黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 22

Interview

『FF』もう一人のキーマン 田中弘道氏(上)ハンダゴテを持った少年が坂口氏と出会うまで

『FF』もう一人のキーマン 田中弘道氏(上)ハンダゴテを持った少年が坂口氏と出会うまで

坂口氏と『ウィザードリィ』とか『ウルティマ』をプレイしていた大学時代

学業としての電気工学って、そんなにゆっくりなんですか。

田中 ええ。あれじゃあ世界の最先端テクノロジーには追いつけないですよね。なので、周りと全然食い違うわけですよ。こっちは小学校の頃から電気工学をやってきているのにって。そういうこともあって坂口氏の記事にも書いてありますけど、お互いポツンとしていたんです。

坂口さんも浮いていたと。

田中 そうそう、彼は彼で音楽を目指していてアフロヘアーで。

坂口さんってアフロだったんですか!?

田中 そうです。しかも、ジージャンにベルボトムのジーンズにウエスタンブーツっていう出で立ちだったんですよ。毎日そんな格好で学校に来るから、まあ目立つ、目立つ。それで、たまたま授業が休講だったときに大学の中庭で「あ、アイツいる」と思って。ふたりでぼーっとタバコを吸ったりしていたんですけど、「一緒に学食行こうぜ」ってなって、そこからですね。

で、僕が高校生のときに、さっき言った無線仲間の間でアップルIIのコンパチ基板っていう、いわゆる海賊版が流行り始めて(注5)、僕もハンダゴテが得意だったんで、秋葉原でパーツを買い集めて作ったんですよ。それを坂口氏がたまたまウチに遊びにきたときに見て、「なんだこれは」ってなりまして。それで、ふたりして『ウィザードリィ』とか『ウルティマ』とかをやるようになったのがゲーム人生の始まりですね。

アップルIIのコンパチ機の写真

注5:当時、アップルIIの違法コピー基板が秋葉原などに出回っており、ある程度の知識を持っていれば自作することが可能だった。純正版が非常に高価だったこともあり、こうした海賊版ハードを使用していた人はけっこういたようである。

ゲーム原体験は『PONG(ポン)』

ゲームが結びつけた、おふたりなんですね。ちなみに、ゲームとの出会いはいつ頃になりますか。

田中 小学校の頃に近所のボーリングセンターに『PONG(ポン)』(注6)があったんです。それが一番最初で、高校ぐらいのときに『平安京エイリアン』(注7)と『インベーダー』のブームがきて。よく授業を抜け出して喫茶店でやっていましたね、高校生なのに(笑)。

注6:棒状のラケットを上下に動かしてボールを打ち合う、いわゆるピンポンゲーム。1972年にアタリから発売され世界中で大ヒットを記録。テレビゲーム勃興のきっかけとなった。

注7:平安京を思わせる碁盤状のマップに穴を掘り、徘徊するエイリアンを落として倒していくというもの。東京大学の学生グループが開発したことで話題となった。

高校はどちらだったんですか。

田中 都立の小松川高校です。

地元だったんですね。じゃあ中学も金町あたりの?

田中 ええ。金町中学校です。

中高では部活とかは特にやっていなかったんですか?

田中 高校では部活は主に軟式野球部を。無線部にも入っていましたね。

その頃に授業をサボって『平安京エイリアン』や『スペースインベーダー』をやられていたと。

田中 そうですね。昼飯を食いに学校の外へ抜け出すのが流行っていたんで。

ええ? お昼を食べに外へ、ですか?

田中 そうそう、校門には先生がいるので学校の塀を乗り越えてね。ひどいもんでしたよ(笑)。

すごい環境ですね・・・。ところで、大学は浪人されたというお話だったんですけど、最初から電気系志望だったんですか?

田中 もちろんそうです。最初は東工大を目指していたんですけど、やっぱり難しかったですね。

半年くらい猛勉強したらなんでも解けるようになった、でも東工大は受けなかった

東工大が第一志望だったんですか。

田中 東工大と早稲田の理工です。ただ、早稲田はちょっとウチの父親の資金力だと難しいかなと思って。「国立しか行かせてやれねえ」って、ずっと言っていましたから。それでも浪人している間の予備校代はバイトをしながらなんとか。大学の学費も育英会の奨学金でどうにかなっていましたけどね。

すごい努力家なんですね。

田中 でも、大学はほぼ行っていないですからね。努力したんだか、なんだか(笑)。

ちなみに一浪ですか、それとも二浪ですか?

田中 二浪です。ずっと駿台予備校に行っていました。

大変失礼ですけど、よくお父様も許してくれましたね

田中 そうですね。まあ、半分以上バイトしていましたけど。

そうか、授業料はご自身でアルバイトして稼いでいたわけですからね。

田中 でも、生活費は入れていないんで、父親からすればねえ。浪人生なのに女の子と遊び歩いていて、受験勉強なんて全然まともにやっていなかったですから。ただ、二浪したときには、さすがにこれはヤバいなと思いましたね。それで、半年ぐらい猛勉強したんですけど、そうしたら「なんでも解けるわ」って思うようになって。あのとき東工大を受けておけばよかったですね(笑)。

東工大は受けなかったんですか?

田中 ええ。もう冒険はできないなと思って。そういえば河津とか松井とか(注8)『ファイナルファンタジー』を作っていた連中は東工大出身が多いですね。

注8:『サガ』シリーズを手がけたことで知られる河津秋敏氏と現在『ファイナルファンタジーXI』のプロデューサーの松井聡彦氏のこと。

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