
音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。
株式会社スクウェアの前身である電友社のアルバイトからキャリアをスタートさせた田中弘道。
田中を電友社に誘ったのは「エンタメ異人伝」の4回目に登場した坂口博信。「ヤツも(大学で)浮いていた」と坂口に言わしめた田中の人生は、この選択により大きく変わった。幼少期に「鉄腕アトム」の世界観に憧れ、未来世界の壁掛けテレビを作る人になりたいと思った少年は、コンピューターの新しい可能性に惹かれゲームクリエイティブの世界に、その人生を賭した。
一見すると大柄で威圧感を感じる風貌は、話始めるとその印象は大きく変わる。良くも悪くも電気マニアの素朴さは隠せない。その温かみと真摯な物腰は業界内外からも多くの支持者がいる。
スクウェア、合併後のスクウェア・エニックスでのソフトプロデュースを知り尽くした田中弘道が何を感じ、何を想い、それぞれの作品に向かい合い、人生を生きてきたのか、今回の「エンタメ異人伝」は、田中弘道を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。
※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの最終回です。第1回(上)、第2回(中)はこちら
インタビュー取材・文 / 黒川文雄
スクウェアとエニックスの合併に思ったこと・・・
そして、かつてライバルであった『ドラゴンクエスト』の会社と合併するわけですけど、当時どんなことを思われましたか。

田中 僕らはもう淡々とゲームを作ることしか考えてなかったです。ただ、『FFVII』以降、会社全体の動きとしてCGをメインにしていくというのがあって。それが高じてCG映画を作ろうとなって、ハワイにスタジオを作りましたよね。それで、ハリウッドのCGデザイナーを大量にヘッドハントして連れてきたもんだから、まあいろいろと大変だったみたいですね。坂口氏が退社したのもこの後あたりでした。
それで、大きく会社が傾いちゃいまして、それでも『FFXI』が意外と儲かったんで、それでなんとか食いつないでいたんですが、そこに福嶋(康博)さん(注35)が助け船を出されたんです。
そういういきさつがあってスクウェア・エニックスとなったのが、『XI』が出てから1年後で、合併後の最初のタイトルがたまたま『XI』の最初の拡張版、『ジラートの幻影』だったんです。だから、福嶋さんの会長室に行くと、スクウェア・エニックス合併後の最初のタイトルとして棚に1個だけ飾ってありましたよ。もっとも、その後しばらくして福嶋さんも、和田さんと本多さん に任せてスクウェア・エニックス自体から一歩距離を置く形になりましたが。

注35:エニックスの創業者。2003年のスクウェアとの合併の際、スクウェア・エニックスの代表取締役会長に就任。現在はスクウェア・エニックス・ホールディングス名誉会長を務める。
もうタッチされていない感じでしたか。
田中 筆頭株主ではありますので、経営サイドには影響を与えていらっしゃったと思いますが、普段社内でお見掛けすることはありませんでした。で、合併後の存続会社がエニックス側でしたので、エニックスの本多(圭司)さん(注36)が社長になるのかなと思ったら、スクウェアの和田(洋一)さん(注37)が社長に。現場的にもスクウェアの人員の方が圧倒的に多かったじゃないですか。それで社長も和田さんだから、開発部内的には元のスクウェア状態でほとんど変化はありませんでしたね。
注36:エニックスの元社長。スクウェアとの合併の際、社長を和田氏に任せ、自身は代表取締役副社長に就任した。
注37:野村證券を経てスクウェアに入社。エニックスとの合併にともないスクウェア・エニックス代表取締役社長に就任した。スクウェア・エニックス・ホールディングス代表取締役社長となるが2013年に退任。現在は株式会社メタップス取締役などを務める。
