趣味で作っていたゲームのほうが、自分の才能を活かせているんじゃないかと・・・
確かにおかしいですね。
楢村 おかしいことだらけなんですけど、言っても変わるわけではないし、「おかしい」を自分で変えることはできないんですよね。だったら、そのとき趣味で作っていたゲーム作りのほうが、自分の才能を活かせているんじゃないかと、そのころから思い始めたんですね。いきなり仕事を辞めることはしなかったですけど、でもそこはちょっとひどかったんで、辞めて田舎に戻ることにしたんです。

2006年。カンボジア旅行中のひとコマ。
岡山にですか。
楢村 はい。田舎に戻ってホームページの制作とかやろうかなと。当時はホームページを持っていない店とかいっぱいありましたから。それで、地元で仕事をし始めたんですけど田舎の方なんで、単価がえらい安いんです。当時はまだホームページの必要性みたいなものも全然理解されていませんでしたからね。お店をやっているのも爺さん、婆さんだったりするから、納品してホームページをアップしてあげても、繋ぎ方が分からないとか、全部消しちゃったとかいう相談が毎日のようにくる。で、行くたびに「ちょっとゴハン食べていきねえ」とか言われて。束縛時間も長いわりに、すっごい報酬が安いというような状態が続いていたんです。そういったギャップみたいなものに耐えかねまして、ゲーム作りを仕事にできるんじゃないかと考え始めたんです。テレビ局が放送をネットに流そうとしているぐらいだから、ゲームをネットで販売する時代が多分近いうちに来るぞって。まだブロードバンドが出たてぐらいだから早すぎたんですけどね。
でも先見の明があると思います。
楢村 でも、「仕事を辞めてコレやろうぜ」ってプログラマーを誘うのは、けっこうな決断がいることだったんで、2年ぐらいは口にはできなかったですね。ただ、地元でやっている仕事もそんな先があるように思えないですし。
「こういうのを仕事にしてみないか」と他のメンバーを誘ったんですね
営業も自分でするんですよね。営業して自分で作って納品してアフターケアもしてと、その繰り返しですもんね。

