黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 23

Interview

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

「スクエニ」のキーマン 橋本真司氏(上)撮り鉄少年がバンダイに入るまで

「本土から来たとか言われちゃって」(笑)

そうでしたか。転校してきた子供にありがちですが、都会から来たヤツということでのけものにされたりとか、なかなか溶け込めないといったことはなかったですか?

橋本 どっちかというと逆のパターンだった。明るい性格だったんで、どの学校に行ってもすぐに溶け込んじゃって「話題の転校生」みたいな。

橋本さんは社交性というか、コミュニケーション能力がすごく高い方だとずっと思っていたんですが、その頃からそういう感じなんですね。

市ヶ谷小学校の卒業式にて

橋本 悩んでいられなかったからね。ただ、新宿の市ヶ谷加賀町から北海道の釧路に移ったときのインパクトはすごかった。

あのころの釧路って、今よりもっと何もなかったですよね。

橋本 そうそう。で、内地から来たとか、本土から来たとか言われちゃって、ハハ。なるほど、そういう風に表現するんだと。

そのように、あちこちに転校していくことで受けた影響はありましたか?

橋本 もちろん、あるよ。普通は夏の授業で水泳って当たり前にあるじゃない。25メートルをクロールで何秒っていうのが体育の成績で評価されるっていう。ところが、釧路に行ったらプールがないのよ。

プールがない!?

橋本 ないの、寒くて。釧路は海流の関係で霧が出るんで、夏場でも気温がだいたい20度台で30度以上になるのは2、3日しかなかった。ストーブを炊かないのは8月だけで、7月も9月もストーブを炊かないと寒いんだよ。だから、プールという概念が必要ない。今はちょっと気候の変動があるから分からないけどね。

そんな時期からストーブを使うんですね。

橋本 そう。もう寒い、寒い。で、プールの代わりに、ほとんど滑ったことのないスケートがテストになるという。だから、冬の試験がヤバかった。都内の小さなリンクでチョロチョロ滑っていた人間が、いきなり400メートルのスケートのトラックを何秒で、みたいな。

それが試験ですか(笑)。

橋本 試験なのよ。スピードスケートの靴ってブレードが長いじゃない。僕はフィギュアのスケート靴しか持っていなかったから焦っちゃって。

アハハハ、それは大変ですね。

橋本 それまで体育はすごい自信を持っていたんだけど、こいつはヤバいと思って、すごい特訓した。朝も夜も学校以外の時間はずーっと滑ってた。

みんなに追いつくために練習したと。

橋本 そうそう。そのおかげで、けっこういいところまでいったのよ。もう塗り替えられちゃったと思うけど。今はもう廃校になってしまったけど、釧路市立東中学校の陸上400メートルリレーの記録を持っていたし。

橋本さんってアウトドアな感じがしなかったんで、すごく意外です。

橋本 アウトドアだよ。得意なのはスキー、スケートだし。新潟ではスキーが試験だったからね。だから、新潟に行ったときはスキーを必死で練習した。

中学時代は放送部に所属

行く先々で会得してくるわけですね、すごいなあ。

橋本 だから、今でもスキー、スケートは全然できる。ここでスピードスケートの靴を渡されても、すぐに滑れるよ。いわゆるこういうヤツ(スピードスケートのフォームのこと)は、もう身体に染みついているから。スキー板があればパラレルもできるし。さすがに、すごいコブとかは還暦だからもう無理だけど、ウィンタースポーツは今も好きだよね。

『サンダーバード』、『謎の円盤UFO』、『スペース1999』

恐れ入りました。そんな幼少期の橋本さんですが、カルチャーと言いますか、エンターテインメントの部分ではどんなものに影響を受けたんですか?

橋本 ミーハーだったからスポーツはひと通り……まあ上っ面っていうか、表層は抑えるようにしてた。あとはテレビだよね。昭和世代のいわゆる戦中経験者の両親からすると、やっぱりテレビっていうのは憧れで、すぐに買ってきた。だから、モノクロからカラーっていう変遷を見てきたわけよ。その時代はアメリカやイギリスのテレビドラマがカッコいい時代で、ものすごく楽しかった。

『タイムトンネル』とか『プリズナーNo.6』とか、その時代ですよね(注5)。

注5:日本での初放映は『タイムトンネル』が1967年、『プリズナーNo.6』が1969年。当時は地上波で数多くの海外ドラマが放映されており、さまざまな作品が人気を博した。以下の会話中に出てくるそのほかの海外ドラマも1960年代中盤~70年代前半ごろに放映されたもの。

橋本 そうそうそう。僕が影響を受けたのは『サンダーバード』、『謎の円盤UFO』、『スペース1999』とか。もちろん、『奥さまは魔女』みたいな王道のヤツも見てはいたけど、あの時代の海外のドラマにはやっぱり憧れたよね。

そうですよね。僕は橋本さんとは2歳違いで、やっぱりそういう当時の海外のアクションドラマをいっぱい見ていたんで分かります。あれは影響を受けますよね。

橋本 そうそう。もちろん日本のテレビドラマも良かったけど、やっぱり海外への憧れがあるからね。

僕が好きだったのは『ラット・パトロール』、『謎の円盤UFO』。あと『シービュー号』とか、そういうのが好きで見ていましたね。

橋本 戦争モノは僕もすごく好きなんで、よく見ていたなあ。『ラット・パトロール』もそうだけど、あと『ジェリコ』とか。

『コンバット!』とかですか。

橋本 『コンバット!』もそうだね。もう何回も見ているよ。いまだに見たりするよね。で、プラモデルはタミヤの35分の1のミリタリーを集めていくわけよ。

シュビムワーゲンとかキューベルワーゲンとか(注6)兵隊のキットとかですよね。

注6:どちらも第二次大戦時にドイツ軍が使用した軍用車両でタミヤのプラモデルとなっている。

今で言う「撮り鉄」だね

橋本 そうそう、自分でジオラマを作ってね。それからNゲージ。中学生時代に鉄道模型にハマったんだよ。旧・関水金属(現/KATO・カトー)のNゲージね。当時は関水金属って呼んでいたけど。で、小学校の5、6年生ぐらいからカメラもやっていて。その頃、僕は市谷加賀町に住んでいたんだけど、あそこって都電が走っていて、それをカメラで撮ったりしていたんだよ。南武線っていう古い鉄道が走っているところに数人でカメラを持っていったりして。

南武線って横浜の方じゃなかったですか?

撮り鉄 南武線

橋本 そう。昔はすごい古い車両が工場地帯を走っていることで有名で、それを撮りに行ったりした。今でいう撮り鉄だね。

撮り鉄だったんですか! どんなカメラを使われていたんですか?

橋本 もう覚えてないなあ。まあ古いカメラだったと思うよ。そういうわけで小学校の頃は電車を撮るのが好きで、都電を撮ったりしていたんだけど、市谷加賀町から釧路に行ったら普通にSLが走っているんだよ!

『鉄道員(ぽっぽや)』の世界ですよね。

橋本 もう忙しくてね。C58とC11(いずれも日本のSLの型式番号)を撮りまくってた。今はなくなっちゃったけど標津線(しべつせん)に行くとC11が走っていて。釧網本線(せんもうほんせん)はC58だったね。中学生だったから長万部(おしゃまんべ)まで行ってデゴイチ(D51)とかC62とか、そういう大型のSLを撮りに行く力はなかったけど、近隣のエリアには撮影に行っていたよね。

そうだったんですか。

橋本 そうそう。だから今も趣味が高じて一眼レフをね。僕はニコン派なんだけど(カメラマンさんの使用していたキャノンの機材を見つつ)。

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