あらすじ
引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。
息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。
『僕らのごはんは明日で待ってる』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の姿を描くハートフルストーリー。
第1回
第一章
1
「実の父親に言うのはおかしいけど、やっぱりはじめましてで、いいんだよね? ま、名前と顔は知ってるだろうけど、永原智です。はじめまして」
突然やってきた青年に玄関でそう頭を下げられ、俺はただ、「ああ、まあ」としか声が出なかった。
「ああ、まあって。おっさん、俺のこと知ってるよね? そんな、猫が水鉄砲食らったような顔しないでくれよな」
「ああ、まあ」
「ああ、まあ、って口癖? それより上がっていい? 豆大福買ってきたし、一緒に食べよう」
青年は俺が答える前に、「やっぱりいいとこ住んでんだなあ」とずかずかとリビングへと入っていった。
すっきりした日の光が差し込む十月の午後。昨晩は遅くまで仕事をしていて、午後一時を過ぎてもまだ眠っていた俺は、チャイムの音に確認もせずに玄関まで出てしまった。新聞の勧誘か宅配便。ここ何年間、訪ねてくるのはそれぐらいしかないから、青年が、いや、息子がやってくるだなんて思いもしなかった。
「えっと……、君はその、なんだ」
「その、なんだ、って?」
まっすぐに顔を見返され、思わず目をそらすと、「おいおい、息子が家に来てそんなにどぎまぎする?」と青年は笑った。
俺よりわずかに高い身長にほっそりとした体。何枚も写真を見ているせいで、顔はよく知っている。まぶしそうな目に、横に広い口。少しとがった顎にきれいな形の鼻。当たり前だけど、写真と同じ顔だ。だけど、何の予兆もなく、名前と顔しか知らない息子が目の前に現れたのだ。戸惑わずにいられるわけがない。
「いや、あまりにも唐突で」
「そう? あ、おっさん、甘いの大丈夫?」
「あ、ああ」
「よかった。じゃあ、小さい皿出して。で、お茶。渋めの淹れてね」
青年は紙袋から大福を取り出しながら、そう言った。
「さ、皿……お茶……」
突然の事態にあたふたしている上に、会社勤めの経験がない俺は、てきぱきと指示を出されることにおろおろとしてしまう。台所でうろたえていると、「早く食おうぜ。出来たて買ってきたんだから」と青年にせかされた。「あ、ああ」俺は呆然としたまま、なんとかお茶を淹れ、皿を用意した。
「うわ、どうして、白いプレート? これ、パン載せる皿じゃん。ここに白い大福置いても、ちっともおいしそうじゃないだろう。おっさん、こだわり強そうな小説書いてるくせにこういうのは平気なんだ」
青年は俺が用意した皿に顔をしかめると、勝手に食器棚を開けて物色しだした。
「どれもこれもいまいちだな。おっさん、普段何食べてんの? 一人暮らしとはいえ、食器の数少なすぎだろう」
「ああ、まあ、どうでもいいからいったん座ろう」
いくつか言葉を発するうちに寝ぼけていた頭もはっきりとしてきて、今、目の前に起きている出来事にようやく追いついてきた。
「黒いからこれでいっか」
青年はそう言うと、小皿を二枚出して、「まだふっくらしてるよ。ここの大福、豆が本当うまいんだ」と大福を載せた。
「で、どういうことなんだろうか」
俺は一口お茶を飲んでそう聞いた。渋めに淹れたお茶で完全に目が覚めた。
「うん? 何が? あ、やっぱりうまい」
青年は首をかしげながらも、のんきに大福をかじっている。
「何がって、全部だよ。俺は今何が起こっているのか理解できていないんだが」
「そっか。突然来ちゃったからな。連絡したほうがよかった? でも、おっさんの住所は知ってるんだけど、電話番号わからなくてさ」
「そういうことではなく……」
「そういうことではなく?」
「なんというのか、これはいったい何なのだろうかと……」
「何なのだろうって、息子が家に来てそうなる? あれ? おっさん、俺のことは知ってるよね? まさか写真見てないとか?」
