従来のバンド・メンバーではなく、次世代のジャズ・ミュージシャンを迎えて制作されたニュー・アルバム『★』。ボウイは何を意図したのか?
次世代ジャズを紹介した人気本『Jazz The New Chapter』の著者、柳樂光隆が論考する。
ただの足し算的なコラボレーションではなく、先進的なジャズ・ミュージシャンが活きるように適材適所に起用
デヴィッド・ボウイがマリア・シュナイダーのオーケストラとのコラボレーションで「Sue(Or In A Season Of Crime)」を発表した時には、海外のメディアを含めて、さほど反応がなかったのを覚えている。ジャズとクラシックの両方でグラミーを受賞しているマリア・シュナイダーはジャズにおけるアンサンブルに革新をもたらしたほどの存在だが、あまりに突拍子がなさ過ぎたのもあり、ボウイの乱心とでも受け止められたのかもしれない。
しかし、ある種の洗練を極めたようなマリアのサウンドの中で、マリアのサウンドの核でもあったドラマーのクラレンス・ペンをあえて外し、代わりに近年はブラッド・メルドーとのデュオ、メリアーナでも活動するエレクトロニック・ミュージックを人力ドラムに置き換える奇才マーク・ジュリアナを起用し、タイトでミニマルなグルーヴを欲したこと。
さらに正規メンバーのギタリスト、ラーゲ・ルンドを外し、以前マリアのバンドにも在籍していたエフェクティヴなサウンドを得意とするベン・モンダーを呼び戻し、イントロからノイジーなギター・ソロを弾かせたことなど、ただの足し算的なコラボではなく、先進的なジャズ・ミュージシャンが活きるように適材適所に起用し、彼らの演奏を軸に新たなロック・サウンドを作り出そうとする意図はこの時点ではっきりと刻まれていた。そして、この曲では全編でダニー・マッキャスリンのサックスが縦横無尽に鳴らされていた。

『Sue(Or In A Season Of Crime)』
ワーナーミュージック・ジャパン
’14年発表
デヴィッド・ボウイが『★』というアルバムを、ダニー・マッキャスリン、マーク・ジュリアナ、ジェイソン・リンドナー、ティム・ルフェーヴル、ベン・モンダーと制作するということは、つまり「Sue」を起点にしたものだということは明白だろう。ダニー・マッキャスリンが’15年3月に発表したアルバム『Fast Future』のカルテットにベン・モンダーを加えたクインテットでの録音と言い換えることもできる。
そもそも『Fast Future』というアルバムは、ただのジャズ・アルバムではない。エイフェックス・ツインやアンチコンのビートメイカー、BATHのカヴァーが示すように、ジャズ・ミュージシャンの生演奏により、ジャズとエレクトロニック・ミュージックの融合を目指したような実に先鋭的な作品だ。ちなみにひとつ前のアルバム『Casting for Gravity』では、ボーズ・オブ・カナダをカヴァーしていたりもする。そういったジャズの枠には収まり切れないサウンドを追求しているジャズ・ミュージシャンの集まりとも言えるだろう。

『Fast Future』
輸入盤
’15年発表
プレイヤーの個性が発揮された演奏でありながら、それでいてボウイらしさも生まれているサウンド
ドラムのマーク・ジュリアナはスネアやハイハットを駆使し、エイフェックス・ツインやスクエアプッシャーの打ち込みをトレースしたような無機質なビートを叩き、ベースのティム・ルフェーヴルはそのビートを生かすように太く鋭く、それでいて素っ気ないまでにクールなグルーヴを奏で続ける。
ミシェル・ンデゲオチェロがプロデュースを務めた作品『Now vs Now』をもリリースしている鍵盤奏者ジェイソン・リンドナーはさまざまなキーボードを駆使して、楽曲に色を付け、かつ立体感と触覚的なサウンドを加える。ダニー・マッキャスリンは彼らの演奏に溶け込むように完璧にコントロールされた揺れのない張りつめた高音や、逆にあえて空気やノイズを過剰に吹き込み、音色をぼかしたようなプレイでエレクトロニックなサウンドと相性が悪いとされるサックスの新たな表現を提示している。

