「高橋、毛利に続いて橋本行け!」
いやあ、すごいところからお付き合いが始まっているんですね。
橋本 そうやって集英社担当を何年ぐらいやったかなあ。5年ぐらいかな。でも、おかげさまで『キン肉マン』も『聖闘士星矢』も『魁!!男塾』も集英社さんとやらせていただいて、まあ売れたよ、メチャメチャ売れました。もともと『キン肉マン』も「キン消し」がバンダイグループで大ヒットしていたんで、これはいけるだろうと思ってはいたけどね。確かバンダイさんが店頭公開する直前で、『キン肉マン マッスルタッグマッチ』は40万本が目標だったんだけど瞬殺で、気がついたら100万本売れてた。

すごいなあ。
橋本 ものすごい時代が動いていたよね。
ところで、名人になったのは会社の命令だったんですか?
橋本 だって3人しかいないから選択肢がない。営業係長、開発中心の主任、ヒラの僕。あとは全部アウトソーシングだから、そりゃあ一番下っ端がやることになるんだよ。「高橋、毛利に続いて橋本行け!」って言われて、営業宣伝パブ担当になって全国を行脚。で、気がついたらテレビ東京さんに気に入っていただいて。3年間MC補佐みたいな感じでやらせていただいたんだけど、第3土曜日は終日リハーサルで第3日曜日は朝から収録なの。しかも、翌月分4本撮りだったからもう大変でね。3年間は第3土日がなくて、休日勤務手当だけもらってた。
あの番組では他社さんのゲームの攻略もしていましたよね。大丈夫だったんですか?
橋本 喋れてテレビゲームができる人が他にいなくて。だから、橋本さんMCとして毎週出させてあげるから、他社さんのゲームもやってとテレビ局のプロデューサーさんに頼まれたんだよ。

赤い眼鏡がトレードマークの橋本名人
そうだったんですか。
橋本 あった、あった。で、上司に相談したら、それはバンダイの尺が長いほうがいいって言うから、ちょっと手伝うことにしたんだけど、そこからは編集者に戻っちゃって。テクモさんに『アルゴスの戦士』(注37)について問い合わせしたりとか、堀井さんに取材に行ったりとか、何かの縁で『とびだせ大作戦』(注38)もやりましたね。
注37:ヨーヨー状の武器を使って敵を攻撃していくテクモのアクションゲーム。1987年4月14日発売。
注38:スクウェア(現スクウェア・エニックス)・DOGブランドよりされた3Dランシューティングゲーム、ファミリーコンピュータ ディスクシステム用ゲームソフト。1987年3月12日発売
「赤いメガネの橋本名人」
自分でやっていたんですか!? 大変でしたね。

橋本名人 夏仕様

橋本名人として各種ゲームイベントに参加
橋本 大変だった、なんの企業人か分かんなくなっちゃって。
ホントですよね。
橋本 うん。で、そろそろいいんじゃないかと…言われて辞めることになりました。
ちなみに、あのメガネは何か意味があったんですか?
橋本 あれを決めたのはスタイリストさん。当時、高橋名人が帽子に黄色のシャツで、毛利名人は私服系で。
毛利さんはチェックの柄のシャツとかよく着ていましたよね。
橋本 そうそう。で、そういう色映えするものの中で、出てきたのが赤とオレンジだったわけ。黄色とかチェックとかに対抗して、僕はオレンジのジャンパーに赤いメガネでいこうと。いわゆる暖色系って目立つじゃない。それがコーディネートさんのプランだったと。収録中はライトが強いんで、メガネのレンズは抜いて光らないようにしていたけどね。当時はイヤだったけど、今思うとあの「赤いメガネの橋本名人」は別のキャラクターになっているでしょ。町で歩いていても別に橋本名人だなんて呼ばれなくてすむから、そこは助かった。高橋名人なんて、もうそのままだったからね。
そうですよね、いまだにあのイメージですよね。

橋本 そうそう、いまだにやってらっしゃるからすごいなあと思って。
その、橋本名人をやって3年経ったときに、ある種の転機を考えたわけですか。
橋本 20代の3年間、ちょっとセミ芸能人的な仕事をやらせてもらったけど、芸能人でやっていくのか、コンテンツを作るのか、お前どっちなのっていったらコンテンツを作る方が楽しいんだよね。だから、会社のミッションで半分芸能人をやっていたけど、やっぱりそれは卒業してコンテンツを作りたいと。
一番大きかったのが『ファミコンジャンプ』(注39)の仕事だね。ジャンプさんの創刊20周年記念として『ファミコンジャンプ』を鳥嶋さんと組んで作ろうっていう話になって、結果として120万本ぐらい売れたけど、ゲームの内容に対する当時の評価は厳しかった。それで、堀井さんと組んで『ファミコンジャンプII』(注40)をやらせてもらって。ある一定の完成度を得たんで自分的には満足して独立させていただいたと。
注39:『週刊少年ジャンプ』創刊20周年を記念して1989年に発売された『ファミコンジャンプ 英雄例伝』のこと。ジャンプワールドを舞台に歴代の『ジャンプ』の人気キャラクターたちが活躍することから大きな話題となり大ヒットを記録した。
注40:堀井雄二氏が監修を務めたシリーズ第2弾で、正式名は『ファミコンジャンプII 最強の7人』。1991年12月2日発売。
それが「コブラチーム」でよろしいんですね。
橋本 「コブラチーム」です、はい。
撮影 / 北岡一浩 取材協力 / 仁志睦
続きは第3回インタビューへ
1月21日(月)公開予定

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】
くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。