黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 23

Interview

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

3月31日が校了で、翌日にバンダイの入社式に行っていたからね

橋本 書いたことないし、まだ20歳だったけど、カセットテープレコーダーを持って取材してきて。とにかく200字詰めペラに原稿を書いて、社員の方に渡してチェックしてもらって。忘れもしない最初の原稿料が2万円だった。だから、手取りが1万8千円ぐらいだったのかな。

いきなりそんなにもらったんですか。

橋本 もらってた、もらってた。(笑)

アニメージュ編集部のバイト時代

大学1年で。

橋本 そうそう。だから大学1年生の5月ぐらいから卒業する4年生の3月31日まで編集者をやってた。3月31日が校了で、翌日にバンダイの入社式に行っていたからね。サーフ&スノーどころじゃない。もう~忙しかった。

ちなみに、アルバイトはどなたかのご紹介だったんですか?

橋本 SF研究会の先輩たちもSFやアニメの知識はふんだんにあるんで、講談社、徳間書店、朝日ソノラマなんかにバイトに行っていたわけ。当時はアニメブームでアニメ雑誌が4誌も5誌もあったから仕事はいくらでもあるわけよ。ただ、ブラック企業って言葉はまだなかったけど、そんな感じで家なんか帰れなかった。今みたいなデジタル出版の時代じゃないから。

人生は前に前に進むんで過去はあまり振り返らないんだよ。

手書きの時代ですからね。

橋本 月刊誌だったから1カ月のローテーションが完全に決まっているわけよ。この月の第1週は編成会議で、それが終わったら社員さんから次回はこれでいくからって言われて、手書きで書いて、写植屋さんに発注して、デザイン会社に発注して。ガッチャンコしたやつを版下入れて、大日本印刷とか凸版とか図書さん(いずれも印刷会社)とかに入れて。で、文字校が出て色校が出て校了っていうのにずっとつき合っていたからね。

そのころって日本のアニメが変わろうとしていた時期ですが、それをすべて現場でご覧になっていたわけですよね。

橋本 でも、自分自身はあんまり……なんていうかな、人生は前に前に進むんで過去はあまり振り返らないんだよ。ただ、意外と先輩の人たちが覚えていて、この時期に僕がいろんな企画を出したらしいのよ。

橋本さんがですか。

橋本 そう、『アニメージュ』でね。で、その記事がトップになっちゃったらしくて。ガンダム特集のムック本とか担当させてもらって、それがバカ売れ。もちろん先輩の構成のおかげでもあるんだけど、テレビシリーズと劇場版3作の全4巻を作って、それが100万部を超えたんだよ。だから、徳間の人たちから「お前、儲かっただろう」って言われるんだけど、「いや、この金額でやってます」って話したら、みんなに呆れられた(笑)。でも、大学生からすると大金だったのよ。当時はバブルだったからタッ券(タクシー券のこと)ももらっていたし、ボトルカードも持っていたし。

そのころからタクシー券をもらってたんですか…(笑)。

橋本 もらってた。映画でいう『バブルへGO!!』(注15)とか『私をスキーに連れてって』(注16)のまんま。

注15:バブル崩壊を止めるため1990年にタイムスリップするというバブル時代をテーマにした2007年公開の映画。正式タイトルは『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』。

注16:スキーブームを生み出した1987年公開の映画。バブル真っ盛りの当時の日本の雰囲気がうかがえる内容となっている。

はあ~~ある意味、浮き沈みがなく超高レベルのフラットな生活を送ってきたわけですね。

橋本 ただ自分が好きなことがお金になったっていうだけだけどね。

でも、すごいですよね。デジキューブ時代は全然聞いたことがなかったんで驚きました。

橋本 今日は取材で聞かれているから答えているけど、わざわざ自分から言うことじゃないですよ。

ただ、僕は橋本さんってすごい満ち足りている人だなあと感じてはいましたよ。

橋本 満ち足りてないよ!(笑 キッパリ!)

いやいや、違うんですよ。ハングリーじゃない感じがするんです。もちろん、ハングリーなところはあると思いますけど、それを感じさせないんですよ。なんか、すべてを持っている感じがすると言いますか、常に余裕がある、すごくキャパのある人だなあってずっと思っていたんです。

橋本 余裕あるのかなあ。もう今は疲労困憊でタクシーの中でしゃべっていても、すぐ寝ちゃうんだよ。

そうなんですか、ハハハ。先ほど橋本さんがテニスをやっていたのをアルバイト先の元上司が今でも覚えていたという話をされましたが、そのアルバイト先が『アニメージュ』だったわけですよね。

橋本 だから、そのときの上司がいまだにプロデューサーをやっているのよ。スタジオジブリの鈴木敏夫さん(注17)。

注17:宮崎駿、高畑勲両監督のアニメーション映画をはじめとする、ほぼすべてのスタジオジブリ作品でプロデューサーを務めていることで知られる。徳間書店時代に『アニメージュ』の創刊に携わり、2代目編集長を務めた。

やっぱり鈴木さんのことなんですね。そのころの『アニメージュ』っていったら、多分鈴木さんの時代だろうなと思いました。

橋本 そうそう。敏夫さんがデスクで僕がペーペーで。敏夫さんに『ガンダム』の企画を出せって言われて、出したのが『ガンダム』のムック本だったと。僕自身はもう忘れていたんだけど、富野さんと敏夫さんに言われて思い出した。

ご自身は覚えていなかったんですか。

橋本 覚えてない。あと、もうお亡くなりになってしまったんだけど、バンダイの模型事業部の北出っていう部長さん(当時)が『アニメージュ』に来られて、『宇宙戦艦ヤマト』の次の商品化の企画を提案してくれって言ってきたんだよ。当然、担当者の僕は『ガンダム』を提案したんだけど、それが例のガンプラなのよ。これがバンダイに入るきっかけになった。

そこも関わっているんですね。

橋本 もう全部企画出したから。確か21歳ぐらいだったと思うけど、CF(コマーシャルフィルム)の第2弾も僕が絵コンテを書いた。ガンプラの工場編っていうCF(注18)なんだけど、あれは僕の絵コンテなのよ。東宝の特撮で撮ってもらってね。すごい楽しかったよ。

注18:モビルスーツの開発工場を舞台にしたガンプラのCM。工場内にザクのガンプラがズラっと並んでいたり、モビルスーツが生産されていく様子をガンプラで再現したりと、映像が非常にカッコよく、当時の少年たちを熱狂させた。

ええ~~すごいですね。

撮影 / 北岡一浩 取材協力 / 仁志睦


続きは第2回インタビューへ
1月18日(金)公開

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(中)赤いメガネの橋本名人誕生秘話 

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(中)赤いメガネの橋本名人誕生秘話 

2019.01.18

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】

くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。

< 1 2 3 4
vol.22
vol.23
vol.24