『Now vs Now』
輸入盤
’09年発表
黒人音楽経由のジャズ演奏家による新たなサウンドとは全く別の革新を最初にロックにもたらしたボウイ
そんな彼らの演奏の力を前提に作られたのが『★』というアルバムだ。まるでデヴィッド・ボウイの新曲を元に彼らが自由にセッションをしたかのように、それぞれの個性が全く消えることなく、それでいて、デヴィッド・ボウイらしさも生まれているのが実に面白い。詳細な譜面があったり、細かく指示があるというよりは、大枠だけを提示され、それをジャズ・ミュージシャンが演奏し、それを編集したようでもあり、それは同時にボウイの楽曲をジャズ・ミュージシャンたちがリミックスしたようでもある。
特筆すべきは、ジャズ・ミュージシャンたちは自身の作品でやらないようなオーヴァーダビングを多用し、エフェクトも過激に施し、各楽器の定位も自在に変えているところだ。デヴィッド・ボウイとプロデューサーのトニー・ヴィスコンティのバランス感覚は、これまでにないほど、巧みにダニー・マッキャスリンやマーク・ジュリアナのサウンドをプレゼンテーションすることができていると言っていいかもしれない。

『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』
ユニバーサル インターナショナル
’15年発表
そんなエフェクトやミックスに適した演奏をすぐに行なうことができることをジャズ・ミュージシャンたちが示しているのも興味深い。例えば、リヴァーヴやディレイで引き伸ばされ、じわじわと空間に溶け出していくような残響音と境界なく混ざり合うような音を絶妙なブレスのコントロールで奏でているダニー・マッキャスリンのサックスや、近年の作品では弾くというより、音を漂わせるようにギターのサウンドを浮遊させているベン・モンダーなど、ほかのジャズ・ミュージシャンでなく、彼らでなければ奏でられないサウンドが随所で奏でられている。
それはもはやジャズでもロックでもなく、新たに生まれた音楽としか言いようのないサウンドと言えるだろう。そして、その上にデヴィッド・ボウイのヴォーカルが乗ることで、さらに別次元のサウンドへと変化を遂げる。デヴィッド・ボウイというカリスマの声の存在感がどこか退廃的で、けだるいロックのフィーリングをもたらしている。
ロバート・グラスパーやサンダーキャット、カマシ・ワシントンを起用したケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』や、クリス・デイヴを起用し完全復活を果たしたディアンジェロのようなブラック・ミュージック経由のジャズ・ミュージシャンによる新たなサウンドとは全く別の革新を、最初にロックにもたらしたのがデヴィッド・ボウイだったとは。ジャズ・ミュージシャンによる演奏の進化はあらゆるシーンを次々に刺激していく。
文/柳樂光隆
※本インタビューは2015年12月に行われました。
’83年4月、EMIアメリカ(日本は東芝EMI)移籍第1弾アルバム『レッツ・ダンス』をリリースしたボウイ。それとほぼ同じタイミングで、日本では映画『戦場のメリークリスマス』が公開され話題を呼んでいた。それまでカルト・ヒーローだったデヴィッド・ボウイが、お茶の間のアイドルにまでなったその時、東芝EMI洋楽部でA&Rの指揮を執っていた山田正則氏に当時のお話を伺った。
ダンスとロックを融合させたアルバムを作って商業主義に走ったという批判も少なくなかった
山田さんが東芝EMIの洋楽部でお仕事を始めたのは、いつですか?
’72年ですね。最初はスージー・クアトロを担当して、その後(ポール・)マッカートニーなんかをやるようになって、アメリカものはザ・ナックからです。覚えていますか?
「マイ・シャローナ」の?
そうです。
スージー・クアトロは、日本でとても人気がありましたけど、あれは山田さんが仕かけたんですね! 何が決め手になって彼女をプッシュしたんですか? 可愛いから?
そう、可愛いでしょ? 黒い革のジャンプスーツを着て、あとベースをギンギンに弾いてロックしていたのが、良かったんですよ。あんな娘いなかったですから。プロモーションするためのイメージが、作りやすかったんです。それに、音楽はすごく単純なロックンロールで、わかりやすかった、というのもありますね。5年くらい売れ続けましたよ。
ボウイが、RCAからEMIアメリカに移籍してきた時には洋楽部のレーベル・マネージャーでいらっしゃったんですよね。
そうです。ボウイがEMIアメリカと契約して第1弾作をリリースしたのは’83年で、まず契約の話を聞いた時点では、みんな売れないと思っていたんです。ボウイって、知名度のわりにはセールスが良くなかったんでね。大きなヒットも出していなかったでしょ。ところが移籍してきたら、それまでとは全く違って、ナイル・ロジャースをプロデューサーに起用して、ダンスとロックを融合させたアルバムを作って、それがドカン! とメガヒットになった。商業主義に走ったという批判も少なくなかったですけれど。
EMIアメリカからの「売れ!」というプレッシャーもかなりあったんですか?
もちろん、ありましたね。ワールドワイド戦略で。EMIアメリカはキャピトル傘下にできた分家みたいな新しいレーベルでした。ボウイはここの最初か2番目か、早い段階で契約したアーティストでかなり高額の契約金を支払っているわけですよ。私もロサンゼルスまで呼ばれてミーティングに出ましたから。日本はこうやってプロモーションしていきます、という話をしてね。
ちょうど日本では、映画『戦場のメリークリスマス』が話題になり始めた時で、ボウイのミュージシャンとは異なる一面がクローズアップされて、デヴィッド・ボウイ自体の人気が上がり始めていました。だから、日本ではあの映画と絡ませれば絶対に売れるよ、という話をしたことは覚えています。それで、日本からも、ボウイを応援するよ、と言ってくださった評論家さん数人にニューヨークまで飛んでいただいて取材しました。その中には、今野雄二さん(故人)もいらっしゃったと思います。そうして、ボウイがEMIに移籍しました、ということを大々的に発表した、という流れだったと思います。
当時の洋楽の状況は、ダンス・ミュージックが流行り始めた頃で、我々としてはボウイの新作もロックではなくディスコ・ミュージックとして売ろう、と決めました。もちろん一方では、従来のコアなボウイ・ファンに向けて音楽専門誌でこれまで同様に取り上げてもらいつつ、ですね。実際、ラジオではディスコ・ミュージックとしてプロモーションして、ほとんどの局で1位を穫りましたから。
ボウイは一歩か二歩、先を行くから売れなかったとも言えるそれが『レッツ・ダンス』では、時代にうまくはまった
EMI移籍前までのボウイは、一般社会ではほとんど変人扱いですよね!? これ(’83年来日時に発売された『毎日グラフ』)を読んでも、変人が普通の人になってヒットした、という文脈だらけです(苦笑)
そうです、そうです(笑)。60年代にデビューして、お化粧し始めて、派手な衣装でグラム・ロックと言われて。でも日本ではグラムと言えばT・レックスのほうが数字的には断然売れたんですよ。ボウイは、(ブライアン・)イーノと一緒にやったり、前衛プログレみたいになったり……昔から売れそうで売れない、やりにくいアーティストだったと思います。でもうちに来た後には、もうアイドルになっていましたからね。若い女子社員もキャーキャー言って。

