Interview

『ペンギン・ハイウェイ』 未知との出会いの物語を読み解くために─10歳の少年とシンクロする“描き手”の胸中。石田祐康監督インタビュー

『ペンギン・ハイウェイ』 未知との出会いの物語を読み解くために─10歳の少年とシンクロする“描き手”の胸中。石田祐康監督インタビュー

平穏な住宅街に、突如ペンギンたちが出現。その謎に興味を抱いた勉強家の小学4年生・「アオヤマ君」は、級友のウチダ君やハマモトさん、そして憧れ続けている歯科技師の「お姉さん」と調査に乗り出す──。10歳の少年の目から、ひと夏の不思議な出来事を綴っていく森見登美彦の「日本SF大賞」受賞作『ペンギン・ハイウェイ』が、このほどアニメーション映画として世に送り出される。メガホンをとったのは、大学生のころから才気を発揮、24歳の時に手がけた『陽なたのアオシグレ』(’13)が各方面で高く評価された石田祐康監督。自身も京都で学生時代を過ごしただけに、『夜は短し歩けよ乙女』をはじめとして愛着があった「森見文学」を、どのようにアニメーションとして“動かして”いったのか? そのプロセスから、作品に込めた思いを浮き彫りにする。

取材・文 / 平田真人


10歳の「アオヤマ君」の心情と、それを駆動させるためのメタファー

小説という活字による物語をアニメーション化するにあたって、留意された点はどういったところでしょう?

まずは疑いなく、アオヤマ君の視点でつくったというところですね。確かに映画では、原作になかったお姉さんの視点からのシーンを入れたり、ほかのキャラクターをより強化したり、ハマモトさんのお姉さんに対するジェラシーを強くしたり……と、よりわかりやすくしている点はあれど、軸にはすべてアオヤマ君の視点があるんです。僕自身、「自分がアオヤマ君だったら、こうするだろう」という勢いで、すべてのことを決めていったところがあって。原作ではなかったようなシーンの入れ替えや差し引きをした影響でそうなったと思うんですけど、後半の方でY字路に突きあたったアオヤマ君が、お姉さんの家がある方へ行くのも……明らかに、その時の彼の意志を提示しているんですね。

さまざまな要素がある物語なので、映画で何もかも描くと本筋がわかりづらくなってしまいがちなんですが、僕は明確にアオヤマ君の物語にしたかった。“海”(=物語のカギを握る謎の球体)が気になってはいるものの、そこから波及して、お姉さんが捕まっちゃうかどうか、自分がお姉さんと一緒にいられなくなってしまうかどうかといったところが、彼にとっては一番の気がかりだったわけで、そこをちゃんと提示できるようにセリフを足したり、要所で表情を見せることで、アオヤマ君の意志をちゃんと伝える工夫をしました。

少年と大人の女性という、年の離れた男女のコンビでパッと思い浮かぶのは『銀河鉄道999』ですが、やっぱりお姉さんはアオヤマ君にとっての“メーテル的存在”だったのでしょうか?

そうですね……作品そのもののテイストであったり、時代性も全然違うので、単純には当てはめられないんですけど、わりと、そういったつもりで描きました(笑)。男子が何かしら歳上の女性に心惹かれる根本的な部分というのは、大きく変わらないだろうと自分なりに解釈しまして。僕は年齢的に『銀河鉄道999』をガッツリ通った世代ではないんですけど、もちろん名作ですし、そういった関係性が描かれていることも知ってはいたので、自分なりの“少年と大人の女性”のコンビネーションを構築する、といった意識が働いていた気はしています。

10歳ごろというと、本格的に恋や性に目覚める時期でもあるので、お姉さんも単なる憧れの存在にとどまらない描かれ方をされていますね。

とにかく一番大事なのはアオヤマ君の心情である、と。それは確かだったので、彼を駆動させるための1つのメタファーとしての役割を、お姉さんには担ってもらったところがあります。僕自身、具体的に絵として描いている分、かなりお姉さんに対しても気持ちが乗っていたんですけど、論理や仮説じゃなくて信念、最後は信じるしかないという──そこまでの駆動力になる存在というのは、どんなものなのかと考えて、お姉さんを立体化していったという感じですね。

監督自身にとっての理想像として魅力的に描かれる「お姉さん」

ロジックを超える存在という点で考えると、さまざまな深読みができるわけで、物語そのものの解釈も広がりますよね。

それが、この作品のいいところだと思います。「これ!」という正解を用意することなく、ある程度の余白を残してあるという構造が、僕も好きでしたから。お姉さんもまさしく、その余白が残された上で10歳のアオヤマ君なりに受け取めて、咀嚼して自分のエンジンへと変換していく存在なんですよね。そこを踏まえて逆算的に、観終わった時にアオヤマ君のことを「見上げた少年だ、あっぱれ!」と言いたくなるような、応援したくなるような主人公として描きたかったんです。

そこまでの少年像とするには、それだけの駆動力が必要なわけで、お姉さんを相応の存在として描く必要が生じてくる。だからこそ、すごく魅力的な女性として描きたかった、と。そういった部分とは別に、単純にアオヤマ君に負けないくらいに僕自身が本当にお姉さんのことを好きだったというのもあるんですよね(笑)。自分が求めていた理想像というか、こういう女性を描きたかったというのがあって。

10歳の少年に対して、これほど真摯に向き合ってくれる大人の女性というのも、そうそういないですよね。

確かに、ここまでとことん付き合ってくれる大人の女性というのは、自分の半生においてはいなかった気がしますね。ただ、うちの姉が家に連れてきた友達──自分から見るとすごく歳上の女性たちに一生懸命ついていく……みたいな感じ、小学生のころにあったりしませんでした? 僕の場合、彼女たちから何かお願いされると、それに一生懸命応えようとしたところがあって、それを何となく思い返しました。劇中のお姉さんのように、四六時中付き合ってくれたわけじゃありませんでしたけど、たまに姉の友達が家で遊んでいる時に、僕に何かリクエストしてくれることがあったら無条件に応える──ということがあったんですよね。特別に好きだという感情があったわけでもないんですけど、ただ何か……犬のようについていくと、かわいがってくれて、それだけでも充分だったなぁ……と、今、お話しながら思い出しました(笑)。

そんなこともありつつ、自分がアニメや漫画に触れてきた体験の中で好きになった人物というのは、こういう歳上の女性(ひと)だったりもするんですよね。何がそうさせるのかはわからないんですけど、単純にそうだったんです。なので、歳上の女性を駆動力として少年が頑張るという図式は、非常に納得がいったんですよね。確か、森見さんもそうおっしゃっていた気がします。アオヤマ君を頑張らせるためには何かが必要で、それがお姉さんというキャラクターを生み出した、という。

アオヤマ君の同級生には、頭が良くてかわいくて積極的なハマモトさんもいるわけですが、彼の中ではなぜか、クラスメートの域を脱しないんですよね。

原作を読んでいると、ハマモトさんが遠回しにアピールしてくるところもアオヤマ君は素通りしてしまうので、彼女がちょっと不憫になるんですよね。と言いつつ、アニメ版では原作以上に不憫にさせてしまったかもしれません。エピローグのハマモトさんがスズキ君とチェスをしているシーンで、アオヤマ君の方を振り向いて、満面の笑みを見せるカットがありますけど、アオヤマ君のモノローグが──詳しくは触れませんが(笑)、自分で描いていて、いよいよハマモトさんにはかわいそうなことをしてしまったなと思ったりもしました。そこも詰まるところ、お姉さんというキャラクターに僕自身が魅せられてしまったからなんですけれどもね。

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