。
勉強には向いていなかったと思う
ちなみに二浪されたとき、お父様の反応はどうだったんですか?
三上 正直覚えてないですけど、ブチ切れみたいな感じはなかったと思いますね。どうしても受かりたいんだったらチャンスをやる、みたいなノリで淡々と説教というか、禅問答的というか。そんなニュアンスだったと思います。
さきほど広島の予備校とおっしゃられていましたが、そのときはご自宅で浪人生活ですか?
三上 1年目は自宅から通っていました。でも、勉強は嫌いだし不真面目だしで、予備校に通っていても、まあ上の空ですよ。今となっては親父に悪いことをしたなって思います。カネ出してもらってんのに何しとんねん、みたいな。
今となってはそう思うと…。
三上 で、また失敗したんで親父に頭下げて、寮に入れてくれって頼んだんです。ある程度自分のことが見えてきて、進んで勉強することは多分できない。でも、必死になって受験勉強しているヤツらと生活をともにしたら多少はやるんじゃないかっていう。
なるほど。
三上 それが割とよかったのかな……でも、多分一番よかったのは京都の予備校の駿台に入ったことですね。当時の駿台って席が狭くて、3人掛けにビッチリ詰められるんで、互いのノートの中身が見えるんです。で、初日の授業のときにノートを開くと、両側はビッシリ予習していて僕だけ白紙なんですよ。
そりゃそうですよね。
三上 それで「え、みんな予習やってんの?」って聞いたら「普通やるでしょ」、「お前、予習もせずして、なんでココに来てんの?」みたいな、すごい言われ方をして。あまりにも恥ずかしくて、そのときから予習をするようになりました。それが人生初めての予習です。それまで予習ってやったことなかったんですよ、ウン。
真面目になられましたね。

三上 いや、寮に帰ったら友達の部屋に入り浸って、くだらん話をずっとしていましたよ。あまりに勉強のジャマばっかりしていたんで、「もう帰れよ!」って何回か言われた覚えがありますね。でもまあオマケ的な効果はあった気がします。普通の人はそれぐらい勉強するんや、みたいな。
ホントに勉強したくなかったんですね。
三上 向いてなかったですね、本っっっ当に向いてなかったですね。
大学もほとんど行かなかったとおっしゃられていましたが、やはりそれが原因でしょうか。
三上 大学はもっと本当に勉強が分かっている人が、それ専門のプロが教えるんだと思っていたんですよ。で、入学して最初の1週間はいろんな講座を受けられるんで、出られる限り全部出たんですけど面白かったのは1コだけ。あとはどれもつまんなくて。
ちなみに面白かったという、その授業はなんだったんですか。
三上 「環境と健康の科学」っていう、ハハハハ。
そんな授業があったんですか。それは何がそんなにお心に触れたんですか?
三上 食品添加物は本当に体に悪いのかとか、お焦げは本当に発ガン性があるのかとか。その先生がそういうことをいろいろ研究していて、一生懸命しゃべってくれるんです。雑学的なテーマばっかりなんですけど「なるほど、そういうことか」、「ひょっとしたら役に立つかも」って普通に楽しめたんですよね。それ以外の講座は何の意味があるのか分からへん、みたいな。「これ何が面白いの?」、「何の役に立つの?」っていう。
僕は駿台で初めてプロとして教えるテクニックを持った人たちに触れたんですけど、その人たちはすごい理路整然と、分かりやすく体系化して教えてくれたんです。日本史の授業を受けていたときも、何年に何が起きたかなんか、どうでもいいんだと言うんです。この事件が原因で、この人が死んで、それがこっちの別の事件に繋がってっていう因果関係の順番が大事で、年号なんか覚える必要ないんだよって。そういう教え方って心に刺さりますよね。
確かにそうですね。
三上 この事件のせいでこういうことが起きたんだよ、連鎖していったんだよっていう。そうした歴史から学べることは多いじゃないですか。人間の業とかね。これを知っているとタメになるよなっていうのが実感として分かる。歴史から何を学ばなきゃいけないのか、みたいな本質的なことを知っていて、しっかり自信を持って教えられる人が、なぜか義務教育の場にはそんなにいなくて、なんで予備校にいるんだろうっていうね。だって日本は英語の授業を中学で3年、高校で3年、大学で2年と8年間もやるのに、しゃべれる人はあんまりいないじゃないですか。
歴史の勉強も必ず縄文時代から。あんなの意味あんのかって。興味がある人は勝手に興味を持って、「縄文の歴史」みたいな本を読んだり、史跡を訪ねていったり勝手にするでしょって。歴女とかそうじゃないですか。もちろん、学校でそういうことに触れたことがきっかけで興味を持つこともあります。それは否定できないですよ。でも、この情報化社会でインターネットもあるんだから、好きなことにはいくらでも食いつきますよね。
撮影 / 北岡一浩 取材協力 / 仁志睦
続きは第2回インタビューへ
1月28日(月)公開

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】
くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。