『レッツ・ダンス』
ワーナーミュージック・ジャパン
’83年発表
確かに、普通の大人から見たら70年代のボウイは普通じゃなくて、それこそが彼をカルトな人気者にしていたんですよね。
彼は一歩か二歩、人の先を行く人ですよね。だから売れなかったとも言えるでしょう。それが『レッツ・ダンス』では、時代にうまくはまった。
ボウイ自身、『レッツ・ダンス』は売れるアルバムにしたい、ということでナイル・ロジャースを起用したという話も聞きました。売れるアルバムにしたいと言って、本当に売れるというのがまたすごいなぁ、と。
時代を読むことができたんでしょうね。
さらには、当時人気だったデュラン・デュランをはじめとするニュー・ロマンティック・ブームのバンドの多くが、ボウイへのリスペクトを公言していました。
それも追い風になったでしょうね。若くて新しいファンへのアピールになりました。うちはデュラン・デュランも押していましたから、相乗効果はあったと思います。
実際に会ったボウイは、どんな人でしたか? やっぱりカッコ良かったですか?
カッコいいですよ! ライヴの後にみんなでディナーに行ったりするじゃないですか。でも、緊張しちゃってね。自分の中にもボウイ=カリスマのイメージがあるから。普段なら、バカなこと言ってみたり(笑)、外国人特有のジョークで賑やかに場を盛り上げたりするんですけど、できませんでしたからね、ボウイの前では(笑)。紳士なんですよ、すごくね。もの静かで。一緒にディスコで騒いだ記憶とか、ありません。大抵あの頃のバンドとは行ってるんですけどね、ディスコ。マネージャーとは仲良くなって、よく一緒に遊びにいきましたけど。