青年は手についた大福の粉を払って神妙な顔をして見せた。
「いや、写真は見ているし、知っているといえば知っている」
「じゃあ、俺の何を知ってて、何がわからないの?」
何度も写真で見た飄々とした顔。幼いころからこの表情は変わっていない。
永原智。血のつながった俺のれっきとした息子だ。毎月養育費を振り込んだ後に一枚送られてくる写真を二十年間見てきたから、顔はよく知っている。でも、それだけだ。生まれたことを告げられただけで、今まで一度も会ったことはなかった。
「名前と顔は知っている。あと、六月生まれで今年二十五歳になったはずだ」
「なるほど。今の世の中親子関係も希薄だから、そんなもんかなあ。加えるなら身長は百七十六センチで体重は五十九キロ。で、どう?」
青年は俺の顔を見た。
「で、どう、ってなんだ?」
「実際に会ってだよ。おっさん、写真しか見てなかったんだろう? 実物の俺を見てどう思った?」
「そ、そうだな……。写真は五年前までしか見ていないから、少し大人にもなっているし、写真より実物のほうがきりっとした顔をしているというか」
俺がそう答えると、青年はげらげらと笑いだした。
「俺、息子だぜ? 芸能人と対面したわけじゃないんだから。変な感想」
「そうか」
「そうだよ。普通は感動したりするもんだろう? 二十五年間会わずにいた息子が来たんだぜ? すべて俺が悪かったって泣いて詫びたり、今からなんだってしてやるって熱い抱擁を交わしたり、そういうのないの?」
青年は「この大福、あっさりしてるから何個でも食べられるんだよな」と二個目の大福に手を付けながら言った。
そうか。これは生き別れの親子の再会か。それなら映画やドラマで何度か見たことはある。憎しみや愛情や後悔、いろんな思いがあふれ、盛り上がる場面だ。けれども、実際に一度も会ったことがないからか、共に過ごした時間が皆無だからなのか、今、目の前に息子が現れたというのに、俺の中には驚きと戸惑いしかなかった。
「いや、突然だったから」
「突然でいいじゃん。ぼちぼち息子が会いに来るって前ふりがあったら、感動薄まらない?」
「どうだろうか。……というか、君はどうして今日、ここに?」
十月十日水曜日。誰かの誕生日でも、祝日でもない。今まで写真が送られてくる以外に俺たちの間にやりとりは一度もなかった。それなのに、なぜ今日、彼はここに来たのだろうか。
「今の仕事先がこの家から近くてさ。今まで電車乗って通ってたんだけど、考えたらここから通えばいいかなって。しばらく住ませてよ」
「住ませてとは?」
「ここ、でかいじゃん。部屋余ってるだろう? おっさん一人暮らしだしさ」
「部屋はあるにはあるが……。いや、だからといって住むと言われても」
「そんな長居はしないしさ」
「長居はしないって、君、仕事は何してるんだ?」
「フリーランスで、いろんな店で働いてる」
「フリーランス……」
何だかよくわからないが、最近よくある仕事の形態だろうか。俺が首をかしげると、
「フリーターってことね。八月からここの近くのローソンでバイトしてる。もうすぐ俺の最寄り駅に新店ができるし、そうしたらそっちに移るからそれまでの間ここから通うってこと」
青年はそう言うと、「おっさん、乾燥するし早く大福食べなよ」と笑った。
口角が左右同じだけ上がって、目からも笑みがあふれる。何の思惑もないようなきれいな笑顔。あいつにそっくりだ。
*
永原美月と出会ったのは二十六年前。大学を出て二年目の秋だ。
学生最後の年に書いた小説で新人賞をもらった俺は、そのままいくつか出版社から執筆の依頼を受けているうちに、文章を書くことが仕事となっていた。
小さいころから図書館の本を片端から読むほどの読書家で、中学・高校のころは一日数冊を読み切るようになっていた。本を読めば読むほど自分の中を掘り下げていけるようで、一つ文字を体に入れるごとに自分に深みが増していくように思えた。遊びや部活に夢中になっているクラスメイトから少し浮いてはいるのも薄々感じていたが、そんなことにかまっていられないほど読書に没頭していた。休み時間や家での時間。暇さえあれば飢えたように本を読んだ。
