黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 23

Interview

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

さすがに父親から、もういいかげん働けと言われて大学に入った

アッハッハ、そうなんですか。よくフェイスブックにいい写真を上げられていますけど、その頃からずっとなんですね。

橋本 そう。小学校5年生からだから、昨日今日の話じゃないのよ。今もどこかの倉庫に当時のSLの写真とかあると思うよ。もちろん、ネガフィルムだけどね。デジカメなんかなかったから、今の人はうらやましいなあと思って。当時はピンボケだろうがなんだろうが、とりあえず焼いてみないと分かんなかったからね。ベタ焼き(注7)してピンボケじゃないヤツを選んで、それだけ大きく焼くっていう。全部焼いたらお金がかかるからね。そういう時代だよ。

注7:写真をフィルムサイズで現像したものでコンタクトプリントとも呼ばれる。実際にプリントするものを選ぶためのチェック用や内容見本などに利用されていた。

当時の撮り鉄より

昔から多趣味だったんですね。

橋本 ミーハーだからね。

でも楽しかったでしょうね。

橋本 週末は撮り鉄、平日はタミヤ(のプラモデル)を作ったり鉄道模型をやったりで、いやもう人生忙しかった。高校に入ったら趣味で同人誌も始めて、初期のころのコミケにもずっと出てたし。で、さすがに父親から、もういいかげん働けと言われて大学に入った。それが駒沢大学経済学部で、いまだに毎年講義を頼まれてやってる。

名誉講義みたいな。

橋本 そうだね。1年に1回ぐらい。

どんな同人誌を作られていたんですか?

橋本 最初はいわゆる実写ドラマ系、『サンダーバード』とか『謎の円盤UFO』について自分なりのコメントを書いたりしていたんだけど、大きな転換期があって、それが『宇宙戦艦ヤマト』。「あ、日本にもスゴいのがあるじゃん」って。今でいうオタクって言葉もなかったけど、普通にみんなで集まって『ヤマト』について議論したりしていたね。で、(ヤマトの)模写して、同人誌を作って、売ってた。

へええ~~。

橋本 そういう編集のカジリみたいなことをやってた。そうやって2年ぐらい浪人して好き勝手やらせてもらっていたんだけど、さすがにまずいかなと思って大学に入った(笑)。

二浪したんですか。

橋本 そう。一応、塾にも通ってはいたけど、ずうっと趣味で同人誌のライターをやってた。で、さすがに趣味で生きていくだけじゃなくて、一回大学に入って一般教養からサラリーマンを目指せって父親に言われて。父親、銀行員だしね。

中学校の修学旅行 北海道の北鎮岳にて

親はそう言うでしょうね。

橋本 それで駒沢に入って、これからは憧れのサーフ&スノーかなと思ったわけよ。テニスとスキーと飲み会だと思ったんだけど、テニス系のサークルだけなくじゃなくてSF研究会にも入ったのよ、インドアとアウトドアの両方。

両方入ったんですか。

橋本 テニスサークルには入らず仲間と遊んだくらい・・・だね。テニスは駒沢公園で普通にやっていたんだけど、いまだにアルバイト先の元上司がそのことを覚えていて。その人は僕が新橋にテニスラケットを持ってバイトに来ていたのをずっと覚えていたらしいんだよね。

アルバイト先の上司ですか。

「え、いいんですか。僕はまだ仕事をやったことないんですけど」

橋本 5月にはもうサークルに入っていて、ありがちな話なんだけどSF研究会の先輩がアルバイトを斡旋してくれたのよ。もう大学生だし、休講のときに麻雀するのもいいけどバイトにも行こうってことでね。それで、何社か紹介されて選んだのが徳間書店の『アニメージュ』編集部。同人誌をやっていたから、これはおいしいネタがたくさんあるじゃんっていう。

