音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。
株式会社スクウェア時代から、現在の株式会社スクウェア・エニックスの現職に至るまで、常にゲームプロデュースの最前線に立ち続けるキーマン、それが橋本真司だ。
橋本のSNSを見ると、一年の大半を海外出張で過ごし、様々な案件のコーディネートに携っている片鱗を伺うことができる。私が橋本と出会ってからすでに25年近くが経過するが、その間も常にその仕事の姿勢は変わらないように見受けている。
ちょうど、私が独立して起業したときに、橋本からは「努力」「継続」そして「孤独」という三つの言葉を贈られた。最後の「孤独」とは今回の取材のなかでも語られているように、自身で決めたことは自身で受けとめるという覚悟の言葉であると。
そして、商品を作る側として、才能あふれるクリエイターを応援するというポジションとモチベーションを常に持ち続けている。橋本はすでに61歳。ただし、尊敬する人物たちが現役で活躍し続ける限り、彼も現役を退く気持ちはないという。
その尊敬できる人物とは・・・そして橋本が何を感じ、何を想い、それぞれの作品に向かい合い、人生を生きてきたのか。今回の「エンタメ異人伝」は、橋本真司を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。
(敬称略)
※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの最終回です。第1回(上)、第2回(中)はこちら
インタビュー取材・文 / 黒川文雄
独立の経緯と伝説のコブラチーム
「コブラチーム」は完全に自分の意志で独立しようとしたわけですよね。人間関係やお金の問題などはなかったんですか?

コブラチームのころ
橋本 お金のためだったら、この選択はしてない。コンテンツはどうやって作ればいいんだろうか、作るにはどうしたらいいんだろうか……そういう選択の中で、ひとつキーワードがあったとすれば『クロノトリガー』に繋がってくるよね。坂口(博信)さんと出会って、のちの『クロノトリガー』に繋がるところのパイプラインをサポートさせていただいたんだよ。で、バンダイグループさんにはいろいろお世話になったけど、1994年に道を変えて坂口さんと組んで、2001年まで一緒にやらせていただいたと。
ということは、スクウェアに入ったのが94年?
橋本 それまでコブラはバンダイの関連会社だったんだけど、94年に完全にフリーにさせてもらって。そのあと、いわゆる旧スクウェアさんに買収されたっていう流れになるね。
それが94年で、そのときに「ソリッド」になったんですか。
橋本 そうそう。それで伝説の『ファイナルファンタジーVII』のプレイステーション参入に繋がっていくと。
あれも橋本さんが関わっていますよね。
橋本 だから、94年から97年の『VII』のローンチまではすごい大変だった。
それは新ハードに移るっていうことだけじゃなくて、ですか。たとえばCGとか技術的な部分でゲームが変わるっていうこととか。
橋本 まず、2Dから3Dになるってことがすごい大変だったからね。当時、『FF』は絶大な人気があったけれども、『VI』まではポリゴンではなかったから。それをポリゴンに切り替えるための技術的なジャンプってすごく大きかったんだよ。
そうですよね。
橋本 プレイステーションでやるっていうのもすごくでかかった。やっぱり色々な意味で怖かったよね。それは経営陣も同じだったと思う。
任天堂などの流通に頼らずに独自の流通で独自に売ると。ソニーの流通も一応やるけど、独自に道を開くことで、より盤石なものを作ろうというものですよね。それをずっと見てきたと。
橋本 そういう時代のいろんな切り替えのタイミングを見てきたよね。『アニメージュ』からスタジオジブリになるのも見ていたし。偶然だけどね。

ソリッド、スクウェア時代って、橋本さんが開発の外人部隊をいっぱい集めてくるようなことをされていたじゃないですか。あれもスクウェアの体力とブランド強化、もしくはコンテンツ強化のために動かれていたわけですか。
橋本 もちろん。なぜならばデジキューブ専売だから。デジキューブ専売を社内開発には回せないからね。
「もうこれ以上仕事受けないでください!」って(笑)
なるほど、それで『トバルNo.1』(注41)、『アインハンダー』(注42)とか『ブシドーブレード』(注43)といったものを準備すべく、橋本さんが動いていたと。
注41:プレイステーション向け3D対戦型格闘ゲーム。1996年8月2日にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売。開発はドリームファクトリー。
注42:プレイステーション向けに発売された3Dの横スクロールシューティング。発売時の人気は今ひとつだったが非常に歯応えがあり、のちに多くのシューティングファンの支持を集めた。1997年11月20日発売。
注43:日本刀などの武器を使って戦うプレイステーション向けの対戦格闘ゲーム。体力ゲージがない、切腹して自害できるなどの独自システムが話題となった。1997年3月14日発売。

1988年「E3」初参加
橋本 そう。デジキューブを勝たせるためにコンビニ専売のタイトルが必要だと宮本さんが言うんだけど、坂口さんはそのために社内のラインは開けられないと。だから、傭兵を作る、もしくは傭兵を雇う場所を作る必要があって、それでリクルーティングも含めて動いたりした。当然、3Dポリゴンからアクションゲームまで幅広くやれるチームでなければいけないし、コンビニに来るお客様のことを考えるとRPGだけじゃなくて野球とかサッカーとか、さまざまなジャンルのタイトルも短期間で用意しなきゃいけないと。そういうことをやっていたんで1日何十時間も働いている感じだった。
今でもそうですよね。
橋本 今も変わんない。部下が「もうこれ以上仕事受けないでください!」って(笑)。
いや~すごいですね。あまり表に出られないのは、ご自身のポリシーなんですか?
橋本 自分はプロデューサーで、表に出て脚光を浴びるのはディレクターの仕事だと思っている。我々はビジネスマンなんで。もちろん、プロデューサーとして答えを出さなきゃダメだけどね。答えを出して、次のチャンスに繋げていくっていう、うん。
カッコいいですね、やっぱり。
橋本 何言ってんだよ(苦笑)。

昔の撮り鉄作品より