大学生になると時間はたくさんあり、好きなだけ本を読めた。すると、次第に読むだけでは飽き足らなくなった。もっと違った雰囲気の本が読みたい、もっと自分に近い登場人物がいたらいいのに。大学生で、平凡で、何もない生活を送っている主人公だったらどんなストーリーができあがるだろう。そんなことを考えだすと、自然と文章を書き始めていた。頭や体にぎっしりと詰め込まれていたのだろうか、何の苦もなく言葉は出てきた。自分の根底にあるうすぼんやりした感情や、漠然と周りに立ちはだかる世界や未来に言葉を当てはめていくうちに、生きる答えのようなものに触れられる気がした。
大学四年生になった時、自分ながらおもしろい作品ができた。何度読み返しても飽きなかったし、人に見せても恥ずかしくないと思えるものだった。誰かの感想を聞いてみたい。そんな思いつきで、その時一番締め切り日が近かった文学賞に応募した。すると、それが大賞を受賞し、その後、出版社の人間が、新しい作品を書くようにと続けて俺のもとを訪れた。その依頼に応えているうちに、気づけば作家になっていた。
小説家を目指していたわけではないし、まさかなれるとも思っていなかった。しかし、作家は悪くない仕事だった。文章を記すことは、たいして趣味もない俺にとって唯一自分を満たしてくれるものだったし、楽しい作業だった。その書くことが仕事になったのだから、順風満帆と言っていいだろう。
そんな時、学生時代からの友人である曽村が会社の同僚と飲み会をするからと強引に誘ってきた。もともと人づきあいの多いほうではなかった俺は、小説を書くことを仕事にしてからはほとんど出歩くことはなかった。しかも、会ったことのない人間と飲み会だなんて気が重い。
「小説書くのはすばらしい仕事だとは思うよ。でも、どうすんのよ」
電話口で断ろうとする俺に、曽村は言った。
「どうするって?」
「そうやって家の中にばかりいたら誰とも出会わないだろう? 恋人も友達もできないぜ」
「そうだな」
「そうだなって、たまには家を出なくちゃ。アパートに一人でこもってたら、そのうち頭がおかしくなる」
「そうか」
「そうだそうだ。たまには人と話したり外に出たりしないとさ。今の生活が当たり前になったらやばいよ」
幼いころから活発ではなかったが、学校という枠組みに入っていた時には、人と話したり行動を共にしたりすることを強いられていた。だから、それなりに友達や恋人もできていた。それが、作家という仕事についてからは、人と共にいることをまったく強制されない。机の前に座ってキーボードさえ叩けば仕事はできる。出版社とのやり取りも電話やFAXで十分だった。ただ、誰とも会わないという生活が一ヶ月以上続くこともあって、ごくたまに社会生活と切り離されたような感覚に陥ることはあった。こんなふうに、俺を引っ張ってくれるやつは曽村以外いない。「まあそうだな」とあいまいに返事をしている間に、飲み会に参加することとなっていた。
曽村が連れてきたのが永原美月だった。はっと目をひくきれいな女。大きなくっきりとした二重の目に、鼻筋の整った小さな鼻。きゅっととがった顎もチャーミングで、透けるようなきめの細やかな白い肌に長いまつ毛が際立っていた。その場にいたみんなが遠慮がちに、それでもしっかりと彼女の顔を見ているのは明らかだった。
つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希
第2回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』…飲み会が始まって十分も経たないうちに、長所は見た目だけの空っぽの女だということがわかった。
瀬尾まいこ(せお・まいこ)
1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。
書籍情報
『そして、バトンは渡された』
瀬尾まいこ(著)
文春e-Books
たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!