書けるじゃん、みたいな。

橋本 書けるし、憧れの声優さんに会ったりできるじゃん、みたいな。それで、最初についた先輩社員に大きなミッションをふたつ出されて、ひとつが「シャア・アズナブルの3つの謎」みたいなヤツ。もうひとつは劇場版『エースをねらえ』の出崎(統)監督(注8)と杉野(昭夫)さん(注9)のインタビュー。つまり、20歳前後の最初の仕事が富野(由悠季)さん(注10)と安彦(良和)さん(注11)と出崎さんと杉野さんのインタビューだったの。

注8:数多くのテレビ、アニメ映画を手がけたアニメーション監督。代表作は『あしたのジョー』、『宝島』、『ガンバの冒険』、『スペースコブラ』など多数。

注9:さまざまな出崎作品でキャラクターデザイン、作画監督を務めたことで知られるアニメーター、キャラクターデザイナー。

注10:『機動戦士ガンダム』をはじめ『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』など、数々の名作ロボットアニメを生み出した日本を代表するアニメ作家のひとり。

注11:『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイン、作画監督を務める。アニメーターとして活躍していたが、のちにマンガ家に転身した。マンガ家としての代表作は『アリオン』、『ナムジ』、『虹色のトロツキー』、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』など。

すごい仕事じゃないですか!

橋本 だから、大学に入って2カ月後に徳間さんから「これ持ってけ」って名刺を渡されて。「え、いいんですか。僕はまだ仕事をやったことないんですけど」とか言いつつ、当時の日本サンライズさん(現サンライズ)に電話をして……出崎さんはマッドハウス(注12)だったかな、電話をしてアポを取らせていただいてインタビューしたと。だから、5月ぐらいからもう取材で忙しかった。

注12:1972年に設立された老舗のアニメ制作会社で、出崎統氏も設立メンバーのひとりだった。近年の主な作品は『サマーウォーズ』、『DEATH NOTE』、『宇宙よりも遠い場所』など。

なぜ橋本さんに任せようということになったんですか?

橋本 過去に何をやっていたとか、自分はこんなことに詳しいんです、みたいな話を大学のサークルでするよね。当たり前だけど、海外系のテレビドラマは好きだから詳しい。あと『ヤマト』に詳しいとか、松本零士(注13)に詳しいとか。で、大学生になった年に初代『ガンダム』が放映開始されたのね(注14)。それで、『ヤマト』も『キャプテン・ハーロック』もいいけど、やっぱこれからは『ガンダム』だなってなったのが大学1年生の春。

注13:『銀河鉄道999』、『キャプテン・ハーロック』、『男おいどん』などで知られるマンガ界の大御所。当時はさまざまな松本作品がアニメ化され絶大な人気を得ていた。

注14:『機動戦士ガンダム』の本放送は1979年4月7日~1980年1月26日。

ああ~~。

橋本 で、僕は持っていなかったんだけど、先輩がビデオデッキを初めて買って。今見ると画質はイマイチだと思うけど、当時はもう感動してね。録画して何十回も『ガンダム』を見るわけよ。

ハハハハハ、そうでしょうね。

橋本 で、SF研究会だから蘊蓄を語るわけよ。ミノフスキー粒子とかメガ粒子砲についてとか、ザクのデザインについてとか、四畳半の先輩のアパートで延々とガンダム論議。だから詳しいわけよ。でも、『アニメージュ』の正社員の方たちはすごいIQは高いんだけど「ガンダムの詳細を教えてね…」って感じだった。

他の文芸系の編集部から来たという人もいますからね。

橋本 そうそう。だから、『ガンダム』のことを知らないのよ。「え、それアムロっていうんですか?」みたいな。そこから入るわけよ。

釧路時代のころ

そこからなんだ(笑)。それは大変だけど、でも橋本さんの活躍のしがいがありますよね。

橋本 もう全然大得意だから、シャアにはこういう過去があってアルテイシアが……みたいな原稿を書いて。それで、重宝がられた。文章は最低って言われたけどね。そりゃそうだよね、商業誌で書いたことなんてないんだから(笑)。

そうだったんですね。

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