黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 18

Interview

ファミ通表紙 松下進氏(中)イラストレーターとして独立、そして独学の下積み時代

ファミ通表紙 松下進氏(中)イラストレーターとして独立、そして独学の下積み時代

巡り合わせのなかで自然に独立してしまった

やはりそうですか。でも、そういう巡り合わせがあったからこそ、今の松下さんの作風や絵の重要なポイントの置き所などがあるわけですよね。

松下 そうですね。あの人がいなかったら多分、そうなっていなかったでしょうね。ものすごく、いい教えを受けたと思います。辛い目にも合わされましたけどね。

そうなんですか? それは仕事上のことで?

松下 とにかくものすごい個性が強い人で、社長とやり合っちゃうんですよ。それで、今でも覚えていますけど、戻ってくるなり「おい、俺はもう辞めるから、お前たちどうするんだ」って言うんですよ(苦笑)。

うわあ。

松下 それで、「え?」みたいになっちゃって。僕はその会社はすごく居心地が良くて好きだったから、「やべえ、どうするんだって言われてもなあ」、「でも、黙って残るとも言えないしなあ」とか思っていたんです。そうしたら、デザイナーとコピーライターと僕の3人に「俺は次に移る会社があるんだけど、一緒に来ないか」って言ってきたんですよ。

そういう経緯だったんですか。

松下 それで、神楽坂にあった会社に移ったんです。でも、その会社はメインでやっているライフアップ大丸(注19)のチラシ作りがほとんどで、あまり面白くないわけです。しかも、その会社に以前からいるデザイナーたちからは、なんかイヤ~な感じの空気が漂ってくるんですよ。これはどうかなって思っていたら、入社して半年ぐらいで、僕らを誘ったその上司が今度はそこの社長とモメちゃったんです。

注19:現在の井門エンタープライズ。月賦利用可能な百貨店として丸井や緑屋(現クレディセゾン)などと並び称された。

またケンカされちゃったんですか。

松下 それで、「俺はもう辞める」って僕らに言うわけですよ。で、「次はどうするんですか?」って聞いたら、「いや、俺はしばらく休むよ」みたいな。ああ、僕たちは勝手にしろってことなんだなと思って、それで僕たち3人だけで独立することにしたんです。

それは会社組織だったんですか?

松下 会社にはしていなかったですけど、チームとしてやっていこうというね。今にしてみたら稚拙なんですけど、「トゥゲザー(Together)」という名前を付けて、ロゴと名刺を作ってね。そうやってチームで仕事を取っていこうとなったんですけど、当時のコピーライターって企画の段階からいろんなことを考えたり、企画書を作ったりしなきゃいけない仕事だったんですね。社内の人間じゃないとできないというか、外部のフリーとかに仕事を出す会社って、まだほとんどなかったんですよ。だから、僕らの中ではコピーライターの人が一番プロフェッショナルっぽかったし、才能もすごいあったんですけど、その人が最初に仕事がなくなっちゃったんです。

当時は外に出さない仕事だったんですね。

松下 そうなんです。それで、デザイナーの人も僕と一緒にいろいろやっていたんですけど、やっぱりあまり食い扶持にはならなくて。結局、一番潤っちゃったのが僕だったんですよ。当時、僕はいろんなプロダクションで写真用のスケッチワークとか、カンプとか、ラフスケッチとか、そういう仕事がけっこうあったから、それなりにお金も入ってきていたんですね。それで、結局僕以外のふたりがやっぱり会社に入るっていうことになって。僕だけが残っちゃって、そのまま現在にいたるっていう感じです。

では、別に望んでひとりになったというわけではなかったんですか。

松下 そうですね。自然にそうなっちゃったっていうところですね。

ちなみに、それは何歳ぐらいだったんでしょうか。

松下 30歳の2、3歳前ぐらいだったと思います。それで、毎月そこそこの収入があったから、仕事としては困ってなかったんですけど、ぼちぼちイラストレーションっていう呼び名が聞こえ始めて。雑誌もかなりいろんなものが出て、イラストレーション誰々とかクレジットが出るようになってきたんですね。

日本人はこういう絵はあまり好きではないと言われる

そういう時代になりましたよね。

松下 広告関係の仕事だと名前って絶対出ないじゃないですか。それで、これはエディトリアル系に売り込みにいかなきゃダメだと思いまして。ポートフォリオを作って、あっちこっちの出版社に行ったんですけど、僕の絵はちょっとバタ臭さいと。日本の人はこういう絵は、あんまり好きじゃないんだよね、とか言われちゃいましてね。

やっぱり、ちょっとアメリカンな感じだったんですか?

松下 そうですね。昔はよく日本人が描いたような絵じゃないとか言われましたね。

僕は当時の『POPEYE』(注20)を持っているんですけど、やっぱりこういうテイストのポートフォリオだったんですか?

注20:マガジンハウス(当時は平凡出版)発行の男性向け情報誌。1970~80年代における影響力は特に絶大で、さまざまなファッション、サブカルチャー、ライフスタイルなどを紹介し、当時の若者文化をリードした。

松下 どっちかっていうと、そうですね。エアブラシなんかも使い始めて、いろいろ描きためてはいたんですよ。二次元だけど、できるだけ三次元に見えるっていうか、こういう形のイラストで勝負していきたいなっていうのをね。それで、エアブラシを……そっちの話にいくとまた長いんですけど(笑)。

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