’83年10月16日号
コンサートに来るゲストも華やかだったでしょうね。
コンサートが終わって、バックステージで小さな乾杯をするでしょ。その時なんか、へぇ、って驚くくらい有名な女優さんも来てましたよ。当時の人気女優さんが次から次へとでしたね。『戦場のメリークリスマス』があったから、大島渚監督関係の方もいたとは思いますけど、映画でのボウイを観て魅了されてコンサートも、と思った人は多かったと思います。
山田さんが初めてボウイに会ったのは、この時(’83年来日公演時)ですか?
いやいや、その前の6月にウェンブリー・アリーナでの“シリアス・ムーンライト・ツアー”のロンドン公演にレーベルから招待されました。その時ですね。コンサートの後に挨拶したのが初めてです。
お気に入りの京都の俵屋旅館に泊まりたいがためにわざわざ京都公演を加えたと聞いています
(山田さんが持参して下さった“グラス・スパイダー・ツアー”のパンフレットを見ながら)こっちのツアーは、日本に来ていないんですよね。
そう、そう。僕は海外で観ました。
私も’87年8月にヴァンクーヴァーまで観にいったんですけど、このツアーはなぜ日本に来られなかったんでしょうか? やはりお金がかかるショウだったからですか?
恐らく、そうでしょうね。ラスヴェガスのショウみたいだったでしょ? ダンサーをたくさん従えてのミュージカル仕立てで。蜘蛛をかたどったステージ・セットとかも大きかったし。今でこそ、日本でもジャニーズや多くのミュージシャンが大きな装置のライヴをしていますけど、’87年当時の日本ではまだまだあそこまで大きなセットを持ち込んでライヴをやるというのは、なかったんじゃないかな。
あとは、『レッツ・ダンス』以降、徐々にボウイの人気も落ちていましたからね。『レッツ・ダンス』の翌年に『トゥナイト』を出して、その後’87年に『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』を出したんですけど、正直、セールスもそれほど良くなかったと思います。いよいよ昔のファンは離れて行き、『レッツ・ダンス』でボウイを知った一過性のファンも離れていき……。

パンフレット
話が少し戻るのですが、『レッツ・ダンス』リリース時、昔のファンには「こんなのボウイじゃない」と非難もされたわけじゃないですか? そういうネガティヴな意見というのはレコード会社さん的には気になるものなのでしょうか?
EMIに来た時点において、それはEMIのビジネスになるんです。古いカタログは来ないので、ここからは新しいボウイを作っていかなくては、という。だから、ミーハー的なアプローチで売ることに躊躇はなかった。ボウイが何を考え、何を歌っているのかよりも、音楽を好きになって、ディスコで踊りたいと思ってくれるようにという方向で宣伝をしていきました。
MTVの効果も大きかったですよね。
はい。第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの時期で、しかもMVなどのヴィジュアルを音楽に活かすということは、ボウイがずっと求めてきたことですからね。こうしたMTVとのコラボレーションによる成果も大きかったと思います。
ボウイと言えば親日家としても知られていますが、日本でのエピソードがあれば教えてください。
……そうだ、’83年の“シリアス・ムーンライト・ツアー”ジャパン・ツアーの最終日は京都なんですけど、あれは、ボウイが京都の俵屋旅館(老舗高級旅館でボウイの大のお気に入り)に宿泊したいがために組まれた公演なんですよ。大阪公演もやっているんだから、本来なら京都公演の必要はなかったんですけれど、京都公演を入れる、というのが来日公演の契約条件に入っていたらしいです。
山田さんにとってのデヴィッド・ボウイとは、どんな存在ですか?

パンフレット
時代を作ったカリスマ。ポピュラー・ミュージックの時代を自分で切り開いていった人です。文化を作った人、だとも思います。パッと出てきてヒットを放つだけのミュージシャンではなく。『レッツ・ダンス』に対する否定的な意見もありますが、あれもまたボウイなんです。だから僕は、あのアルバムが好きですし、ボウイのことを尊敬しています
インタビュー・文/赤尾美香
※本記事は2015年12月に寄稿されました。
山田正則
’48年、神奈川県生まれ。’72年に東芝音楽工業(後の東芝EMI)に入社。EMI/キャピトルを担当し、スージー・クアトロやグランド・ファンク、デヴィッド・ボウイなどを担当し、ヒットを生む。’89年に邦楽へ異動。ポップ、ロックを担当した。

