黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 23

Interview

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(中)赤いメガネの橋本名人誕生秘話 

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(中)赤いメガネの橋本名人誕生秘話 

「橋本、悪いけど光速船は収束させるからゲームデジタルをやってくれ」

そうかあ……。

橋本 で、3年売るぞって言った、その年のクリスマス商戦のころには、ものすごい差がついちゃってた…。完全に結果が出ちゃったんで、もう3年はやらないと。「橋本、悪いけど光速船は収束させるからゲームデジタル(注26)をやってくれ」って言われて、ゲームウォッチの開発をやっていた。

注26:バンダイ製のハンディ型液晶(LCD)ゲーム機

昔の自身で撮った撮り鉄写真

バンダイ時代 海にて

ゲームデジタルのハードごとっていう意味ですか?

橋本 当時はガワから作らなきゃならなかったんだよ。だから、『トリプルビジョン』(注27)の『ザ・ゴジラ』とか『バイキンクン』(注28)のメロディポップ(鍵盤楽器のオモチャ)とか、そういった自分の企画をデザイン会社と一緒に考えることをやっていた。あとは先輩から引き継いでスペースワープ(注29)とかジグソーパズルとかボードゲームも担当していたね。

注27:バンダイが発売していたゲームデジタルのシリーズで、画面に付いているフタを開閉することで3つのパターンの画像を楽しめることからこのように呼ばれた。

注28:80年代に人気となったバイキンの姿をしたキャラクター。モップを持ったかわいらしいデザインが受け、さまざまなグッズが発売されるなど当時のティーンの間で流行した。

注29:2本のレールからなるコースの上を鉄球が転がっていくバンダイのインテリアホビーで80年代に高い人気を獲得。2005年にファンの要望を受けてシリーズ復活を果たした。

それは橋本さんが企画を立てて、外部の開発会社に中身を作ってもらうという。

橋本 そうそう。バンダイさんって巨大な組織なのでパブリッシャーの本社から、いろんな子会社や協力会社まで、すごい裾野が広いのよ。それで、その協力会社である何社ものデザイン会社にお話をして、企画を詰めていく。

なるほど。

橋本 だから大学を卒業して、つまり編集者を3月31日に卒業してバンダイに入った日から今度はテレビゲーム。もちろん研修期間は1カ月ぐらいあったけどね。でも、光速船もインテレビジョンもファミコンに席巻されちゃった。そのあと「アルカディア」(注30)とか「RX-79」(注31)とかもやったんだけど不振で。それで、呼び出されて「これからはファミコンソフトを作るから」「これは特殊任務だから絶対に口外しないように」って言われた。

注30:1983年にバンダイから発売された家庭用ゲーム機で価格は19,800円。同一システムの互換機がさまざまな会社から世界各国で発売された。

注31:1983年にバンダイから発売されたホビーパソコン。BASICに対応していて学習ソフトやワープロも利用可能となっていた。名称はガンダムの型式番号にちなんでいる。

「アポなしでお客さんが来ました、集英社さんって言っています」

ウチのはどうするんですかって思いますよね。それでどうなったんですか。

橋本 それで、最初に3本作ったんだよ。『キン肉マン マッスルタッグマッチ』(注32)と『オバケのQ太郎 ワンワンパニック』(注33)、それと僕の担当する『ガンダム』を出す予定だったんだけど、それがある事情でボツになって『マクロス』のソフト(注34)を担当することになった。

注32:『キン肉マン』に登場する人気超人たちがタッグマッチで戦うプロレスゲーム。バンダイが手がけた初めてのファミコン用ゲームで1985年11月8日発売。

注33:藤子不二雄の人気マンガ『オバケのQ太郎』を題材にした横スクロールアクション。当時、『オバケのQ太郎』はアニメが放映中だった。

注34:1985年に発売されたシューティングゲーム『超時空要塞マクロス』のこと。開発を担当したのはナムコで、ロムカセットにもナムコのロゴが入っている。

アニメ、ガンプラとやって来られたわけですが、ゲーム自体には違和感なく入り込めたんですか?

橋本 当時はゲーセンも含めて普通に流行っていたし、そこにキャラクターを使う、キャラクターのいいところをゲームの中に取り入れていくっていう仕事に違和感はなかった。アニメージュの仕事をやっていたからキャラクターは詳しいしね。

バンダイ香港にて

で、これは別のところでも話したんだけど、開発会社にいきなり集英社さんが来たんだよ。「アポなしでお客さんが来ました、集英社さんって言っています」とかって。それで、部長に「とりあえず、橋本会ってくれ」って言われて、ひとりで行ったら3、4人の方に囲まれちゃって。「集英社は『キン肉マン』の原著作者であって、我々はゲームを見る権利がある」って言われたんだけど、そのときずっと喋っていたのが鳥嶋(和彦)さん(注35)だった。

注35:黄金期の『週刊少年ジャンプ』を支えた名物編集者で現白泉社代表取締役社長。黎明期のゲーム業界に、さまざまな形で関わってきたことで知られる。

鳥嶋さんとの出会い「今日はご勘弁ください。改めて準備してからお見せします」

ああ~。

橋本 確か、キャラメル・ママ(注36)の人も一緒で、『キン肉マン』の取材に来たわけ。でも、僕らは鳥嶋さんに直接会いにいけないんだよ。集英社さんと『キン肉マン』の原作者さんは東映動画、今の東映アニメーションにライセンスしてキャラクターを貸して、その東映さんが『キン肉マン』のテレビシリーズを作っている。で、我々は東映動画さんからライセンスをもらってゲームを作っていたんだよ。だから我々からすると……。

注36:集英社の少年誌などで編集・制作業務を手がけている編集プロダクション。

窓口が違いますよね。

橋本 だから、僕らからしたら集英社さんは天上人、会えるなんてことありえなかった。東映さんに「これでいかがでしょうか?」っていうのが仕事だったから。そうしたら、いきなり集英社さんが来ちゃって「あれ?」って。

それはゲームの内容をチェックしに来たってことだったんですか?

橋本 そう。あの当時、『少年ジャンプ』の袋とじとか(『ファミコン神拳』のこと)爆発的な人気があったから、集英社さんとしては自社のコンテンツのテレビゲームの内容は当然気になるんだよね。『キン肉マン』をゲームにする以上は自分たちで全部チェックしたいと。でも、僕らからすると「あれ、東映動画さんはよろしいんですか?」みたいな(笑)。それで結局、チェックを2回受けなきゃならなくなっちゃって。集英社さんにチェックしてもらって、さらに東映動画さんにチェックされると。だから、大変だった。

それで、満足して帰られたんですか?

橋本 いや、全然準備不足だったんで、「すみません、今日はご勘弁ください。改めて準備してからお見せします」って。それで、別の日にお見せして、『少年ジャンプ』で『キン肉マン』の紹介をしていただいと。それが鳥嶋さんとの最初の出会いだったね。

じゃあ、鳥嶋さんがまだ編集担当ぐらいだったころですか。

橋本 そうだね、デスクとか主任とかだったかな。のちに白泉社の社長になるとは思わなかった。

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