黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 14

Column

ゲームクリエイター小口久雄氏が語るエンタメ論(上)原点は「自由にやって」「喜んでもらう」こと

ゲームクリエイター小口久雄氏が語るエンタメ論(上)原点は「自由にやって」「喜んでもらう」こと

みんながその気になって喜ばせようと思わないと、いいものはできない

それは僕も正直感じています。

小口 そういえばこの前、菅野顕二君(注4)に言われた。

『クレイジータクシー』(注5)の。

小口 うん。「あれは小口さんがいたから、やれたってことが最近分かりました」って、やっと感謝された。

注4:セガで開発プロデュースを務めるクリエイター。AM3研やヒットメーカー時代に『トップスケーター』、『クレイジータクシー』シリーズなどの人気作を手がけた。そのほかの代表作は『恐竜キング』、『ガンダムコンクエスト』など。
注5:菅野顕二氏が手がけた1999年発売のアーケード向けレーシングゲーム。タクシードライバーとなって客を目的地まで連れていくというもので、早く到着するためならどこを突っ走ってもいいというタイトル通りのクレイジーぶりが話題を呼び、スマッシュヒットとなった。

このあとでもう1回触れますけど、小口さんは人を育てたり伸ばしたりする……もちろん、ご自身の才能もありますけど、むしろそうやって人のやりたいことを生かす人なんだろうなと僕はずっと思っていて。まさにそこがルーツなんだろうと思っているんですよね。

小口 結局、ゲームづくりってチームだから。やっぱり、みんながその気になって喜ばせようと思わないと、いいものはできないんで。そのためのひと手間ってあるじゃない。「ええっ、そんなところに隠してんの?」みたいなさ。そういったゲームのストーリーなんかと関係ないところで、なんかフフッて笑うものとかがあると「このゲームいいじゃん」ってなるわけで。そういうのが遊びだからけっこう大事かなって。

なるほど。いいこと言いますね。

小口 なんなら10回くらい講演してもいいよ。

ハハハハ、ぜひお願いしますよ。ちょっと戻りますけど、小口さんのエンタテインメント感を作る上で、他に影響されたものってあるんですか。

小口 なんだろうね、エンタテインメント感……なんだろうなあ……。

たとえばですが、仮面ライダーとかウルトラマンとか。テレビってひとつの娯楽だったじゃないですか。小口さんの中では、あまりメモリーとしてないですか?

小口 記憶はあるんだよ、『巨人の星』は絶対観てたとかさ。ドリフターズとかも観ていたけど、それが今にどうこうっていうのはあまりない。

人に喜んでもらえるという気持ちがクリエイティブのルーツ

やっぱりルーツはエレメカであったり……。

小口 というより、それ(エンタテインメント感)を作ったのは自分の人間性じゃない? 僕は人が困っているところを見るのはイヤだし、みんなにはハッピーになってもらいたい。これについてホントは2時間ぐらいかけてしゃべりたいんだけど簡単に言うね。人間は本質的に楽しくなりたいっていうのがあって。それで、自分の今の仕事はエンタメコンテンツなので、ゲームだったりパチンコ・パチスロだったりを通して楽しくさせてあげたいっていう気持ちだけなのね。

ああ~なるほど、ハイ。

小口 喜んでもらえたら買ってもらえる、インカムが入る。で、自分の仕事がうまくいく。お客さんに喜んでもらって社員も売上が上がって、みんなハッピーっていうのが一番いいでしょ。僕はそういう育てられ方をされたからね。人に迷惑かけちゃいけないとかさ。僕自身も色んなゲームで遊んでハマッたものもたくさんあったけど、自分の創るゲームに直接影響したものってないんだよね。研究したり、参考にはしたけど。“作品”っていうほどのものじゃなくて、遊び道具くらいの感覚なんで。

よくわかりました。つまり、人に対して何ができるか、人がどうしたら喜んでくれるかみたいなところが、小口さんのクリエイティブのルーツなんですね。ちなみに、中学、高校時代はどんな感じだったんですか。

当時はバスケのほうがカッコよくて女の子にモテたんだよ

小口 中学はバスケットボール部、高校はフォークソング部。

まずバスケですが、何かを見て影響を受けたとかあったんですか?

小口 最初は野球部に入ったんだけど、いまいちカッコよくなくて。野球部はケツバットとかあって、なんで意味もなくバットでケツを叩かれなきゃいけないんだと。

それはイヤですね。

小口 それに、その当時はバスケのほうがカッコよくて女の子にモテたんだよ。なんかバスケってスマートじゃない。女の子たちが体育館の窓から見ていたりとかしてたし。

つまり、カッコいいからバスケ部に入った?

小口 そう、カッコいいから。以上!

以上って(苦笑)。

小口 高校のフォークソング部も同じ。その時フォークブームがあって吉田拓郎、井上陽水、ガロとか、その辺が出てきて。で、僕もカッコよくなろうと。全部そんな感じ。カッコいいから、ハハハハハ。

なるほどね。それは分かる気がします。そのあと中央大学に入るじゃないですか。そのあたりの経緯を教えていただいていいですか?

「久雄、お前は役所勤めか弁護士になれ」ってよく言われてた

小口 高校は地元の諏訪清陵高校だったんだけど進学校でね。中学の成績上位3人ぐらいが行くようなところだったんで、親も期待してくれていたのか「久雄、お前は役所勤めか弁護士になれ」ってよく言われてた。「それが一番幸せだ」、「固いから」みたいな。そういうわけで進学校に入ったんだけど、ちょうどその頃に遊びとかに目覚めて。高校生になったら、すごい自由になるでしょ。

親からも勉強しろとか言われなくなりますからね。

小口 いや、言われてはいたんだけどね。ただ、さっき言ったように放任主義なんで、そんなには言われなかった。ちゃんとやることやって、人に迷惑かけんなよとは言われてたけど。あと。高校って親とかに対して「うっせえ」みたいになるじゃない。そんなわけで、高校はけっこう自由にしていたんで、どんどんどんどん学力が下がっていって。その学校は1学年275人ぐらいだったんだけど、僕の友達仲間は成績270何番とかだった。僕はまだ100番ぐらいにいたんだけどね。

そんなに悪くなってないじゃないですか。

小口 いや、やっぱりズルズル下がっていった。けど、勉強よりも友達付き合いが大事で、その連中とはなんかいつも一緒にいた。そいつらとは、いまだに付き合ってるよ。

いまだにお友達なんですか。それは素晴らしい。

小口 そういうわけで成績は落ちていったんだけど、自分は見栄っ張りだから有名大学しか受けなかったのね。そしたら、ことごとく落ちて、ちょっとまずいなと。

いわゆる早稲田とか慶応とかを受けたんですか?

小口 そうそう。それで、浪人したの。

それは岡谷市のままで?

小口 いや。もう、こっち(東京)に来てた。で、高校時代に一緒に遊んでた連中もみんな浪人して東京に来たんで、またそいつらとずうっと遊んでた。その結果、浪人時代にさらに偏差値が10ぐらい下がっちゃって。それまでは60ちょいあったんだけどね。

え、60もあったの? じゃあ、下がっても50強だから立派なもんじゃないですか。

小口 いや、50は平均より上ってだけだから。とにかく、偏差値が10ぐらい下がって、まずいと。だけど、当時はその……今は勉強って大事だと思ってるけどね。その頃はこんなの役に立たないと思ってたわけ。みんな、そう思うでしょ?

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