『Concert in the Garden』
輸入盤
’04年発表
ダニー・マッキャスリン
(Saxophone, Flute, Woodwind)
90年代に活動の拠点をNYに移し、マイケル・ブレッカーの後任として、ステップス・アヘッドに加入。マリア・シュナイダー・オーケストラ、ギル・エヴァンス・オーケストラといった大人数のアンサブルでのソロ演奏によって注目を集め、マリア・シュナイダー・オーケストラのアルバム『Concert in the Garden』でのパフォーマンスにより、’04年グラミー賞の最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・ソロ部門にノミネートされた。’14年発表のボウイのベスト盤に収録された「Sue(Or In A Season Of Crime)」でテナー・ソリスト、ソプラノ・サックス、テナー・サックスでクレジットされている。

『ファミリー・ファースト』
AGATE
’15年発表
マーク・ジュリアナ
(Drums, Percussion)
ドラマー、作曲家、教育者、プロデューサー、そしてビート・ミュージック・プロダクションズの創立者として高い評価を得ているマーク・ジュリアナ。これまでに30作以上の作品に参加し、「カリスマとして崇められているドラマー」(NYタイムズ紙)、「エルヴィン・ジョーンズやアート・ブレイキーといったハード・バップのドラムの達人たちを80年代のドラム・マシーン、ローランド TR-808と足したものをJ・ディラで割り、スクエアプッシャーのパワーになるまで増殖させた結果」(タイム・アウト・ロンドン誌)と評され、画期的かつクリエイティヴなスタイルが世界的に絶賛されている。ベスト盤収録の「Sue(Or In A Season Of Crime)」でDrumsとして参加。

『Earth Analog』
輸入盤
’14年発表
ジェイソン・リンドナー
(Piano, Wurlitzer Organ, Keyboards)
NYブルックリン育ち、ジャズの枠に留まらずグローバルに音楽表現を追求し、クインテットやセクステットを率いてのスモールズでの演奏が評論家たちの間で話題となり、チック・コリアにもその才能を高く評価され、90年代半ば以降のNYのジャズ・シーンの常連となる。現在はベーシストのパナジオティス・アンドレオウとドラマーのマーク・ジュリアナとのエレクトロ・ジャズ・トリオ、NOW VS NOWをメインに活動。そのトリオでは’09年に1stアルバム『Jason Lindner Gives You Now vs Now』、’14年に2ndアルバム『Earth Analog』を発表している。

『Let Me Get By』
輸入盤
’16年1月29日発売
ティム・ルフェーヴル
(Bass)
アヴァンギャルド・ジャズとファンクの世界においてリーダー的存在を担う傍ら、テデスキ・トラックス・バンド、クリス・ボッティ、TOTO、スティング、ユリ・ケイン、デイヴ・ビニー、ダニー・マッキャスリン、マーク・ジュリアナ、ドナルド・フェイゲンなど、多岐に渡るイノヴェイターたちにとって頼り甲斐のある有能なサイドマンとして引っ張りだこのベーシスト。人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』の番組内バンドの代役を務めたことにより注目を集め、『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』などで演奏や作曲を行なうようになる。

『No Boat』
輸入盤
’97年発表
ベン・モンダー
(Guitar)
NYを拠点に30年以上活動しているベテラン・ギタリスト。ジャック・マクダフ、マーク・ジョンソン、リー・コニッツ、ジョージ・ガーゾン、ポール・モチアン、ギレルモ・クライン、マリア・シュナイダーら多岐に渡るアーティストたちと共演し、世界各地においてもクリニックやワークショップを開催。現在は自身のカルテットやトリオでオリジナル曲を世界中で演奏する一方、ヴォーカリストのテオ・ブレックマンとのデュオ・プロジェクトも進行中で、これまでに2枚のアルバムを発表。サイドマンとしては130以上の作品に参加し、リーダー・アルバムはこれまでに5作リリースしている。

『ザ・ネクスト・デイ・エクストラ』
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
’13年発表
ジェームス・マーフィー
(Percussion on 「Sue (Or In A Season Of Crime)」 and 「Girl Loves Me」)
11年に活動休止したLCDサウンドシステムの中心人物で、ティム・ゴールズワージーとのプロデューサーチームであるThe DFAや、DFAレコーズの運営、DJ、リミックスなどその活動は多岐に渡る。ボウイが’13年にリリースした『ザ・ネクスト・デイ・エクストラ』に収録されている、リミックス「ラヴ・イズ・ロスト(ハロー・スティーヴ・ライヒ・ミックス・バイ・ジェームス・マーフィ for the DFA)」はジェームスの手によるもの。同年秋に発売されたアーケード・ファイアのアルバム『リフレクター』のプロデューサーも務めており、シングルになっているタイトル・トラックではボウイがヴォーカルとして参加している。
※本記事は2015年12月に寄稿されました。