楢村 そうです。で、だんだんウェブの方もただページをポンと置いて終わりではなく、専用の掲示板を持ちたいとか、商品を生むようなことをしたいとか、ちょっとデザイナーひとりではどうしようもないっていう領域に入ってきたんです。ショッピングのシステムをPHP(注33)で組むとか、そういうのが必要になってきたんで、これはちょっと地元の仕事も厳しくなってきたなと思い始めて。ここで決断しようと思って「こういうのを仕事にしてみないか」と他のメンバーを誘ったんですね。それで、MSX風のゲームを作っていたサイトを閉じ、「NIGORO」に形を変えてスタートしたんです。
注33:ウェブ開発などで使われているスクリプト言語。サーバー上で処理が行われることから掲示板・問い合わせフォーム・ショッピングカートの作成などによく利用されている。
そこまでが「GR3」。
楢村 そうです。
ちなみに「GR3」っていう名前には何か由来はあるんですか。
楢村 正直言ってしまえば「グラディウス3」みたいな。MSXで出た『グラディウス2』はローマ数字の「II」じゃなくて、英数字の「2」だったんですね。アーケードの『グラディウスII』とは違うということで、僕らは『グラディウス2(に)』って呼んでいますけど、あれの続編のつもりで作ったんです。でも『グラディウス3(さん)』とか言って堂々とやっていたら、当時コナミにサイトをブツンとやられてもおかしくなかったと思います。なので、ボカシて「GR3」っていう風にして。
なるほど。それまではみなさん、会ったことはなかったんですか?
楢村 ないです、ないです。仕事にしようぜってなったときに初めて全員顔合わせたんです。
会ってみて、どう思われました?
楢村 その前に音声チャットでは何度か話したことはあったので、「ああ、アナタでしたか」くらいな感じでしたね。今でも年に会うのは数回ぐらいですし。
え、今でもそうなんですか?
楢村 さすがに頻度は上がりましたけどね。でも、九州に住んでいるduplexさんなんかは遠いので、2年に1回ぐらい会えればいいぐらいな。
duplexさんは九州なんですか。それは大変だ。
楢村 だから、こういうイベント(取材が行われたのは東京ゲームショウのビジネスデー)があるからといって集合するのも大変なんですよ。各々違う仕事をやりながら続けていますから。
じゃあ、NIGOROを立ち上げてから今にいたるまで、みなさんずっとリモートなんですか。
楢村 そうです。今はスカイプとか、そういう受け渡すシステムができていますけど。
お話を聞いていると、よくパートナーとしてのリレーションがもったなあと思ってしまいます。そして、リレーションを保った上で、よくクリエイティブを成り立たせたなあという、ふたつの驚きを覚えます。
楢村 苦労はしましたけどね。僕がディレクター兼グラフィッカーだったんですが、昔のMSX風でやっていたときはチープなグラフィック、チープな画面ですんだので、そこまでイメージを共有しなくてもすんだんです。大きな会社だったらイメージグラフィックアートとか作って共有しますけど、ああいう過程がいらなかったんですね。でも、NIGOROになって、そのMSX風っていうのを捨てたときに、伝える術が足りなくなったのは間違いないです。
僕は文系と理系の谷って呼んでいるんですが、問題は起きます
なるほど、はい。
楢村 こういう風にお願いしたのに、なってないじゃないかとか。いや、言われたのはこうだとかって、割とぶつかることが増えたんですね。それで、言葉とか文字だけで伝えるのは限界があるなと思うようになって、僕がフラッシュのムービーみたいなのを作って伝えるようにしたんです。だから、プランナーに近いところまで、そのころからやっていましたね。
それでも、やっぱりいろいろ問題は起きます。僕は文系と理系の谷って呼んでいるんですけど、たとえば「鳥が飛ぶ」というのを伝えるとします。僕なんかはグラフィック、アート系から入っているんで、鳥が飛ぶときは1回グイっと足に力をためてポンと飛んだあとに羽ばたく。で、少し下って上昇力を得るとか、そういう動きをやるんです。でも、そういうのはやっぱプログラマーには伝わらない。僕は当たり前だと思っていても、「じゃあ、鳥を作って」って言ったら、こういう数式化していないイメージだけを伝えてもサイン波のような正確な動きで実装されちゃうんです。これは絵が上手いプログラマーとかいう特殊な人でないと伝わらないんですよね。

2011年。イベント「洞窟のウラガワ」にて洞窟物語の作者天谷氏と一緒に。
MacユーザーとWindowユーザーの違いみたいな感じです。プログラマーは数式とか数値とかが重要になってくるけど、グラフィッカーはマウスでオペレーションするから、なんとなくファジーで、数値を打つなんていう意識は持っていない。でも、ゲームを作るのに「数値が欲しい」って言われる。ここがなかなか埋まらないですね、いまだに。
なるほど、難しいですね。
楢村 なので、今は主人公の動きに関する計数とか、僕がいじりたいパラメーターは外に出してもらって、自分で調整する形にしています。僕が直接いじって、この挙動になるようにしてもらうとか。このあたりは、ちょっと他のゲーム作りとは違う分業の仕方だと思いますね。
長期にわたる開発の影響っていうのもありますよね。
楢村 NIGOROを始めてすぐのころはいきなり商品を作るんじゃなくて、フラッシュゲームで名を広めるっていうこともやっていたんです。フラッシュゲームなんて1本1カ月ぐらいで作れるんですよ。でも、それが4、5カ月かかったりしたなんてこともありましたね。
自分らでも長くなるのをなんとかしなきゃ、やり取りをもっと効率的にしなきゃと、ずっと思ってはいるんですけど、なかなか改善できないですね。ただUnity(注34)を使うようになって少し変わってきました。Unityで僕がアニメーションを作ったら、ゲーム中で勝手にそれが動く仕組みをプログラマーが作ってくれたんです。それはそれで時間はかかるんですけど、やり取りの回数、試行錯誤は減りましたね。
注34:ユニティ・テクノロジーズが提供しているゲームエンジン。PC、家庭用、モバイルなど多彩なプラットフォームに対応していて操作も比較的容易であることから、多くのクリエイターに利用されている。