
劇場版『フリクリ オルタナ』と『フリクリ プログレ』。18年ぶりにもたらされたアニメ『フリクリ』の新作で主題歌を担当するのは、前作で作品を支える柱のひとつとなったthe pillows。1989年に結成され、来年30周年を迎える3人は、世代を超えて多くのファンを生み出し続けつつ、音楽業界内外の著名人たちにも愛されるバンドでもあるが、『フリクリ』との出会いはピロウズの歴史においてターニングポイントという言葉では表しきれない事変であった。ほぼすべての作詞作曲を手がけ、ボーカルを務める山中さわおがピロウズにとっての『フリクリ』を証言する。
取材・文 / 清水耕司(セブンデイズウォー)

「Ride on shooting star」を差し出したのは正解だった
18年前の『フリクリ』で、ピロウズの曲を使いたいとオファーが来たときのことを覚えていますか?
山中さわお めちゃめちゃ覚えてます。レコーディングスタジオに行ったら、絵コンテかキャラクターデザインのラフみたいなものがあって、嫌な予感がしたんですよ。「タイアップがどうとかまた言ってくるのか」みたいな。当時は悪魔みたいな気持ちの自分がいて、そういうので売れようとするのは結局、プロモーターが「私は無能です」って言ってるのと一緒じゃん、という気持ちだったんですよ。若者だったから、「普通に音楽として売れないのかね」っていう生意気な気持ちがあったんですよね。今は思ってませんよ。あとで貯金通帳を見てから変わりました。
一同 (笑)
山中 『フリクリ』は政治力でねじ込まれたのとは違って、(制作陣が)ピロウズを好きで選んでくれたということだったので「断るわけないじゃん。もちろんやります」という流れになったんです。
主題歌の「Ride on shooting star」はどのようなオーダーから生まれたのでしょうか?
山中 最初のリクエストは「ONE LIFE」みたいな曲を作ってほしいということでした。僕は当時Oasisに憧れていて、Oasisみたいなロックバラードがやりたいと思って作ったラブソングが「ONE LIFE」だったんですね。でも、ガイナックスも『エヴァンゲリオン』も鶴巻さんの大御所感も全くわかってなかったので、「この話だめになってもいいや」と思いながら、そのとき一番面白いと思った曲を出したんです。
書き下ろしというわけではなかったんですね。
山中 そう。でも、「こんな曲、日本で誰もやってない」と思ったし、メンバーもタイアップにうんざりしていたから「あれ、かっこいいから出そうぜ」みたいに強気で。あとから鶴巻さんと対談したとき、最初は「うわー」ってなったけど面白いと思ったから想定していたエンディングの絵を変えたんだ、というお話を聞きましたよ。「ありがとうございます!」ですよね。でも、絶対「Ride on shooting star」で正解だったと思います。
ほかに使いたい曲については、リストみたいなものは出されたのでしょうか?
山中 出てないです。「使いたいならどうぞ」って感じでしたからね。だから、完成してから見て、「おおっ」と思いましたよ。
曲のセレクトについて何か感じるところはありましたか?
山中 あのときって、ピロウズ29年の歴史の中でメンバー自身でも「黄金期」と呼んでいる時期なんですよ。一番濃厚で、何か力を持っていてね。正直、どの曲も自信があったし、面白いアイデアのサウンドをいっぱい作っていました。だから、ナオ太の頭からロボットが出てきたり、ロボット同士の戦闘シーンだったりにも合うし、実際見ていても「お、いいね!」って感じでした。でも、「Crazy Sunshine」「Blues Drive Monster」「I think I can」の使われ方は感動しましたね。クライマックスのいいシーンで音圧もでかくて。主題歌はやったことがあっても、ああいう経験はあのとき限りなので、「自分の音楽人生にこんなことが起こるんだ」と思えて面白かったです。
一方で、黄金期にあった自分たちの実力が『フリクリ』を引き寄せたという感覚はありましたか?
山中 そうですね。いいめぐり合わせだったと思います。ガイナックスも鶴巻さんも何も知らなかったから「ONE LIFE」みたいなロックバラードを作らなかったわけですし。「Ride on shooting star」はMVもふざけているんですけど。
虫眼鏡で作った眼鏡をかけて、目を大きく見せて。
山中 途中で髪がパンクになってね。それがアメリカではよかったと思うんですよ。イロモノ感というか、歌詞がわからない欧米でもハマったんだと思います。